№5 名も無き羽虫のルサンチマン

 気まずい無言の空間はきっちり二時間後に終わった。


 回収車から降りて防護服を着て、今日も今日とてゾンビの死体の後始末だ。


 汗と腐汁とゴキブリにまみれて、朝から重労働。今日も天気は快晴で、いのちの危険さえ感じる殺人直射日光で防護服の中は灼熱地獄だ。


 最初は鉈村さんにどやされるやもと戦々恐々としていたものだが、鉈村さんは特に無駄口を叩かず必死に作業に勤しんでいる。


 あんなに小さい女の子なのに、自分よりも大きなゾンビの死体を担いで、必死に回収車まで運んでいた。男でもきついこの仕事、鉈村さんはかなり体力があるらしい。もしくは極度のがんばり屋さんか。


 しかし、あの車内の空気はなんだったのだろうか。鉈村さんは結局、ずっと俺のことを睨んでいたし、タバコを吸う以外は何も言わずただただ俺に敵意を向けていた。


 本当に、俺はなにもしていないのだろうか?


 もしかしたら、以前なにかあったのではないか?


 俺が覚えていないだけで、鉈村さんになにかひどいことをしてしまったのではないか?


 そう考え出すとキリがない。


 それよりも、今は目の前の作業に集中しなければ。


 ゾンビの死体を担ぎ直したその時だった。


 ばん、と近くで音がして、俺は驚きでひっくり返りそうになった。


「鉈村さん!?」


 あわてて鉈村さんの安否を確認しようとすると、その当人が金属バットを片手に立っていた。バットからは脳漿らしきものが滴っており、その足元には首が半分取れたゾンビの死体が転がっている。


「死にぞこなってたから殺しといた」


「そこは鉈じゃないんだ……」


「なんか言った?」


「いえ、なにも!」


 金属バット効果もあってか、鉈村さんの迫力が倍増していたので、俺はふるふると首を横に振った。『ゾンビの頭をホームラン』というウワサは本当ではないにしろ、半分くらいは当たっていた。


 というか、早速年下の女子からタメ語で話しかけられている……俺ってそんなにナメられやすそうかなぁ?


 ……ナメられやすそうなのだろう。


 なんとかもう一体ゾンビの死体を回収車に収めて、ひと息つく。時間は昼を回っていた。


「鉈村さーん、ちょっと休憩しましょうか」


「……うす」


 先程頭を吹っ飛ばしたゾンビの死体を放り出した鉈村さんは、やはりぶすくれた表情で返事だけはしてくれた。


 やっと防護服を脱いで汗だくの作業着の上を脱いでTシャツ姿になって、待ち焦がれた水分を補給する。2リットルペットボトルがたちまち空になった。


 さすがにこんなにひどい腐臭の中、昼飯は食えないので、せめて水分だけは取らなければ。


 そして、待ちに待った一服タイム。


 作業着のポケットからタバコを一本取り出すと、火をつける。すぱー、と煙を吐き出して、ようやく脳が休息モードに入った。


 時々灰を落としながら思う。


 このゾンビたち。厳密に言えば死体。


 かつては名前があったのだろうけど、今はただの汚物だ。俺たちみたいな掃除人に回収車に放り込まれて、焼却炉にポイ。そこに死者の尊厳などなく、ただゴミのように扱われている。


 ゾンビスレイヤーどもにとっては知ったこっちゃないのだろう。どこの誰がゾンビになっただの、どうやって回収されていくかだの、上級国民様たちの知るところではない。いちいち構っていられない。


 楽しむだけ楽しんで、あとはぼくしーらない。小学生か。


 全知全能に見える上級国民様たちにも、知らないことはあるのだ。まあ、知る必要もない取るに足らないことだってだけなんだが。


 羽虫に名前をつけてから踏みつけるバカがどこにいる。


 ゾンビたちだけじゃない、俺たちも羽虫みたいなもんだ。どこの誰それがどうやって死体を片付けているかなんて、知るに足らない瑣末事。そんな無駄なことを考えているヒマなんて、お忙しい上級国民様たちにはないのだ。


 そういう意味では、俺たちはこのゾンビたちと同じような存在だ。


 名前も知られず、散々酷使されるだけの道具でしかない。代わりなんていくらでもいる。掃いて捨てるほど。


 害虫か、ただの羽虫か、それだけの違いだ。気まぐれで殺したって、誰も咎めやしない。むしろ褒められることさえある。


 社会の害悪をヒーローのように退治する、そんな最高の娯楽には、名前も知らない裏方がいる。そんなことさえ知らずに、ゾンビスレイヤーたちは名前もないゾンビを殺戮する。楽しいから。スカッとするから。ストレス解消になるから。理由はそんなものだ。


 金を払っているのだから、文句は言えない。ちからを持っている人間には逆らうことはできない、逆らうなんて考えてもいけないのだ。


 搾取されるだけの、名も無き弱者。


 俺たちはゾンビといっしょだ。


 片付けてきたゾンビたちに、自分の姿が重なる。本来なら、俺たちだってゴミクズのように捨ててもいい。しかし、害がないから使ってやってるだけ。上級国民様たちにしてみればそんなものだろう。


 俺には名前がない。


 なくてもかまわないからだ。


「……こういうの、ルサンチマンって言うんだろうな……」


「なんか言った?」


「うわ、鉈村さん!?」


 いつの間にか近くでタバコを吸い始めた鉈村さんに聞かれたらしく、慌てすぎてタバコで指を焦がしてしまい、あちち、と取り落とす。


 一本無駄にした……と肩を落としながらまた新しい一本に火をつけると、回収車にもたれながらタバコを吸っていた鉈村さんが尋ねてくる。


「ルサンチマンがどうとか……」


「ああ、なんでもないです。ただのひとりごとで」


 そう、なんでもない。考えるだけ無駄だ。


 しかし鉈村さんの視線は突き刺すように俺に向けられていて、誤魔化しきれたのかどうかはわからない。


「……てか、ニーチェ知ってるんですね……」


「意外と本読むから」


 ドイツの哲学者のことを、意外にも鉈村さんは知っていた。見た目に反して読書家らしい。


「さて、そろそろ休憩終わりにしましょう。まだまだこの辺残ってますから」


「……うす」


 やはり無愛想にしているが、返事だけはしてくれた。これも意外なことに、けっこう礼儀はしっかりしている。タメ語だけど。


 そこから先はまた肉体労働だ。午後の日差しは焼けつくようで、転がったゾンビの死体は何体運んでも終わらないような気がしてきた。


 気が遠くなるとはこのことか。


 正直逃げ出したいけど、そんな気概もない。ルーチンワークから飛び出してしまったら、息ができなくなるように出来ているのだ。


 ……結局、周辺のゾンビを片付けるのに夕方までかかった。終わるころには汗だくの疲労困憊だ。防護服を脱いでも、まだ鼻に腐臭が残っている。これはもはや職業病だ。


 山奥なので、すでに周りは真っ暗で、ヒグラシが鳴いている。鉈村さんを助手席に乗せて回収車を出すと、また気まずい二時間が始まった。


「…………」


「…………」


 お互い何を話すでもなく、ただただヤケクソのようにタバコを吸いまくる。疲れもあるだろうけど、鉈村さんは決して俺に話しかけたりはしなかった。


 俺を睨みつけながらばかすかタバコを吸うだけだ。俺も視線を合わせないようにタバコを吸い続ける。この煙が途絶えたら、もうこの空間に耐えられないような気がした。そんな強迫観念に駆られて、絶え間なく煙を吐き出し続ける。


 やっと自治体の焼却施設にたどり着いて、ゾンビたちを焼却炉に放り込むと、あとは帰社するだけだ。これからはひとり仕事、少しほっとする。


 会社に着いて回収車から降りると、俺は鉈村さんに向けてなんとか取り繕った笑顔で言った。


「お疲れ様、今日はありがとうね。報告書だけお願いします」


「……うす」


 なぜか不承不承、といった表情で鉈村さんが答え、ペンシルビルへと去っていく。


 さて、あとは報告書だけだ。終電までに間に合うといいんだけど。


 これからまたディスプレイとにらめっこと思うと気が重かったけど、鉈村ATフィールドにごりごり削られることを考えると、幾分かマシだ。


「……さて、もうひとがんばり」


 自分に言い聞かせるようにつぶやいて、俺もまた自社ビルへと帰っていくのだった。

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