№2 NIREー13

 2019年の冬。


 アメリカ・テキサス州でとある不可解な現象が起こった。


 その日、リアソン家では当主の葬儀が行われていた。交通事故で死んだ、マッシュ・リアソンは花と共に棺に葬られていた。


 棺に杭を打ち、親族に見守られながら墓守が棺を墓地へと運ぶ。ひとびとは悲しみに暮れ、早すぎる死を悼んでいた。


 棺が墓穴に下ろされた、その時だった。


 がこん! と棺が動いたのだ。まるで内側からこぶしで叩いているように。


 ひとびとが驚いている間も、棺は内側から叩かれた。マッシュ・リアソンはたしかに死んでいるはずである。蘇生などしようもないほどに死んでいたはずだ。


 しかし、ついに棺を破って飛び出してきたのは、葬られようとしていたマッシュ・リアソンそのひとだった。


 神の奇跡が起こった。むせび泣いてよろこびを爆発させた妻のリリーはマッシュに駆け寄り、抱きしめた。


 しかし、おかしい。冷えきったままの体温、そして腐臭。とても生者のものとは思えない『それ』に気付いた時には、もう遅かった。


 マッシュだった『それ』は一撃でリリーの頚椎を食いちぎると、その即死体を貪り始めたのだ。


 ひとびとは何が起こったのか、理解するのに時間がかかった。ゆえに、悲劇は連鎖した。


 次は息子のトビーだった。幼い子供のハラワタを食い破り、血しぶきを浴びて咀嚼する。


 母のグレンダ、従兄弟のケレン、叔母のティノ、次々とその肉を喰らった時点で、ようやくひとびとは恐怖におののいて逃げ去っていった。


 血を滴らせながらゆらゆらと歩く『それ』の後ろには、同じく死んだはずのリリー、トビー、グレンダ、ケレン、ティノ『だったもの』が立ち上がり、連なっていた。


 リアソン家の死者たちは近くの街を襲い、喰われたものたちは同様の存在と成り果てた。


 ……ゾンビ。映画やゲームの世界でしか観測されていなかった存在が、現実に現れたのである。


 パンデミックは瞬く間にアメリカ中に拡散し、そして世界へと広がっていった。


 ここ日本にも、当然波及した。


 もちろん、各国政府も手をこまねいて見ているだけではなかった。研究機関は行動不能に陥った個体を精査し、そしてある真実にたどり着いた。


 ゾンビ化現象の原因は、とあるウイルスだった。それはひとに体液感染すると脳に寄生し、死体の運動神経と空腹中枢を強制的に活性化させ、ゾンビにする。当然、感染した脳を破壊すればゾンビは行動不能になり、元の死体に戻る。

 

 研究者たちはこのウイルスを、NIREー13と名付け、研究を続けた。


 いっときは戒厳令まで発令させて、民間人の疎開も視野に入れていた政府だったが、頭部を破壊すれば行動不能になるとわかって、しかもゾンビの身体能力はさほど高くないとなれば、自衛隊の装備で対処できる。


 あの手この手でゾンビを駆逐し、気がつけば街中でゾンビを見かけることはほとんどなくなっていた。政府は戒厳令を解き、街に平和なざわめきが戻ってきた。


 完全に撲滅することはできなかったが、今やゾンビの脅威といえば森や廃屋などに生息するクマくらいのものだ。ひと気のない場所に発生したゾンビも、発見次第即通報、射殺。


 NIREー13の脅威は、完全に過去のものとなった。


 適切な数まで減ったゾンビだったが、世の中なんでもビジネスにしたがる輩がいるもので、この現象も業者によって利用されることとなった。


 すでに死んでいる、人間の形をしたバケモノ。映画やゲームの中の存在。


 それをリアルにやっつけるのは、上級国民の皆様方だ。


 上級国民向けのゾンビハンティングビジネスを展開した業者は、瞬く間に株価を上げた。我も我もとビジネスは拡大し、現在ゾンビハンティングは上級国民のメジャーな娯楽のひとつとなっている。


 絶対に安全な特殊装甲車で、ゾンビの生息地までやってくる。銃刀法が改正されたので、一般人でも銃を携帯することが許されていた。装甲車の中からご自慢のライフルでゾンビを狙撃する。


 ゾンビたちが弱ったら、装甲車から出てきて各々の得物で近距離から仕留める。脳にダメージを負えば活動を停止するということは、逆に言えば脳を潰さない限りは活動しているということだ。


 それをいいことに、散々いたぶりなぶってから殺す。刃物で刺し、鈍器で殴って、悲鳴を上げるゾンビを惨殺するのだ。まるでゴルフのように『ナイスショット!』などと笑いながら。


 いわばこれは、合法的な快楽殺人だ。


 建前はバケモノの駆除、本音は暴力への渇望の発散。


 ……狂ってる。


 悪趣味極まりないと言わざるを得ない。

 

 しかし上級国民にはそれがウケて、今やゾンビハンティングは一大ビジネスとなっている。


 狩りに参加することが一種のステータスとなり、上級国民たちのサロンの役割さえ果たしている。


 なにせ映画やゲームのヒーローを体験できるのだ、生半可なアトラクションよりずっと刺激的。かつ安全。参加にはそれなりの金がいるが、その分『客層』はいい。


 紳士のたしなみ、社交場といったところか。


 ……しかし、そこで弊害が発生する。オイシイ話には落とし穴がつきものだ。


 ここはあくまで現実世界で、ゲームの中の世界ではない。


 殺したゾンビの死体がきれいさっぱり消えるなどというご都合主義はなく、ゾンビスレイヤーたちは喰い散らかした『オモチャ』をそのままにして装甲車で帰っていく。


 ゾンビの死体は不衛生だ。NIREー13も残存しているし、そもそも腐った死体など放置していれば悪臭や獣害虫害、果ては疫病の原因となり得る。


 しかし、もちろん上級国民の皆様方はゾンビの後片付けなどという下賎なことはしない。楽しむだけ楽しんだら、あとは下々のものに任せてさようならだ。


 誰がゾンビの死体の後始末をするのか?


 それは大きな問題だった。


 そこで目をつけられたのが、清掃会社だ。ゾンビの死体など言わばゴミといっしょ、ならば清掃会社が処理するのが適当だ。


 ゾンビハンティングブームに伴い、その影で清掃会社もこぞって特殊清掃部門を設立した。中にはそれを専門にする業者も現れるほど、清掃会社はブームの恩恵を受けていた。


 そして、俺の所属する『マルトミクリーン』もご多分に漏れず特殊清掃課を立ち上げた。


 当時新卒で入社した俺は早速地獄の特殊清掃課に配属され、三十路を迎えた今もずっとゾンビの片付けなどをやっている。


 キツイ、汚い、臭い、危険、厳しい。


 そうしてここに類まれなる5K仕事が爆誕した。

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