№3 5K仕事の社畜の一日
そうして出勤すると、朝礼の後に組み分けがある。基本的に特殊清掃は2人組で行う。誰と組むかで今日一日がどんな過酷なものになるかが決まると言っても過言ではない。
俺は今日、年下の先輩と組むことになった。厳しいことで有名な先輩とのペア、これはつらい一日になりそうだ。
収集車で業者から知らされた現場へ向かい、防護服を着る。ゾンビは病原菌のかたまりだ、こうしてしっかり自分の身を守らなければならない。
「おいこら紫涼院!サボってんじゃねえぞ!」
作業を始めて3時間、夏の陽射しにじりじりと焼かれながら死体探索から戻ってくると、開口一番先輩は俺を叱責した。げんなりした顔をしながら、
「サボってないんですけど……」
「ウソつけ、ヤニくせえぞお前。どっかで一服とはいいご身分だな」
これはもともと染みついたもので、そもそも防護服を脱いで一服なんてできるはずがないし、シールドで覆われた防護服越しににおいが伝わるはずもない。
先輩も、暑さと疲れと臭いにやられて鼻がバカになっているのだろう。それとも難癖つけて俺に八つ当たりをしたいかだ。
ゾンビはともかく臭い、汚い。今も腐った体液を垂らしながらゴキブリなどの虫にたかられている。この暑さだ、腐敗速度も早く、シールド越しにも悪臭は漂ってきた。ねばつく体液は泥の色をしていて、たとえ防護服を着ていても触りたくない生理的嫌悪感を催した。
そして、ゾンビは重い。死んだからといって体重が変わるわけではないので、きちんとひとひとり分の重さの死体を運ばなければならないのだ。なにがたましいの重さだ、クソッタレ。
一度でも脱力した人間を運んだひとなら分かるかもしれないが、人体を運ぶのはかなりきつい。俵担ぎになるが、横を向けばでろんと目玉を飛び出させたゾンビの顔があるので不快極まりない。
さらに、この酷暑の中で防護服はサウナスーツ状態になっていた。毎年毎年、夏になると一度は熱中症で倒れる。今日はまだマシな暑さだが、一時間に一回は給水タイムを設けなければ死人が出る。汗臭いし、とにかく暑さで頭がおかしくなりそうだった。
「遅せぇぞ紫涼院!」
オマケに、現場仕事は体育会系で、怒鳴られることは日常茶飯事。みんないらいらしているのだ、余計につらく当たってくる。おかげでこうして、俺は年下の先輩に怒鳴られているわけだ。
ふと、先輩が背負ってきたゾンビがぴくりと動いた気がした。見間違いではなかったらしく、先輩も気づいたらしい。
先輩は特殊警棒を腰から取りだし、ゾンビの死体を地面に置いた。
「ったく……お偉方の遊びでもあるまいし、こんなことやらせんなよな……始末すんならきちんと殺れ、やっ!」
ばきっ! と音がして、特殊警棒がゾンビの頭をぐちゃぐちゃにする。脳漿が飛び散り、今度こそゾンビは動かなくなった。
たまにいるのだ、ゾンビスレイヤーたちが仕留め損なって、死にぞこなっているゾンビが。そういう時は、いやいやながら俺たちが速やかにトドメをさし、回収することになる。
先輩の言う通り、こんな悪趣味なことはしたくない。が、現実問題現場で活性化したゾンビに噛まれてしまった掃除人もいるのだ。そういう掃除人は当然感染してしまって、ゾンビ化してしまう。
その場合、掃除人はその場で射殺される。遺族への手紙は課長が書くことになっている。
きつい、汚い、臭い、危険、厳しい。
5K仕事とはこういうことだった。
また一体、最初から腐っている上にさらに腐っているゾンビを回収車へ運ぶ。ゾンビといっしょくたになって、腐汁まみれになりながら、ゴキブリやハエにたかられながら、なかば引きずるようにして、ようやく一体。
これをあと十数回繰り返す。
まさに地獄だ。
ゾンビの死体を運びながら思う。
俺たちがこうやって後始末をしていることなんて、上級国民の皆様方はご存知ないのだろう。好きなだけ遊び殺して、すっきりリフレッシュした後は、送迎バスでさようなら。あとはよきにはからえ。
金を払っているのだから相応のサービスを求めるのは当然だが、その金で誰かを救えたんじゃないのか?
あんたらがひとの道にもとるような遊びに支払った大金で、他になにかできたんじゃないか?
……まあ、ひとの金だ、使い方に文句は言えない。
金のあるやつが好き放題やった後始末を、金のない俺たちは仕事でやっているのだ。ゴミ処理は下賎な掃除人に任せておけばいい。どこの誰だか知らないけど、自分たちの金で働かせてやってるんだ、ありがたく思え。
それが世の中だ。
俺みたいな弱者男性が働けるだけ見付けものだ。金のために働く、これは当たり前のこと。その金がどこから出てきたかなんて関係ない。5K労働をしてやっと生きていけるのが、俺たちみたいな人間だ。
もうこの世の仕組みはこういう風に出来上がってしまっている。世界はこれで『正常に』回っているんだから、仕方がない。抗いようがないのだ。
今さら、この境遇を抜け出すつもりもない。ただただ流されるまま、現状維持に尽くすだけだ。
俺ひとりのちっぽけなちからなんかで、この世は変わらない。ちからがないなら、黙ってこの『正常な』世界の歯車のひとつとなるしかない。
弱者なんてそんなものだ。
「なにボサっとしてんだ! 早くしろ!」
「はい」
先輩の怒鳴り声に我に返って、俺はクソ汚いゾンビの死体を回収車に詰め込んだ。
そうして夕方まで作業は続き、やっと周辺のゾンビの死体を積み終える。防護服を脱いだら汗で作業着はびしょ濡れ、もうからだはがたがただ。腰が痛い。
ゾンビの死体をたんまり積み込んだ回収車は、そのまま自治体の焼却施設へと向かう。契約業者と連携している施設では、超高温の焼却炉でゾンビの死体の処理が行われる。
がー、と回収車の荷台が傾き、どさどさー、とゾンビの死体が焼却炉へと落ちていった。人間、死ぬ時はこんなもんなんだな、と思いながらも、至極冷静にその光景を眺める。
回収車に死体が残っていないことを確認してから、ようやく会社に帰ることができる。
しかし、仕事はこれだけでは終わらない。
今度は書類仕事だ。くたびれたからだに鞭打って、パソコンとにらめっこをする。これこれこういう業者から依頼を受けて、これこれこういうゾンビの死体をこれこれこういう状況下で何体運んで、自治体で燃やして認印をもらって帰ってきました、という報告書だ。
小学生の絵日記並の仕事だと思っていたが、疲労困憊の脳みそではこれでも重労働だ。ディスプレイを覗き込む目はかすみ、キーボードを打つ指が震える。必死に記憶をたどり、なかなか思い浮かばない言葉に四苦八苦しながら、ようやく報告書が出来上がった。
それを課長に提出し、たぶん数年後にはシュレッダー行きとなる書類は会社の上層部へと回される。
なにかの意味がある仕事だとは思えないが、これがしきたりならしょうがない。まるで自分で掘った穴を自分で埋めるような、拷問じみた仕事だ。正直、外で肉体労働をしている時と同じくらい苦痛だった。
これでやっと、一日の仕事が終わる。時間は終電ぎりぎりで、駆け足でバスに乗りこんで三十分。なんとか間に合った終電で一時間。
日付が変わるまでもう少しのところで、自宅アパートのドアを開ける。もちろん、待っているひともやることもない。
コンビニで適当に買ってきた弁当をかっこみ、風呂に入って即座に寝る。睡眠時間は三四時間しか取れない。目の下からどいてくれない万年クマも無精髭もそのせいだ。
生きがいなんてものは、とうに見失っていた。いつからなくしていたのかわからないほど、ずっと前から。
そういうのは恵まれた人間の特権だ。俺たちみたいな底辺は、ただただその日を凌ぐことで精いっぱいで、生きてる意味だとかなんだとか、そういうめんどくさくてややこしいことを考えているヒマもない。
人生は消化試合だ、と誰かが言っていたが、言い得て妙だ。
死ぬのにも覚悟や準備、勇気が要る。そんなめんどくさいことはしたくない。よって、俺はだらだら生きている。
本当に、ただ生きているだけなのだ。
その日その日を、淡々と。
それでいいと思っている。このルーチンがなくなれば、俺はたちまち流れから放り出された魚のようにくたばるしかない。もはやすがりついている、と言ってもいい。
たぶん、知らない世界も知らないひとも知らない真実もたくさんあるだろう。
しかし、そんなものを見るのにもある程度のちからが必要だ。こころの強さ、からだの強さ、才能、金、誰かとの繋がり。
さまざまなちからがあるが、弱者男性である俺には縁のない話だった。
だから、こうして閉じた人生を生きている。
死んだように眠れば、あとは明日の目覚ましで起きる。そしてクソみたいな日々が繰り返される。
そんな風に、俺はひたすらに人生を空費していくのだ。
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