№12 『令和のブッダ』
№12 『令和のブッダ』
『由比ヶ浜独尊、由比ヶ浜独尊は皆様のためにより良い国を目指して日々邁進しております! 由比ヶ浜独尊、『令和のブッダ』、由比ヶ浜独尊をよろしくお願いします!』
街頭に騒がしいノイズが咲き乱れていた。それもまた、雑踏にかき消されて意味を失っていく。
しかし、そこに由比ヶ浜独尊が現れた途端、空気が変わった。誘蛾灯に引き付けられる羽虫のように、自然と聴衆が生まれ、人々は由比ヶ浜の言葉に耳を傾けるようになる。
マイクを手にした由比ヶ浜は、取り立てて大柄なわけでも、目を惹くような美男でもない、上等なスーツに身を包んだ中肉中背の中年男だ。ただ、オールバックにした髪の下、額にはまるで仏のようなホクロがあった。
由比ヶ浜が笑う。お手本のような笑顔に、ひとびとはびかびか光る後光のようなものを見た気がした。
『みなさん! 今、この国は病んでいます!』
よく通る声でそう宣言した由比ヶ浜は、効果的な間を持たせてから続けた。
『不当に扱われる弱者、強いものばかりが甘い汁をすする格差社会……みなさんも思いませんか!? 『なぜ自分がこんな風に扱われなければならないのか』と! 『所詮この国は一部の上層部のみで回っているのだ』と!』
聴衆の中から由比ヶ浜の名を呼ぶ声が複数。賛同する声も数多く響いた。
『ゆえに、この国は病んでいる! 人間の尊厳の重みは皆同じだ! 上層部はそのことを忘れている! 今こそ思い知らせてやりましょう! 自分たちだって有権者、この国を変えることができるのだと!』
聴衆の声が高まる。SPや警備員がその波を必死に制御していた。
由比ヶ浜はこぶしを掲げ、高らかに叫ぶ。
『こんな時代だから、こんな国だから、だからこそ弱者救済を! 格差の是正を! そのために、みなさんのおちからをこの由比ヶ浜独尊に預けてください!よろしくお願いいたします!』
演説を終えた由比ヶ浜に向けて、万雷の喝采が送られた。深々と頭を下げると、『令和のブッダ』はまた後光がさすような笑顔を浮かべた。
マイクを担当者に返すと、ビラ配りの様子を見やりながら、秘書に耳打ちする。
「そこのホテルのラウンジでひと休みしてくるよ」
「SPはつけますか?」
「いや、要らないよ。歩いて3分だ」
「では、お気をつけて。30分後には財界の皆様との昼食会に向けて出発です」
「わかってる」
そう言って手を振ると、由比ヶ浜は悠々とその場を後にした。まさしく歩いて3分のところにある三つ星ホテルのラウンジに入り、コーヒーとケーキのセットを注文する。
沈み込みそうなほどやわらかいソファにゆったりと座り、由比ヶ浜はコーヒーが運ばれてくるのを待った。
しかし、注文したものが届くより先にスマホが震える。この番号を知っている人物は限られているので、すぐに応答した。
「もしもし」
『相変わらず、よくやってくれているようじゃないか、由比ヶ浜くん』
「これはこれは、内閣総理大臣閣下ではないですか」
そう、スマホの向こうにいるのはこの国の表向きのトップだった。しかし実際はお飾りに過ぎず、由比ヶ浜のような政治家たちの神輿に乗っているだけの男。
にっこりと仏のように微笑んで、由比ヶ浜は早速本題に斬りこんだ。
「どういったご要件ですか?」
その撒き餌に飛びついた総理は、やや早口になって、
『例の政財界の要人が連続してゾンビに喰い殺される事件、知っているね?』
「はい、聞き及んでおりますが、それがなにか?」
あくまで他人事のように返答する由比ヶ浜に、総理はいらついた風に話を進めていく。
『その件について、関係各所からかなりせっつかれていてね。なにせ犠牲者は誰も彼も政財界や各方面のお偉方だ。さすがに政府としてもこれ以上手をこまねいているわけにはいかないのだよ』
「そんなもの、警察に一任しておけばよろしいでしょう」
『いや、その手はもう打った。ゾンビの潜伏先に武装した機動隊を向かわせたが、全員呆気なくゾンビの餌食となったよ』
「おやおや、それはお悔やみ申し上げます」
『形式だけの弔いは要らんのだよ。我々に必要なのは早急な対応策だ。そこで由比ヶ浜独尊、君に事態を一任することとなった』
どうしようもなくなって、由比ヶ浜に泣きついてきたというわけだ。一国の総理が聞いて呆れる。
由比ヶ浜は忍び笑いをしつつ話を聞いていく。
『防衛省に太いパイプがある君なら、自衛隊も出動させられるだろう。連携してことを進めてくれ……次の選挙のプラス材料にもなるだろう?』
媚びるように口にしたのは、由比ヶ浜としても魅力的な『ごほうび』だった。防衛大臣を動かして突然変異型ゾンビの被害を食い止めたとなれば、国民はみな由比ヶ浜に注目せざるを得ない。
選挙も近い今、これ以上ないプラス材料だ。
由比ヶ浜はにこにこと笑いながら、
「まあ、選挙のことはどうでもいい話なのですが、内閣総理大臣閣下直々のご指名とあらば、お受けしないわけにもいきませんなあ」
『そうだろう、そうだろう!』
いわゆる『ナアナア政権』を執ってきた男、ひとを餌で釣るのは得意芸だ。こうやって関係各所にいい顔をして、貸しを作って、借りを返すころにはトンズラ。政界の古狸。
しかし、由比ヶ浜はあえてその餌に釣られた。
「いいでしょう、拝命いたします」
『それでこそ由比ヶ浜独尊だ』
満足げに名前を呼ばれるが、ありがたみはない。
『それに、君もゾンビスレイヤーの日本ランカーとして、他人事ではないだろう?』
言われた通り、由比ヶ浜はゾンビハンティングの国内ランキングに入るほどのゾンビスレイヤーだった。しかし、表向きは庶民派を標榜しているので、偽名での参加だ。当然、国民も知らない。
「はは、なんのことやら」
そうはぐらかした由比ヶ浜を、総理はそれ以上追及しなかった。
『ともかく、すぐにでも対策本部を立ててくれ。頼んだよ』
「仰せのままに」
そう締めくくり、由比ヶ浜は通話を切った。
よく訓練されたラウンジスタッフは、通話が終わったタイミングを見計らってコーヒーとケーキを運んできた。湯気の立つ熱々のブラックコーヒーと、ミルフィーユ。
由比ヶ浜はにこにこと笑いながらフォークを手に取ると、ミルフィーユに差し込んだ。ざくざく、何度もケーキを切り、ミルフィーユはたちまちばらばらになる。しかしそれを食べるでもなく、ひたすらに由比ヶ浜はケーキを切り刻んだ。
……ゴミのような死人どもが、上級国民たるゾンビスレイヤーに牙を剥くだと?
おこがましい。
ゴミはゴミらしくしていればいいのだ。ただただ我々の娯楽のために殺されてくれればいい。
ゴミのような死人、ゴミのような国民。
すべては我々の消費物に過ぎない。
外面をクリーンに取り繕っておけば、愚かなゴミクズどもは簡単にだまされてくれる。巧言令色、美辞麗句。それで世界は、少なくとも我々はうまくいっているのだ。バカはバカのまま、搾取されていればいい。
我々選ばれた人間がそう言うのだから、絶対に間違ってない。『令和のブッダ』? よく言ったものだ。ブッダとて、王家の血筋、いわば上級国民だ。綺麗事をのたまってはいたが、ハラの中では何を思っていたのやら。
にこにこにこにこ。食べ物で遊ぶようにケーキをぐちゃぐちゃの粉微塵にしていた由比ヶ浜は、ふと思いついた。
ゾンビの突然変異。たしかにゾンビはウイルス性の現象だが、今回の騒動は局所的すぎる。日本の限定的な地域でしか起こっていないのだ。
もしかすると、その死人どもは自分が考えているものとはまったくの別種なのかもしれない。
とはいえ、その正体はいまだに曖昧模糊としている。
これは、一度初心に帰る必要があるな。
死人どもが発生した当初のことを思い出し、ついでにこんな事態にうってつけの人物のことを思い出す。
フォークを置いた由比ヶ浜は、早速その人物に電話をかけた。
不機嫌そうな声が聞こえてくると、由比ヶ浜は温厚な声音で語りかけた。
「やあ、久しぶりだね。早速だが仕事だ」
そう、『仕事』。その人物はいにしえよりこういった死人どもを駆逐してきた仕事人だ。
「政府直々のお達しだよ。詳細はメールで送るので、目を通しておいてくれ。報酬はいつもの三倍、いつものやり方で渡そう」
そういったコンセンサスが取れているほど、仕事人とも長い付き合いだった。日本社会の裏で暗躍する仕事人は、こういうときに重宝する。
スマホの向こう側の人物が文句を言い出したので、一応話を聞く。
「なに、今ポルトガル? すぐに日本に戻ってくるように。そちら側には私から話を通しておく。すぐにでも発ってくれ。いいね?」
まだ文句がありそうだったので、由比ヶ浜は早々に通話を切った。
やれやれ、ゴミクズどものお祭り騒ぎ、一体なにものが裏で糸を引いているのか。愚かな国民どもには引き続き突然変異のウイルスだと説明しておくか。
ちょうど27分経ったので、由比ヶ浜は会計を済ませてラウンジを後にした。
あとには、手付かずのコーヒーと、ざくざくに切り刻まれたミルフィーユの残骸だけが残された。
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