№7 深夜の激安居酒屋にて

 深夜の激安居酒屋には、独特の雰囲気がある。


 終電を逃したサラリーマンたちや学生たちが、ヤケクソのように朝までコースで飲んだくれている。そのくせどこか静かで、居座っている客はいれど新規に入店してくる客はいない。


 安っぽい有線放送を聴きながらなにか連帯感じみたものを感じ、俺と鉈村さんは乾杯もせずにビールを飲み始めた。ツマミをいくつか頼んで、タバコをばかすか吹かしながらがんがん飲んでいく。


 当然、小一時間後にはふたりともすっかり出来上がっていた。べろんべろんになって吐くほど酔っぱらっているわけではないが、舌の滑りが格段に良くなる程度には。


「……紫涼院家っていえばさぁ……日本屈指のネクロマンサーの血筋なんだよねぇ……」


 呂律が微妙に回っていない鉈村さんは、勝手に唐揚げにレモンをかけて食べるでもなく箸でつまみながら言った。


「……ネクロマンサー……?」


 同じくらい呂律が回っていない俺も、タバコを吸いながら合間にビールをちびちび飲み、しなびたポテトをかじる。


「……そう、ネクロマンサー……死霊術師、幽霊とか死体とかを操っていろいろする……なんつーか、中国のキョンシーとか……ブードゥーのゾンビとか……」


 頭がいまいち回っていないっぽい鉈村さんだったが、酒が入って幾分か話しやすくなっている。非常に助かる。


 俺はジョッキを置いて新しいタバコに火をつけ、問いかけた。


「……ゾンビ?……あれって、ウイルスが原因でしょう……?」


 世間の常識を口にすると、鉈村さんはジョッキ片手にテーブルを叩いて身を乗り出した。


「比較にならないよ! ウイルス性のゾンビはただ動いて、捕食するだけ! けど、ネクロマンサーのゾンビは別物! 強靭で、俊敏で、捕食衝動がない、術者の命令にのみ従うすごいのが操れるの!」

 

「……それが俺の血筋……紫涼院家だってことですか……?」


「そう! その筋では有名だよ!」


 熱弁をふるう鉈村さんには悪いけど、俺は駆け落ちで生まれた子だった。父方の家はたしかに紫涼院だが、それらしいちからを感じたことも、訓練したこともない。ネクロマンシーなんてできる気がしない。


「……っていうか、鉈村さん、オカルトマニアだったんですね……」


「なにか?」


「……なんでもないです……それより、そのちからと『社会に復讐』、ってなんの関係があるんですか……?」


 やはりアルコールで頭が回っていない俺は、とことん愚鈍だった。鉈村さんがタバコに火をつけて、紫煙と共にため息をつくくらいには。


「……あー、察し悪……あんた童貞でしょ……」


「そ、そそ、それは関係ないでしょう!」


「やっぱり……いーや、女ゴコロとかわかんないでしょ……だから童貞なんだよ」


「うぐ……!」


 思わず口をつぐむ俺だったが、鉈村さんはそれ以上の追及はやめてくれた。代わりに、


「ウイルス性のゾンビは、ちょっと叩かれただけですぐに死ぬ。脳をやられたら終わりなんだから、チョロいもんだよね」


「……それはそうでしょう……」


「けど、ネクロマンサーのゾンビは違う!」


 また熱弁が始まった。とうとうジョッキを片手に座敷に立ち上がり、鉈村さんは大声でしゃべりだした。


「ネクロマンシーなら、もっと強力で、脳が破壊されても動き続けるゾンビを無数に、自由自在に操れる!」

 

「ええっと、それってもしかして……」


「やっとわかったか」


 事態を理解した俺に、鉈村さんは突然にクールダウンしたらしく、すとんとその場に座り直すとないしょ話を始めた。


「そのゾンビを使って、ゾンビスレイヤーどもを返り討ちにしてやるんだよ……あいつら、反撃されることなんて一切考えてないから大慌てで喰われるがままだよ」


「……ええと……」


 戸惑っているうちに、またも鉈村さんが畳み掛けてくる。


「今こそ、私たちに5K仕事押し付けてきやがったゾンビスレイヤーどもに復讐するとき!」

 

「……ええ、でも……」


「復讐、しよう!」


「……は、はい……」


 また2秒で即堕ちしてしまった。勢いに押されて首を縦に振った俺を眺めて、タバコの合間にビールを飲みながら、鉈村さんは呆れたようなため息をついた。


「……提案しといてなんだけど、やっぱ自分ってもんがないんだね、あんた……」


 鉈村さんは釈然としないらしい。俺としては、自分が生きやすい生き方をしているだけなんだけど。『生きがい』を探し続けているという鉈村さんからしてみれば、俺の思考は宇宙人のそれだ。


「……一種の処世術ですよ」


 視線を合わせず、ビールを口にしながらつぶやく。


「処世術?」


「そう。要は責任を負わずに済むんですよ。あのときああだったから俺はこうなった、って予防線が張れるじゃないですか。そうすれば、傷ついたり傷つけたりすることもなく生きていける。俺を含めて誰ひとり不利益をこうむることがない。簡単な話です」


 俺も酒のせいでずいぶんと饒舌になっているらしい。普段ならしゃべらないようなことを偉そうに語っている。


 それを聞いた鉈村さんは汚物を見る目で俺を見た。


「は? ナメてんの?」


「いえ、そういうわけじゃ……」


 やはり、鉈村さんには通じなかった。俺はこの生き方に納得してるんだけどな。


 鉈村さんは他人に厳しい分、自分にも厳しい。責任を負いたくないなんて甘え、絶対に許さないだろう。たとえ誰も傷つかないやり方があったとしても、鉈村さんはそれを選ばない。傷つき、傷つけることがあったとしても、自分の生き方を貫く。


 そんな強さを持っているのが、鉈村さんという女の子なのだ。


 しかし、その強さは諸刃の剣だった。ときにはそんな無茶をして生き急いで、転ぶこともあるだろう。そんな時は大ダメージだ。周りを巻き込んだ事故になる。


 鉈村さんはそれを理解しているのだろうか? 自分が危険なやり方で生きていることを。


 理解もせずにただ生き急いでいるとしたら、それはそれでひやひやする話だ。


「……あんたの存在が不愉快なことは、今に始まったことじゃない。でも、あんたにはちからがある。だから、同盟結成。ネクロマンサー同盟、っていうの?」


 そう言って、鉈村さんは右手を差し出した。最初なんのことかわからず、アルコールで霞んだ頭で必死に考えた。


 鉈村さんは相変わらず不機嫌そうに、


「握手だよ、握手。同盟結成の」


「ああ……」


 俺はどこまで間抜けなんだろう。やっとその意図をつかむと、鉈村さんの手を握り返した。小さくても熱くてちから強い手だ。見た目の割にごつごつしていて、いかにも働き者の手だった。


 ……かくして、ネクロマンサー同盟が成立した。


 俺はこれから、死霊術師の家系のちからとやらを使ってゾンビを操り、いい気になっているゾンビスレイヤーどもを返り討ちにすることになった。


 ……自分の身に起こったことだけど、どこまでも他人事のように感じられる。当事者意識がまるでないまま、また流されていく。


 ……俺は、鉈村さんのようにはなれないんだ。


「ってことで、ここはあんたのオゴリね」


「ええ!?」


 急にお会計の話をされて、思わずたじろぐ俺に、鉈村さんの冷たい言葉が突き刺さる。


「ええ!? じゃないよ。年下の女子に割り勘とか、なっさけな」


「わ、わかりましたよ!」


 そこまで言われたら払うしかない。少ない給料ではタバコを取るか酒を取るかしかないのだが、俺はタバコを選んでいるのでこの出費は痛い。しかし、男の沽券に関わる問題だ。仕方がない。


「おねーさん、ビールもうひとつ! よーし、朝まで飲むぞ!」


「ああ、ちくしょう! 俺もビールおかわりお願いします!」


 残っていたビールを飲み干してから、ヤケクソで次々酒を流し込んでいく。タバコのひと箱も秒で消えたので、途中鉈村さんがコンビニまでお使いに行ってくれたくらいだ。

 

 ……俺たちは、結局前後不覚になるほど朝まで飲み明かして、アルコールのにおいを強烈に漂わせたまま、ふたり並んで出社したのだった。

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