№16 鮫島魁童

№16 鮫島魁童

「……わかりました。君は少し休みなさい。これからの対策はこちらで立てる。また連絡するよ」


 五億寸釘からの電話を切った由比ヶ浜は、改めてソファに座り直した。少しかたいソファは居心地が悪い。


 樫の大きな執務デスクに、ゴブラン織りの応接セット。同じく樫の木でできたキャビネットにはみっちり書類が詰まっている。大きな窓からは陽の光が差し、室内を明るく照らしている。


 まさにこの部屋の主を体現しているような、古き良き質実剛健な眺めだった。


 そんなオフィスの住人が目の前にいる。


 みずからの意思で座ったところからは絶対に動かない、いわおのような老人だ。ごま塩頭に眼帯、手の甲には古傷が山ほどついている。自衛隊将校の制服から溢れんばかりの筋肉によろわれた、まさに揺るがぬ岩石のような男。


 その男こそが、自衛隊統合幕僚長、鮫島魁童そのひとだった。


 鮫島は懐から葉巻を一本取り出すと、おもむろにシガーカッターで先端を切った。


「……すみませんが、タバコの類は苦手でして」


 機先を制して断っておくと、鮫島は豪放磊落に笑い、


「そうか、なら遠慮なく」


 それだけ言うと、構わずにマッチで葉巻に火をつけた。こちらの要望などはまるで無視。聞いた通り、いい性格をしている。

 

 酒に似た香りのする煙をかぶると、由比ヶ浜はわざとらしく大きな咳をした。


「それで、五億寸釘の坊主はなんと?」


 まったく意に介していない鮫島は、葉巻を片手に身を乗り出した。


 不快を表情に出さないように努めながら、由比ヶ浜が答える。


「敵は特定出来ました。紫涼院侑、ネクロマンサーです。清掃会社勤務のただのサラリーマンです」


「ほほう、なかなか気骨のあるサラリーマンだな」


「一旦は追い詰めましたが、その爆発力は絶大だと。寸でのところで取り逃したようです。勤務会社にはすでに連絡済み、謹慎処分となっています。紫涼院侑といっしょにいた同僚が五億寸釘の銃弾に倒れ、現在入院中」


 ふむ、とごま塩ひげをさする鮫島は、葉巻を一服すると、


「暗殺は? お前さんのお得意手段だろう」


「それも一考しましたが、周りはゾンビどもで守られています。スナイパーを使って狙撃しようにも、ゾンビどもの感覚は鋭敏で、射線上に入られておしまいでした」


「入院中の同僚とやらを人質に取るのは?」


「そちらも、本人以上にがっちりとゾンビどもに固められています」


「なるほど、なるほど……」


 まるで孫の話を聞く好々爺のようにうんうんとうなずき、鮫島はまた葉巻の煙を口に含んだ。


 たっぷりと紫煙を楽しんだ後で吐き出し、


「ならば、正面からガチンコでやり合うしかあるまいなあ」 


 独り言のようにつぶやくと、葉巻の灰を灰皿に落とした。


 しかめっ面をしたい気持ちをこらえて、由比ヶ浜はにこやかに応じる。


「そう、そこであなたに防衛大臣からの勅命を持ってきたのです」


 伝家の宝刀を抜くようなここちで、由比ヶ浜はスーツの懐から一通の書状を取り出し、広げて掲げて見せた。


 そこには、防衛大臣の署名と印鑑が押されていた。

 

「自衛隊を出動させてください。この事態、特定地域の災害という認定が降りましたので、災害救助活動目的で出せ、とのご使命です」


「はっは、まるで『自分が命じているのではない』とでも言いたげな物言いだな」


「さあ、なんのことやら」


 実際、防衛大臣に書類を書かせたのは由比ヶ浜だった。しかし、あくまで表面上は防衛大臣本人の意向、ということにしておかないと、この男は動かない。


 ソファでくつろぎながらも、鮫島の周囲の空気は張り詰めたままだった。


「……命令、か。ならば、従うしかないな。軍隊において、上からの命令は絶対だ」


 そう、何よりも規律を重んじるこの統合幕僚長は、防衛大臣からの勅命とあらば従わざるを得ないのだ。


 その性質をよく知っている由比ヶ浜だからこそ、この手段を取った。

   

「さすがです、鮫島魁童統合幕僚長」


 なかば揶揄を含んだ口調で、由比ヶ浜はにっこりと笑った。読み通りだ。


 そんな由比ヶ浜の内心を知ってか、鮫島はため息といっしょに紫煙を吐き出し、灰を落とした。


「しかし、どうにも気に食わんなあ」


「おや、なにかご不満でも?」


 葉巻の意趣返しにとわざわざ尋ねると、鮫島は苦笑いしながら、


「お前さんの手のひらで転がされているような気がしてなあ。どうも気に食わん」


「はは、まさか。私は国家存亡の危機に立ち向かっているだけですよ」


「国家、か……弱者から搾り取るだけ搾り取って、私腹を肥やす上級国民のための、か?」


 鋭い言葉の右ストレートを、由比ヶ浜はにこやかに受け止めた。


「わかっているなら話は早い」


 当然だ。それが国家というものなのだから。


「それが気に食わんのだよ。そういう国家は必ず腐敗する、腐ってこぼれ落ちる」


 熟しすぎた果実が腐り落ちるように片方のこぶしを下ろす鮫島に、あくまでにこやかに由比ヶ浜は言った。


「そうはさせませんよ。我々は『国民から』選ばれた人間のですから。そこらのクズどもの好きなようにはさせません。ちからというものがいかに大きなものか、思い知らせてやりますよ」


 街宣活動のような口調で言い放つ由比ヶ浜に、鮫島は赤点を取った子供でも見るような困った視線を向ける。


 そして、葉巻の煙を、ふう、と由比ヶ浜に吹きかけた。まじないのような仕草に、由比ヶ浜はごほごほと咳き込む。その様子をにやりと笑って眺めながら、鮫島は言った。


「さて、そのエゴイスティックな選民主義、いつまで続くかな?」


 挑発的な発言に、涙目になった由比ヶ浜はそれでも仏のような表情で応じる。


「続くか続かないかの話ではありませんよ。これは絶対的な黄金律なのですから。クズどもは未来永劫、選ばれた人間である我々に傷ひとつつけられない。そう決まっているのです」


 いかにも『令和のブッダ』でござい、と言わんばかりの表情に、鮫島はまたも苦笑した。


「まあ、せいぜい今のうちに栄華を楽しむといい……命令とあらば、自衛隊は出動させる。陸海空幕僚長に伝えておこう。これは決定事項、そうだな?」


 この核ミサイルのスイッチを本当に押していいのか?


 そんな風に首をかしげる鮫島に、由比ヶ浜はなんら疑問を抱くことなくうなずく。


「その通り」


「……了解した」


 葉巻をくわえて、鮫島は机上に置かれた防衛大臣からの書状を制服の内ポケットにしまった。


 これでこちらの勝ちは確定したようなものだ。所詮クズはクズ、圧倒的なちからの前にはひれ伏すことしかできない。いのちごいの言葉が今から楽しみだ。


「作戦の詳細や報道機関への通達は追って相談しましょう。取り急ぎ、陸海空幕僚長への連絡をお願いしますよ」


「わかっている」


「お話は以上です。それでは、私はこれで」

 

 ソファから立ち上がった由比ヶ浜は、一礼してからオフィスを後にする。背後では鮫島が敬礼を送っていた。


 オフィスのドアを閉めた途端、由比ヶ浜は笑顔を崩して不快をあらわにした。


 なにを知った風な口をきいている。自分は由比ヶ浜独尊だぞ。選ばれた人間だぞ。おこがましい。


 現場からの叩き上げだかなんだか知らないが、クズどもに肩入れするつもりなら、警戒しておかないといけない。身内の毒は何よりも効く。


「由比ヶ浜先生。お話は済みましたか?」


「ああ。自衛隊の出動を取り付けたよ。これで事態は収束する」


 ドアの外で待っていた秘書に向かって、笑顔を取り繕いながら答える由比ヶ浜。


 ぱんぱん、と仕立てのいいスーツを叩いてみるが、どうしても葉巻のいやなにおいが取れない。


 鮫島の言葉同様、まるで呪いのように。


「……すまないが、消臭スプレーを持ってきてくれないか?」


「かしこまりました。10分後には後援会会長との会談に向けて出発します。車はもう回しておりますので」


「わかった」


 短く言うと、由比ヶ浜は先に車に向かって歩き出した。その間に消臭スプレーは手配されるだろう。


 不愉快だ。


 訳知り顔の鮫島も、紫涼院侑とかいうゴミクズも。


 思い知らせてやらねば。


 選ばれた人間になら、それができる。


 スーツの襟を正し、由比ヶ浜は颯爽とロータリーに向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る