№15 消せない傷
№15 消せない傷
大気が怒りに満ちている。
うなりさえ上げそうなほどの重々しい空気の中、俺は指を動かして念じた。
来てくれ、ゾンビたち!
それに呼応するように遠くから地響きが聞こえてくる。四方八方から、こちらを目指して。
「……時間稼ぎ、でしたか」
つまらなさそうに口にする五億寸釘に、俺はにやりと笑って見せた。
「浄化範囲外から呼び寄せることができたとは、想定外です」
「それだけじゃない。今度のゾンビたちは特別だ……!」
今も地響きが近づいてきている。もうすぐそこだ。
……そう、五億寸釘が再び狙いを定めるより早く。
地面に複数の影が映って、そのまま落下してきた。
軽く人間離れした跳躍力で空から降ってきたゾンビたちは、べたべたと五億寸釘の防壁に張り付く。今回はなかなか浄化しきれないようで、ゾンビたちが動かなくなるまでには少しの時間がかかった。
その『少し』でいい。
その間にも駆けつけたゾンビたちが五億寸釘に向けて殺到する。たちまちドーム状の光はゾンビたちのからだで埋め尽くされ、次々とその数を増やした。
「……くっ……!」
やっと悔しげな声を上げてくれた五億寸釘は、聖書を片手に光の波を放った。
しかし、圧倒的な身体能力を持つゾンビたちをとらえることはできない。押し寄せる波を素早くかわし、少し数を減らしながらも、ゾンビたちは五億寸釘に肉薄し続けた。
散発的に撃っている光の波も、スタミナ切れなのかどこか精彩を欠いている。超ゾンビたちの人海戦術の前では無意味だった。
さて、五億寸釘はどうするだろうか。
先程のように時間をかけて一斉に浄化するか?
いや、その前にゾンビたちが防壁を押し潰してしまうだろう。
それとも、地道に浄化していくか?
いや、このペースで増えていくゾンビたち相手では、光の波では対処しきれない。
ではどうするか。
ばんばんとゾンビたちが防壁を叩く。その膂力は確実に防壁に亀裂を入れ、なおも増えるゾンビたちの重みでひしゃげていった。
もう時間の問題だ。
「……ここまでか……!」
引き時を見極めた五億寸釘は、聖書の別のページを開いて聖句を唱える。
すると、聖書から生えるようにして一台の大型バイクが現れた。エクソシストはなんでもありらしい。
かろうじてもっている防壁の中で、五億寸釘がバイクのエンジンをかける。どるん!と音がして、バイクは防壁ごとゾンビたちの壁を弾き飛ばし、飛び出してきた。
バイクはそのまま俺たちから距離を開けたところで一旦止まる。なにか考えがあるのだろうか、と俺はゾンビたちに待つように指令を送った。
「……悔しくないのか、と聞きましたね」
「ああ」
その問いかけか。時間稼ぎに使わせてもらったものだが、あながちそれだけではなかった。本心から、五億寸釘というプロフェッショナルの誇りを問いたかったのだ。
五億寸釘は、ぐ、と奥歯を噛み締めると、苦汁を飲むように顔をしかめた。
「……悔しくないわけ、ないじゃないですか」
やはり、五億寸釘はただの使いっ走りではなかったようだ。
そう言い残すと、五億寸釘はバイクのエンジンを全開にしてその場から走り去ってしまった。ゾンビたちを操って追いかけることもできたが、深追いはしない方がいいだろう。
敵が消え失せ、俺は一気に脱力してその場に膝をついた。
……なんとかなった……!
一時は殺されかけたのだ、そこからよくここまで巻き返せたものだと、自分でも感心する。
「……そうだ、鉈村さん!」
俺をかばって肩に銃弾を受けた鉈村さん。
横たえていたそのからだを抱き起こすと、さっきよりさらに顔色が悪くなっていた。血を流しすぎたのだ。
このままではまずい、早く病院に連れていかないと!
「鉈村さん、鉈村さん!! 今から病院に送り届けますからね!!」
意識はないだろうけど、励ますように大声でそう呼びかけながら、俺は鉈村さんのからだを肩に担いだ。
……軽い。
日々ゾンビの死体を担いで仕事をしているせいもあってか、鉈村さんのからだは軽々と持ち上げられた。腐っていない分、死体よりはずっとマシだ。
小柄だとは思っていたが、ここまで軽いとは思わなかった。こんなに小さなからだを張って、俺を守ってくれたのだ。
必要だから、と。
果たして俺は、そのこころ意気に応えることができただろうか?
「……なんにせよ、病院だ!」
今はぐずぐず考えているひまはない。一刻も早く鉈村さんを病院に連れていかなければ。
俺は車まで鉈村さんを担いで歩き、ボロ車を飛ばして病院へと急いだ。
手術室のランプがともってから、もう何時間も過ぎているような気がする。しかし、腕時計を見ればまだ1時間しか経っていない。
外のベンチで待ちながら、俺は大事に至らないよう祈り続けた。今の俺にできることはこれくらいしかない。
やがて『手術中』の表示が消え、中から手術着姿の医師がマスクを外しながら出てきた。
「同僚の方ですね?」
「は、はい!」
思わず立ち上がった俺に、医師は淡々と説明を始める。
「左肩に受けた銃弾は貫通していました。弾丸が体内に残ったままということはなかったのですが、左肩の骨の一部が砕けてしまっていたため、金属プレートを入れました」
「こ、後遺症とかは……!?」
早口で尋ねる俺に対し、医師は軽くため息をついた。
「残るでしょうね。さいわい神経に傷はなかったので動かすことはできますが、リハビリが必要です。しばらくは動きません」
「そんな……!」
目の前が暗くなった。俺が不甲斐ないせいで、鉈村さんに負担を強いることとなってしまったのだ。
やがて、手術を終えて麻酔で眠ったままの鉈村さんが、ストレッチャーで運ばれてくる。顔色は良くなったが、顔の傷が痛々しく感じられるほどに弱っていた。
病室に運ばれていく鉈村さんを見送る俺の肩を、医師が励ますように叩いた。
「ゆっくり取り組んでいきましょう。大丈夫、必ず良くなります」
「…………」
答えない俺を置いて、医師は手術室へと戻っていった。
どさり、とベンチに腰を投げ打って、うなだれながら手で顔を覆う。
なんてことだ。
目を覚ました鉈村さんに合わせる顔がない。それどころか、天国のご両親に申し訳なかった。
俺のちからが足りなかったばかりに、鉈村さんは後遺症の残る傷を負ってしまったのだ。いくら本人が『必要だから』と言ったって、俺のこころが晴れることはない。
この先、俺は鉈村さんにずっと負い目を感じて接してしまうだろう。鉈村さんならきっと、『うぜえ』とか言ってのけると思うが、こればかりはどうしようもない。
鉈村さんは俺をかばって怪我をした。これは揺るがしようのない事実だ。
その事実が、鉈村さん本体よりも重くのしかかってきた。
どうやって償えばいいかわからない。
「……ダメだな、俺は」
思わずつぶやいてしまう。やはり、俺は鉈村さんのように強くはなれない。貧弱で、矮小で、情けないクズのような男だ。
「……ちくしょう」
堂々巡りをする思考を断ち切るように毒を吐いて、立ち上がる。考えるのは後回しにしよう。
今は、眠っている鉈村さんのために出来ることをしなければ。
とりあえず、しばらくは入院だろう。着替えやらなにやらを手配しなければならない。必要なものは鉈村さんが目を覚ましてから聞けばいいが、看護師さんにも尋ねておこう。
大丈夫だ、鉈村さんはちゃんと目を覚ます。
五億寸釘との顛末を説明して、それから、目を覚ました鉈村さんに詫びよう。
……なんと言って詫びればいいか、それは今夜考える。
俺は教えられた病室のあるフロアのナースステーションへ向かい、現時点で出来ることを聞きに行った。
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