№4 『特殊清掃課の鉈』

 今日もまた目覚ましが鳴り、朝四時に起きた俺は会社へと向かった。


「おはようございます」


「ああ、紫涼院くん、今日も早いねえ」


 朝早いと言っても、このひとより早いひとはいないだろう。


 事務所には、どこからやってきたのか無数の猫たちに取り囲まれている中年男性がいた。撫でつけた白髪、スーツの上に作業着姿の、見るからにくたびれた中年サラリーマンと言った風貌だ。


「はーい、よしよし、いいこでちゅねー」


 やたら猫に好かれるということを除けば、ごく普通の中間管理職。


 このひとは、特殊清掃課の課長で、名を羽沢康人という。名前までどこかにいそうな人物だ。いつもにこにこしていて、怒ったところを見たことは一度もない。ひとの好さそうな中年男性だった。


 もちろん、中間管理職としてもありふれた性格をしていた。


 日和見主義、事なかれ主義。


 波風立てずに平穏に、をモットーに、多方面に愛想を振りまいている。トラブルが起こればとりなし、平身低頭して米つきバッタのように頭を下げて回った。聞いた話によると、新人時代から特技は『土下座』だそうだ。


 そんな課長だが、なんだかんだでみんなには慕われていた。日和見主義も、頭を下げて回るのも、部下たちのために尽力しているからだ。課長は決して部下たちのためにならないことをしない。それは『ためになることをする』というわけではないが、俺たちのような底辺からしてみればありがたいことこの上なかった。


 そうしているうちに、三々五々、他のメンバーも出社してくる。それほどの大所帯ではないが、シフトがあまりかぶらないひとのことはよく知らない。名前だけ知っているというひともいるくらいだ。


 全員がそろったところで朝礼が始まり、伝達事項が伝えられる。最後に課長の激励の言葉で締めくくられ、朝礼が終わった。


 そのあとは例のごとく、今日の組み分け発表だ。


 課長がホワイトボードを眺めながら、ペアを決めていく。


「……柴村くんは兵頭くんと。紫涼院くんは、今日は鉈村さんと組んでね。以上、がんばっていってらっしゃい」


 そう言うと、課長はまた大量の猫たちと戯れ始めた。


 ……鉈村さん、か。そういえば、組むのは初めてかもしれない。


 通称、『特殊清掃課の鉈』。


 三年前に高卒で入社したらしいが、ここ最近はそんな風に呼ばれている。


 その言論は鉈のように鋭く、その行動は鉈のように破壊的で、凶暴。


 『鉈』っぷりが発揮されたのはここ一年くらいのことらしいが、おそろしいウワサは俺の耳にも届いていた。やれゾンビの頭を金属バットでホームランしただの、やれ悪徳業者の事務所に乗り込んでいっただの。


 そんな鉈村さんと、今日一日仕事をしなくてはならない。ある意味、5K仕事よりも気が重かった。


 ため息をついていると、低い位置から声をかけられた。


「……紫涼院さん?」


「え、あ、はい……」


 慌てて視線をそちらに向けると、見下ろしたちょうどのところに金色の頭があった。ハタチそこそこだろう、頭部から右頬にかけての大きな傷が痛々しいくらい目立つ。耳にはピアスをばちばちに開けていて、染めたらしい金髪を無造作に後ろでくくっている。もちろん作業着姿だが、丈が長すぎるのか、腕まくりをしていた。


「……ちす、鉈村す……」


「……あ、紫涼院です……」


 意外なことに、『特殊清掃課の鉈』は小柄でかわいらしい(けどちょっとヤンキーっぽい)女の子だった。


 ただし、ものすごく不愛想だ。ATフィールドでも展開しているのかと思われるほど関わってくんなオーラを放っている。あいさつだけして、あとは仏頂面でずっと俺の顔を睨んでいた。


 なにか恨みでも買うようなことをしたのか、俺?


 それくらい、貫くような鋭い視線だった。


「……とりあえず、回収車出しますんで……」


 いたたまれなくなった俺が口を開くと、鉈村さんは、


「……うす」


 とだけ言って、俺のあとについてくる。その間もずっと射抜くような視線を感じていて、回収車にたどり着くころには俺の精神はすでに疲弊していた。


 回収車に乗り込み、俺が運転、鉈村さんは助手席だ。今日の現場は少し遠い山中にある。こんな針のむしろのような張り詰めた空気の中、楽しい道中なんて期待すべくもない。


 経費の都合上、高速は使えないので下道をひたすらに走る。


「……ラジオでもつけますか?」


 無音の空間に耐え切れず提案すると、鉈村さんは視線すら合わせず、


「私、メタルと中島みゆき以外の音楽は基本ゴミクズだと思ってるんで」


「あ、ああ、そうでしたか……」


 …………。


 ……気まずい……。


 がっちりハンドルを握っている俺をよそ目に、鉈村さんは胸ポケットからタバコを取り出して言った。


「タバコ、吸っていいすか?」


 当然のように喫煙者だ。しかし、俺も同じく喫煙者で、これが会話のきっかけになるならばよろこばしいことだった。タバコミュニケーション万歳。


「ああ、鉈村さんも吸うんですね。俺も吸います。その辺の空き缶灰皿にしてください」


「…………」


 また突き刺さるような視線を感じた。ちらりと見やると、鉈村さんがすごい形相でこっちを見ている。


 冷や汗を垂らしながら運転していると、小さなつぶやきが耳に入った。


「……覚えてない……?」


「……??」


 なんのことやらさっぱりだった。そもそも、俺に向けられた言葉だったのかすらもわからない。


 俺の表情から何かを読み取ったらしい鉈村さんは、


「……まあ、いいや」


 そう口にすると、タバコをくわえて百円ライターで火をつけた。


 俺もハンドル片手に作業着の胸ポケットからタバコを取り出すと、火をつけて煙を吸い込む。暑いけど、一応窓は全開にしておいた。仮にも社用車だ。


 無言の空間に、タバコの煙だけがわだかまる。しかし、その紫煙がなんとなく、俺と鉈村さんの距離を縮めてくれているような気がした。喫煙者特有の連帯感、というものだろうか。


 鉈村さんは短くなった吸殻を空き缶に捨てると、また次の一本を吸い始めた。ひとのことは言えないが、けっこうなヘビースモーカーらしい。


 俺も一本吸い終わると、また次の一本を口に運ぶ。


 エンジン音以外はなんの音もしない空間で、俺たちはひたすらにタバコをばかすか吸いまくった。たちまち車内はヤニの香りでいっぱいになる。これは備品課のお局様にお小言を食らう覚悟が必要だ。


 知ったことか。


 これからヤニなんかよりもっともっと臭くて汚い、腐った死体の腐った汁にまみれることになるんだ。移動中くらいは好きにさせてくれ。


 鉈村さんも同意見らしく、次々と新しいタバコに火をつける。負けじと、というわけではないが、俺も同じようなペースで紫煙を吐き出し続けた。


 もうもうと煙る車内で、ふと思う。


 鉈村さんから絶え間なく漂う、俺に対する敵意。本当に、俺は恨みを買うようなことはしていない。わざわざ『特殊清掃課の鉈』にちょっかいをかけるほど、俺はいのち知らずではないはずだ。


 しかし、もしかしたら、万が一、俺の知らないところでなにか気に障るようなことをした可能性が微粒子レベルで存在するかも……?


 そんなことを考え出したらキリがないが、その敵意はあまりにも輪郭がはっきりとしすぎていた。


「…………」


「…………」


 互いに一言もしゃべらず、ヤケクソのようにタバコを吸いまくる。


 喫煙者の連帯感と、言い知れない敵意。


 ふたつをないまぜにした狭い車内で、俺たちは道中の二時間を無言のままに過ごしたのだった。

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