№6 三年越しの問い

 報告書を無事課長に提出して、『お疲れ様』の一言をもらうと、ようやく今日の業務は終了だ。ほっとした分、どっと疲れが出てくる。


 終電までまだ少し時間があるし、喫煙所で一服して帰るか……


 のそのそと喫煙所までやってくると、俺はタバコに火をつけた。四畳半の狭くて黄ばんだ空間が、俺の憩いの場所だ。がー、と回る壊れかけた換気扇の下で、ため息といっしょに煙を吐く。


 タバコとは、大人が合法的にため息をつくための発明だ。


 ……これ、我ながら名言だな。


 そんなことを考えてぼーっとしていると、喫煙所の扉が勢いよく開かれた。


「……あ、鉈村さん……」


「……ちす」


 小さく一礼をする背の低い金髪頭。顔の大きな傷。タバコをくわえる鉈村さんは、作業着を脱いでジーンズにバンドTシャツ姿になっていた。どうやら鉈村さんも報告書を提出し終えて帰るところのようだ。


 また鉈村ATフィールドが俺を削りに来る。ふたり分の煙で満ちる喫煙所は、狭苦しい上に息苦しく感じられた。


 もう無言の空間は終わりにしたい。今日一日いっしょに作業をして、鉈村さんも悪い子じゃないことはわかっている。きっと人見知りなんだ、なら大人の俺の方から歩み寄るべきじゃないか。


 そんな考えのもと、俺は精いっぱいの笑顔を鉈村さんに向けた。


「今日はよくがんばってくれて、ありが」


 その瞬間、大きな音を立てて俺のすぐ隣の壁に鉈村さんが手を突いた。そのままの格好で、くわえタバコで下から思いっきり睨み上げてくる。


 これはいわゆる『壁ドン』というやつだ。世の中の女子が憧れているらしいが、あいにく俺はうだつの上がらないオッサンだった。なにがいいのかまったくわからない。


「え? え??」


 思わずくちびるに挟んでいたタバコを落としかけながら目を丸くする俺に、鉈村さんは威嚇するような声音で問いかけた。


「……あんたさぁ、ホントに私のこと覚えてないの?」


「お、俺、なんかやらかしました!?」


 怯える俺に、鉈村さんは深々とため息をつく。そして、


「じゃあ、もう一回聞いてやる……『何が楽しくて生きてんの?』」


 そのキーワードで、愚鈍な俺もさすがに思い出した。


 数年前、同じことをこの喫煙所で聞かれた。


 しかし、その女の子は……いや、言われてみれば……


「……もしかして、あのときの……?」


 おそるおそる尋ねると、鉈村さんはようやくタバコに火をつけて、しかし俺からは目を逸らさず、


「そうだよ。忘れるとかありえなさすぎ」


「でも! 髪! ピアス! 傷!!」


 せめてもの反論をする俺に、ようやく鉈村さんは壁ドンを解いてくれた。紫煙を一服し、


「3年もありゃあ、いろあろあるっつーの」


 その『いろいろ』に言及するのはやめておいた。これだけ様変わりするほどのことがあったのだろう。今やっと思い出した俺に、聞く権利などあるはずもなく。


 くわえていたタバコから灰が落ちる。その時点で、鉈村さんは気だるげにして、


「改めて聞くけどさあ……あんた、何が楽しくて生きてんの?」


「……それは……」


 3年越しの問いかけに、俺は回答など準備していなかった。あのころも今も、生きてる理由など考えもしなかった。鉈村さんの質問は、なにひとつ俺の中に根付いていなかったというわけだ。


「……ほら、答えられない」


 ふん、と小バカにしたように鼻を鳴らし、鉈村さんが言った。


 そして、俺の心臓辺りに人差し指を突きつけて続ける。


「あんた、自分ってもんがないでしょ。なにもかもが周り任せ、状況任せでただ流されるだけ。不満だけはいっちょまえのくせに、自分の意思で動こうともしない。ただ現状に甘んじてるだけのクズ」


 クズ、とまで言われてしまった。ぐ、と息を呑むが、鉈村さんは構わず畳み掛けてきた。


「そんなゴミクズ、そこらへんのゾンビどもといっしょ。生きてるフリして死んでるだけ、死んでるフリして生きてるだけ。どこまでもどこまでも中途半端。へらへらしてその場しのぎで、現状を変えることすら考えない」


 ……おっしゃる通りです。


 俺はたしかにゾンビ同然のゴミクズで、生きてる価値も死ぬ価値もない、ハンパな人間だ。いや、人間ですらないかもしれない。


 うつむく俺の胸を突き放すと、鉈村さんは苦々しげに吐き捨てた。

 

「あんたみたいなやつ見てると、いらいらして仕方ない」


「……すいません」


「あー、今なんで怒られてるかわかんないのに謝ったでしょ? そういうとこ」


「…………」


 もうなにも言えなかった。沈黙の中、タバコだけがじりじりと短くなっていく。


 鉈村さんは心底いらついているらしく、乱暴な手つきでタバコをもみ消すと、新しい一本に火をつけた。


「私は、あんたと違って生きてるんだ。『生きがい』を探してるんだ。どれだけドン底に堕ちたって、あがいてやる……死んだって生きてやる……!」


 鉈村さんの大きな瞳には、明らかに闘志の光が宿っていた。逆境に立ち向かう覚悟をしたものの目だ。


 ああ、こういうのが『生きてる』ひとなんだな、俺とはまるで違うな、とうつむいたままの俺に、更なる連撃。


「だから、あんたみたいな中途半端に生きてるやつ、大っっっっっっ嫌いなの。つか、同じ空気吸うのもイヤ。タバコまずくなるし」


 なるほど、鉈村さんから感じていた敵意の正体はこれだったのか。


 単純な嫌悪。俺たちがゾンビを忌避するのと同じ、生理的なもの。


 鉈村さんは俺のことが大嫌いだ。ただそれだけのこと。

 

 3年前からずっと。


 こんなことは初めてのことだった。角を立てずに流されるままはいはいと生きてきた俺に、他人からの敵意が向けられるなんて。正直言って、誰からも好かれはしないが誰からも嫌われないと思っていたんだが。


 だからこそ、鉈村さんのこの異常なまでに鋭い嫌悪感の出どころがわからなかった。


 短くなったタバコを消す。本当はそのまま立ち去ってもよかったけど、俺はもう一本のタバコに火をつけることを選んだ。鉈村さんが若干驚いたような顔をする。


「……なんでそこまでして生きたがるんですか?」


 今度は俺からの質問。


 しかし、鉈村さんはくわえタバコで肩をすくめて、はぐらかす。


「……さあね。私はゾンビも、ゾンビみたいな人間も、そいつらを搾取してるヤツらも大っ嫌い。それだけだよ」


「……はあ……」


 明確な答えは聞けなかった。やっぱり、立ち去ればよかったか。しかしタバコの残りがもったいないので、これを吸い終えたら帰ろう。


 そう考えていた俺の腕を、鉈村さんが唐突に、がし! とつかむ。


 死ぬほど嫌いな俺の腕を??


 混乱していると、鉈村さんは真剣な眼差しで俺を見つめてきた。


「ってことで、復讐、しよう」


「ふ、復讐!?」


 あまりにも突拍子がなく物騒な単語に、俺の声がひっくり返った。


 その隙を突くように、鉈村さんが続ける。


「そう、復讐。自分が変わるには世界を変えなきゃ。私たちを搾取してるゾンビスレイヤーどもに、社会に復讐してやるの。あんたにはそのちからがある」


 なんだか、テロの常套句みたいだな……と思いながらも、引っかかるところはあった。


 この俺に、そのちからがある……?


 なんの取り柄もない、ただのオッサンである俺に?


 しかし、鉈村さんが俺になんの見込みを見つけてくれたかはわからないが、そんな犯罪じみたことに加担する気はなかった。俺はこのまま、流されていたいんだ。


「復讐、したいよね?」


「……別に……」


「し・た・い・よ・ね?」


「…………はい」


 2秒で流されてしまった。俺らしいと言えば俺らしいが、ゾンビスレイヤーどもに復讐? 一体なにをしようというんだ?


 いまいち鉈村さんの意図が読めない俺には、この判断が正しいかどうかはわからなかった。


 ……いいさ、これが運命の流れだっていうなら、従うまでだ。たとえ、流れ流れた先に何が待ち受けていようとも。


 俺の応答に、若干鉈村さんの表情が明るくなったような気がした。基本的には仏頂面だが。

 

「よし、決まり。早速詳しい話しよ」


 早々にタバコを消した鉈村さんは、俺の腕を引いたまま喫煙所を出た。俺もせわしなくタバコを揉み消し、ドナドナと連行されていく。


 腕時計を見ると、終電の時間はとっくに過ぎていた。


 どうせ帰れないなら、少しくらい与太話に付き合ってもいいか。


 そんな軽い気持ちで、俺は鉈村さんに連れられて、会社を出る準備をするのだった。

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