№17 負け犬
№17 負け犬
鉈村さんは2週間、入院することになった。
当然、会社にもことが知られてしまって、俺たちふたりは謹慎処分、ということになっている。
俺はなかなかお見舞いに行けなかった。なにせ、合わせる顔がないのだ。お見舞いに買ったお菓子の賞味期限が刻々と迫っている。それでも、俺はどうしても行けなかった。
なんて話したらいいんだ。どんな風にいたわればいいのだ。どうやって詫びればいいのだ。
……わからない。
しかし、このままフェードアウト、というのもそれはそれで違うような気がする。ケジメはつけなくてはならない。
そして、お菓子の賞味期限が切れる3日前、俺はようやく重い腰を上げてお見舞いに行くことにした。
あれから1週間、当然鉈村さんは目を覚ましている。病院に出向き、鉈村さんの病室を聞いてその扉の前に立つ。
すー、はー、と息をしてから、6人部屋の病室に入った。
鉈村さんは窓際のベッドにいる。仕切りのカーテンをそっとめくると、鉈村さんはひどくつまらなさそうにヘッドフォンで音楽を聴いて横たわっていた。左腕は三角巾で吊られている。
またメタルか中島みゆきだろうか。鉈村ATフィールドは健在だが、なんとなく当初より薄くなっている気がした。
「鉈村さん、鉈村さん」
こんこん、とヘッドフォンを叩くと、鉈村さんはようやく俺に気づいてヘッドフォンを取る。ベッドサイドに置いて、
「やっと来た」
「……不義理ですいません……」
「まあいいや。入院生活つまんな。病人食味しないし」
「じゃあ、これ……せめてお菓子くらいは、と」
お菓子の紙袋を差し出すと、鉈村さんは中身を開けることなくベッドサイドに置いた。
「とりま、タバコ吸お。裏の公園、喫煙スポットだから」
そう言うと、鉈村さんは入院着にカーディガンを羽織って、タバコのパッケージを手に勝手にベッドを抜け出す。俺も慌ててそれに続いた。
ナースステーションに一言入れてからエレベーターに乗り、病院を出るとすぐ裏に小さな公園があった。どうやら喫煙する入院患者はここまで来なければタバコを吸えないらしい。
藤棚の下のベンチに並んで腰掛け、どちらからともなくタバコを取り出して火をつける。
じりじりと、夏の日差しとタバコの火が酸素を焦がしていった。それ以外に音はない。熱中症をおそれてか、子供ひとりすら遊んでいなかった。
苦い沈黙が、ニコチンやタールといっしょに肺に溜まっていく。
鉈村さんが2本目を吸い始めるころ、俺はようやく口を開いた。
「……すみません、俺のせいで……」
血反吐を吐くようなここちで告げた謝罪は、鉈村さんにばっさり斬り捨てられてしまう。
「言うな。全部私が決めたことだ」
「……でも……俺をかばって、左腕に後遺症も残るって……」
「ああああああああああああ!!」
「!?」
唐突に奇声を上げた鉈村さんは、まだ残っている2本目のタバコをばきっと折ると、ヤケクソのように三本目に火をつけた。
そして、その煙を俺に吹きかけながら吠える。
「いちいちいちいち、ぐじぐじぐじぐじ、うっといんだよ!! 謝んなつってんだろ!!」
「あ、謝らせてくれたっていいじゃないですか!」
俺もつい熱くなってしまい、珍しく反論などしてみたりする。鉈村さんは不機嫌そうにすぱすぱタバコを吸い、
「あんたの謝罪を受け入れるってことは、『あんたを守る』っていう私の意思を否定するってことなんだよ! そりゃあ、全部あんたのせいにすりゃラクだよ! けど、私はあんたと違って自分のやったことの責任は取る! 自分のケツは自分で拭く! それだけ!」
一気に言ったあと、鉈村さんは一切俺と目を合わせてくれなくなった。ハイペースで進むタバコは4本目に突入する。
俺は、くしゃりとタバコのパッケージを握りしめ、
「……そんなの、ずるいです」
「はあ!?」
小さくつぶやいた言葉に、鉈村さんは目を剥いてメンチを切ってきた。構わず、俺は続ける。
「……カッコよすぎるじゃないですか。ひとりだけ、ずるい……俺なんて、カッコ悪いままで、それすら弁明させてもらえなくて、鉈村さんだけカッコよくて……」
「私は元々カッケーんだよ。あんたはダサい。そんだけの話。生きてきた土台からして違うんだよ」
そうだ。今まで散々お手軽に生きてきたツケが、これだ。
もちろん、俺は鉈村さんのようになろうとは思わないし、なれるとも思っていない。
けど、一本筋の通った生き方にはあこがれる。
……それに比べて、俺はなんだ。
ぐねぐねとクラゲのように骨もなく、ただ流されるがままに生きている。芯などハナからなくて、流れに応じて身の振り方を変えてきただけだ。
誰も傷つかない? 責任を負いたくない?
そんなのは逃げだ、弱いもののすることだ。
弱者男性である俺は、いつしかこころまで弱者の色に染まってしまっていた。
根っからの負け犬なのだ。
だからここで謝っても一蹴されてしまって、自分の失敗を悔いることすら許されない。そんなものは俺の人生には必要ないからだ。
でも、今思う。
生きるということは、生きる責任を負うということなのだ。責任も負わずのらりくらりと生きてきた俺は、『生きていない』ゾンビたちのようなものなのだ。
それが悔しくて、情けなくて、いつの間にか俺はくちびるを噛み締めながら泣いていた。いいオッサンが、嗚咽まじリにしゃくりあげている。
みにくい。自分でも、吐き気を催すほどの醜悪さだった。
「……う、ぐ……すいません……すいません……!!」
泣きながら謝っているのは、なんに対してだろう。それすらわからない俺の謝罪を聞き入れるはずもなく、鉈村さんは5本目のタバコをゆっくりと吸い始めた。
「……泣くな。キッショい」
「……ぐっ、……うぅ……!…ごめんなさい、ごめんなさい……!!」
ひたすらに謝り続けながら、俺は泣いていた。もはや幼児の駄々のように。
生まれて初めて、自分の生き様を後悔した。
こんなのは『生きている』とは言わない。
ゾンビたちと同じ、『死んでいないだけ』の存在、それが俺だ。
そこにはなんの価値観も美意識もなく、ただいたずらにいのちを浪費しているだけ。
俺と鉈村さんの違いは、弱者として生まれて、歯を食いしばって抗ってきたか、弱者のメンタリティに溺れてしまったか、そこだった。
張れる意地も見栄もなく、単に無様。
今さら後悔したところでもう遅い。すっかりこころまで弱くなってしまった俺には、今ここで過ちを詫びることさえできないのだ。
ただただ、『かわいそう』。憐憫と同情と、少しの侮蔑を込めて語られるその言葉が、俺にはぴったりだった。
今までは居心地のよかったその言葉が、今、こんなにつらいのはなぜだ?
……わからない。
わけもわからず嗚咽する俺を前に、鉈村さんは何も言わずゆったりとタバコを吸って待っていてくれた。
それはやさしさであると同時に、明確な拒絶だ。鉈村さんはその強さを、俺のような弱さを切り捨てることで得てきた。『絶対にこいつのようにはなりたくない』、そんな感情を抱いているに違いない。
そうと分かっていても、あとからあとから涙はこぼれてくる。
俺はしばらくの間、子供のようにひくひくと泣き続けていた。
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