5 深淵の過去Ⅳ

 


 


 真っ暗だった。

 真っ黒だった。

 闇よりも暗く、黒よりも黒かった。

 空間のはしか、中心か。どこにいるのか分からないところに、ぽつんと立っていた。

 一筋の光すらない闇は、私の周りを包むように存在していた。


(……どこだ……? ここは……?)


 ぼんやりとしたまま体を動かそうとするが、肝心の体は微動びどうだにしなかった。

 手、足、首……らしきところを動かそうとしても、ピクリとも動かない。


(これでは……この闇から、出れないじゃないか……)


 場所も把握しなければならないのに。そう考えていてもやはり体は全く動かず。このままいるしかないのか……と、あきらめ気味でいた。

 まだ眠りから覚めきれずに、私はそのまま眠ってしまった。


 それからしばらく、一瞬だけ目を覚まして、そしてすぐに眠るという行為を繰り返していた。全然眠くて眠くて仕方がないのに、なぜか起きずにはいられない。

 相変わらず闇は晴れず、体も全く動かなかった。

 外は一体どれほどの時間が経ったのか。状況はどうなっているのか。

 まるで分からない。

 どうして私はここにいるのか。どうしてこんな闇の中に取り残されたのか。

 いつから、独りでいることに慣れてしまっていたのだろうか。

 ■■に■■されてからか。

 ■■■■■を■してからか。

 ■■を■■■にした時か。

 ■■を■めた時か。

 ■になった時か。

 ……あるいは、生まれた時から?

 何故、私は■■という存在として、として生まれ落ちてしまったの、か……

 ふと気づいてしまう。

 ……何も、思い出せない。

 その事実に。

 今までどう過ごしていたのか、どこで何をしていたのか、どんな姿でどんな声で、どんな『名』で呼ばれていたのか……それがまるで思い出せない。

 まあ……あまり大事でもなければ、今までの人生というものに意味なんて見出せていないからだろう。

 あっという間に忘れてしまったということは、そういうことなのだろう。

 そう考えれば、この闇に恐怖する理由なんてなかった。むしろ、心地良いまである。


(……いっそこのまま、眠ってしまおうか……)


 このままいっそ、目覚めることなく、永遠に……




 そうして目を閉ざそうとした時。

 目の前の闇に、うっすらとした白い影が見えた。


(……あれは……?)


 その白い影を目視もくしする。よく見るように前のめりになるようにする。

 そうするだけで、何故か少しだけ、ほんの少しだけ体を動かせるようになった。


(……もう少し、近付こう……)


 ズズ……ズズ……と。るように、重い体を動かすように、白い影に近付いていく。

 長い時間をかけて、ようやく白い影の近くまで寄ることが出来た。よく見る為に屈む。

 その影はヒトの形をしていた。けれどそのヒトが男か女か、それ以上の細部は見えず顔すら分からない。

 だが……このヒトには、どこか見覚えがあった。


(この子供、誰だったか……全く分からない……分からないが………)


 とても愛おしい。そう思った。

 どうしてかは分からないが、そう思うのだ。

 見下し、さげすみ、悦楽えつらくしていたアレとは全くの別物。

 人間で言う『哀愁あいしゅう』とか、『愛着』というモノ、なのだろうか?


(……ああ、考えても……分からない)


 だが、名称の分からないこの感情を抑える術なんてなかった。知るよしもなかった。衝動的に、感情のままに、ヒトの頬を撫でようと思って、右手を動かした。

 初めて動かせることができたものの、右手は宙を掴むようにしか動かせず……そのヒトの、手を掴んだ。驚いた拍子で、声も出た。ひどく掠れてしまっていて、ろくなものしか出なかった。

 だが、掴まれて驚いていたはずなのに、そのヒトは私の手を両手で包むように掴み直した。


(……?)


 この感触に、覚えがあった。

 いつだったのか、その時と比べれば、その手はだいぶ大きくなっていた。

 頭の中は疑問でいっぱいだったが……その直後に、声が聞こえた。


「……大丈夫。私は、ここにいるよ。って、言ったでしょ……」


 女性の、声だった。幼さが多少残った、見知った娘の声だった。


(あ――)


 瞬間。

 記憶が一気に戻った。

 私が何者で、どこから来たのか。

 ここで、私が何をしたのか。

 ……ここに来る前の二年間、どこで何をして――誰と一緒にいたのか。

 痛みなんてなかった。いや、痛みはあったにしてもそれどころではなかった。

 今、目の前にいる彼女は――


『じゃあ、しーちゃんも約束して! しーちゃんがどうしても帰って来れなかったら、あたしが迎えに行くって!

 絶対、ぜーったい、約束だよ!』


 彼女と過ごした最後の日に、約束したことを思い出す。




 ああ、やっぱり、彼女は――クロアはここに、来てくれたのか。




 ――気付けば、彼女に口付けしていた。

 ガシャン! と、背後で力を失った拘束具が壊れて落ちた音がしたが、気にも留めない。

 一瞬か、永遠か。

 それだけ長い時間が過ぎ去ったような間が空いて、ようやく離れた。


「――‼︎⁉︎??‼︎⁉︎⁇」


 どうやら遅れて状況が飲み込めたクロアは、顔面から火が出るほど赤面して視線をずらしてしまった。

 何故だろう。成長した分、とても愛らしい。

 俯いてしまっているものの、赤面する顔を抑えているのが見える。


「……ああ……ようやく会えた」


 と、ついつい言ってしまった。

 そうしたら急に、クロアが勢いよく顔を上げて……ようやく私と目を合わせた。

 ボサボサになってしまった黒く長い髪に、綺麗な琥珀色の瞳。

 小さかったその体は大人のそれと近くなり、より華奢きゃしゃになっていた。身長は、私の身長と近くなるほどになっていた。それでも私とは頭一つ分の差はあるものの、ずいぶん大きくなっていた。

 その姿は――あの時と比べるとありえないほど、ボロボロな衣服を着ているのはいろいろと腹立たしいものの――やはり、クロア・アルミダだった。


「……うそ」


 未だ信じられないのか、目を見開いて震えてしまっている。

 まあ確かに……あの時、別れてからもう十年経ってしまっているのだ。もう二度と、会えないとも思っていても仕方がない。

 それに……あのサリターンが『魔王・アルシエル』と名乗っていた上、姿形が私と似通っていれば、会うこと自体諦めてしまっていたかもしれない。

 でも、今はそんなの、どうでもいい。


「久しぶり――クロちゃん」

「……しーちゃん?」


 当時のあだ名で、互いに呼び合う。

 ……これが、夢でないようにと祈って。死んだ先の、幻でないようにと。

 思わず笑ったが、それに応えないといけない。


「そうだぞ。そのしーちゃんだよー。クロちゃん」


 そう笑って、クロアを昔と同じように自分の力で潰さないように、優しく抱き寄せた。

 抱き寄せると、片腕で収まっていたものの、今では両腕でないと、収まりきらなくなっていた。

 本当に大きくなったんだと、予想だにしない形でだが、クロアと再会できた。

 私はもう一度、会えて嬉しいのだ。


「うっ、ひっぐ……」


 クロアも泣きながら、ぎゅっと抱きしめ返した。

 そのまま、涙は止まることなく流れ続けていた。大泣きだった。声も殺しきれずに、わんわん泣いていた。

 私自身も、目の奥から熱くなって来るのを感じながら、クロアをずっと抱きしめて頭を撫で続けた。


「うぅ……ずっど、ずっど……」

「うん」

「ずっと、ずっとぉ……ひぐっ、会いたかった……」

「うん。私も、会いたかった」

「ぐすっ……うぅ……でも、迎えにッ……きてくれる、って……ずぴっ、信じて……待ってたのぉ……」

「うん」

「でも、でもぉ……会心、じだって、思っでだ……カーラに、カーラにッ……う、裏切られて……ひっぐ」

「落ち着いてクロちゃん。深呼吸、深呼吸だ……」


 時間はたっぷりあるんだ。

 ゆっくりでいい。

 今までの辛さも、苦しみも、痛みも、憎悪も、絶望も……全部吐き出せ。

 そう言って、クロアは疲れるまでずっと泣き続けた。




 それからしばらく経って。

 祭壇の上で、泣き疲れて眠ってしまったクロアを抱っこしつつ、階段の辺りでゆっくり座っていた。

 もちろん、クロアが冷えないように二枚の翼で包み込んで。


「……はぁ……」


 だがクロアが眠った直後からか、どうも体調が良くない。未だ頭の芯から熱が籠ってしまっているような、だが体の方は吹雪が吹いているんじゃないのかと錯覚するほどに震えてしまっているという、そんな感覚が続いている。逆に、クロアの体温があったかいと感じるほどに。

 つまるところ、私、生まれて初めて熱を出しました。

 初めての体験に感動は少ししちゃったが、想像以上に苦しいのでそんな感動はすぐに粉微塵に吹き飛んだ。

 普通にキツい。人間が熱を出した時に布団に潜って、熱くなった頭を氷枕とやらで冷やしているのを見たことがあったのだが……それが痛いほど良く分かった。


(だるい……重い……寒い……頭は、熱いのに……)


 あまりのアンバランスさに、目眩すらしてしまう。座って微動だにしていないのに、ぐるぐると目が回っているように錯覚しまくっている。

 ここには布団もなければ、氷枕もない。クロアが起きた時、まだ体調が改善されなかったらと考えると……こんな状態で、立って歩けるだろうか。

 それまでの短時間に、なんとか治さないといけない。

 というか、水が欲しい。喉が渇いた。


「…………水」


 あまりのしんどさに思わず、そう呟く。呟いたところで、必要な素材を揃え、魔力を込めて魔法を発動させなければ、なんの意味も無い。

 これがうまく出てくれればな……、なんて夢物語気味に考えていると。


 ちゃぷんっ


 そんな音が鳴って、目の前に球体の水が出現した。


「……」


 思わず固まったものの、喉が渇いていたのでその球体状に浮いている水に口をつけてそそくさに飲んだ。こくこくとゆっくり飲んで、なんとか潤った。

 ……自分でやっておきながら、一番に驚いてしまった。こんなこと、今まで出来るようで出来ないはず。

 いつもは魔法を常に展開させて、いらない物置などを多種多様な物へ錬成することが多かった。

 離れに住み着いていた時に、壊れた物品や部屋を直したり、いろんな食材を使って錬成していたのがいい例だ。あれと防音の魔法で二年も隠れて過ごせていた。

 そうやって物を使って錬成していたのだが、今は、『言霊』一つで物を錬成できる……いや、これはというより、だ。

 完全な無から、物質を作り上げることができる、《始祖》を上回る力そのものだった。

 まるで……あの時の“白い神”のように。

 これが、『陰陽の根源』を全て取り込み、本当の意味で【原点】となった影響だろうか。


「……」

「んぅ……」


 そうこうしているうちに、クロアから声が上がった。

 顔を向ければ、目が覚めたばっかりのクロアの顔とバッタリ合った。


「あ、あぁ……うっ」


 顔を見た途端、またクロアは泣きそうな顔になった。


「おーい、まだ泣き足りないのか? 流石にこのままでは脱水状態になってしまうよ?」

「うっ、ううん……違うの」


 首を傾げると、クロアはまた泣きながら言った。


「っ……夢じゃないんだって、……本当に……しーちゃん、なんだって……嬉しくて、嬉しくて……つい……」


 って、言った。


「……全く、クロちゃんは泣き虫だな」


 軽く熱が吹っ飛んだわ。

 事実、頭の熱と体の寒気が綺麗になくなっていた。今なら真面目に世界一周が出来そうだ。

 なんて確信めいたことを思いながら、ハンカチを出現させてクロアの涙で濡れた顔を拭いていく。


「っんもぅ~。なんか、からかわれてるみたいなんだけどぉ……」

「ははは」


 そうして笑い合う。昔に戻ったようで、お互いに嬉しくなる。


「……しーちゃん」

「ん?」

「また一緒にいられて、良かった」


 そう嬉しそうに言う彼女の言葉を言って。


「うん。私も、幸せだよ」


 そうして、二人で抱きしめ合って、また眠った。




「まあ、いろいろ知りたいことがあるかもしれないが……」


 また眠って、起きて。

 ようやくこれからのことを話し合うためにはまず……


「どこかの村へ行って衣食住を整えるか。話はその最中で」

「さんせーい」


 話し合いもへったくれもなく。

 こんな残骸まみれの魔王城にいられないので、移動することにした。


 止まってしまった時間が、ようやく動き出した。

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