4 深淵の過去Ⅲ

 やはり、そうか。そういうことか。

 内心、そう思いながら暗闇の中を凝視していた。

 呼び声に応じてみれば、いきなり視界を遮られ、拘束魔法によって手足、翼と尻尾を抑えられ、ピクリとも動けなくなってしまった。

 以来、尋常じゃない速度で【原点】の魔力が吸われていっていた。

 だが実質、無限に等しい魔力量だ。魔族の一世代――千年万年ゆくほどの寿命持ちだが――それでも使い切れぬほどの力に『底』なんてないのだから、そこは問題ではなかった。

 本来の問題は、この暗闇の中で私を捕えられるほどの拘束魔法が展開されていることだった。翼や尻尾、足を動かそうにも、微動びどうだにしなかった。

 それだけ強力な魔法を展開できるのは――しかいない。ソイツもこの世界に来ていたのか。

 ……正直、『罠』だということは分かっていた。

 分かってはいたが……あの呼び声を放置してしまえば、世界に影響が出てしまう。

 それが、【原点】となった今でも逃れられない、脱却しきれていない制約ぶぶんだった。

 だからこそ、こんな荒技じみた方法で私を捕えたのか。

 魔王とやらに召喚された私はそう確信した。




 しばらく……むしろ、長い時間が経ったような気がした頃。

 いきなり目隠しが外された。

 久方ぶりの光に目をしばめると、の声がした。


「――くっはははは! 俺の目論見は間違っていなかったなぁ! まさかボロクソに世界を破壊しまくってたテメェが、人間のお嬢様とのうのうと暮らしてたなんてなぁ……随分落ちぶれたなアルシエル!」


 目を開くと、その目の前にある祭壇の上に、ソイツはいた。

 白髪で、赤い目を持った、長身痩躯の男。

 その魔王は……『魔王』などと言う、そんな生温なまぬるい存在ではない。

 ソイツは全ての悪魔の祖。

 世界の破壊を望んだ、創世の神たる存在にして――の『実父』。

 その顔を、忘れたことはない。


「サリターン……」


 ギシッ……

 縛られて宙に浮かされた状態で、目の前の男を睨む。

 黒い衣装に身を包みつつも、黄金の呪具を飾り付けている、もふもふな黒い尻尾を生やした姿を。


「呼び捨てなんて失敬なガキだな。前みたいに『父様』って呼べよ。“しーちゃん”」

「……そのあだ名で呼ぶな。糞爺クソジジイ


 大切な人から、親しみを込めて呼んでいた名を口にしたサリターンに、殺意を向けた。

 派手な音が鳴り響いて、柱と壁、天井に大きめな亀裂が入る。周りの魔族どもが、それに驚いて震え出す。

 ……だがそれでも、この鎖は千切れそうになかった。


「チッ」

「ステキな代物だろぉ? テメェを捕まえるためだけの拘束魔法だ。捕まえてもすぐに破っちまったらいけねぇだろうに」


 そう言ってサリターンは鎖の一つを撫でる。

 その仕草だけで、その鎖に魔力が込められて、強度が増したのを感じ取れた。


「こうやって魔力を込めりゃ、鎖の強度は増してくんだ。だが、ただ強くなるんじゃない……」

「……私の【原点】の魔力とこの鎖は癒着ゆちゃくしていて、そこから吸収と強化をしているんだろう」


 これは長らく吸われていた影響で、仕組みが分かったからだった。

 そう遮って答えると、サリターンはあからさまに顔を歪める。


「んだよ……分かってたのかよ」

「無知なわけがないだろうが。若作り」

「あーあー、つまんねぇの……」


 サリターンはそう言って、不快そうな表情を浮かべていた。

 だが、その表情が一変して、邪悪に笑った。


「でも、だからっつって状況が変わる訳じゃねぇ。テメェを取り込むのはできなくたって、テメェの無尽蔵の魔力を利用するこたぁできんだよ。

 代わりに、『魔王』アルシエルを名乗るには十分だ」


 じゃーな、『最弱者』クン。

 そう言って、周りの魔族たちと共にこの地下からサリターンは去った。

 ゴンッ!

 背後に扉があったのだろう。音が大きく聞こえて。

 二度と、その扉が開かれることはなかった。




「……」


 あれから何年、経ってしまったのだろうか。

 目隠しは外されていてなんとか外界の様子は肉眼で見れるが、魔力を吸われる感覚しかない中で、完全に時間の感覚を無くしてしまっていた。

 感覚遮断の魔法も展開されていたらしい。、手足も翼も尻尾も、動かそうとしても動かせなかった。こうなるなら無理にでも、サリターンに聞けばよかったか……そうしてふと思う。

 クロアは、どうしているだろうか。

 『根源』からの情報伝達も遮断されてしまっていて、『外』の状況なんて全く分からなかった。

 不安で不安で仕方がない。

 泣いている姿を想像するだけで、胸の奥が締め付けられるように苦しくなる。

 今すぐにでもこの拘束を解いて、あの国へ戻りたい。

 ……完全な【原点】に成れれば、こんな制約なんて吹き飛ばせるのに。


「……不甲斐ふがいない」


 本当に不甲斐ない。そう思った。

 おめおめと罠にかかり、本当に『魔力貯蔵庫』のように吊るされ、奪われ続ける有様。

 なんなら世界を壊す結果になったとしても、呼び声を無視すれば良かったとすら思ってしまう。

 ……でも。それは、あの子の未来を奪うことにかわりない。

 それだけは、あってはならない。ならないのだ。

 かといって、サリターンをあのまま放置していれば、彼女がいる国が滅んでしまう。

 それも絶対に、あってはならない。

 だから。


「――来い」


 使い魔を一匹だけ呼んだ。

 肩辺りで影になっていたところから、小さく黒い生き物が出てきた。

 その生き物、使い魔は主人の命令を待つように肩に座った。


「私の影から、を持ってきてくれ」


 的確に声に出して命令すればこんな抽象的な表現でも、使い魔は私が何が欲しいのかすぐに察しがつき、持ってきてくれる。

 使い魔は私が作った『式神』のようなモノだ。故に魔力も繋がっていて、思考すらも使い魔に伝わることができる。

 その命令を聞いた使い魔は理解したように頷いて、影に潜った。

 を持ち出すのには時間がかかる。潜られても絶対に見つけ出せないように、奥底に沈めて隠しているので一匹の使い魔だけではかかってしまう。

 だからその間に……私は、ある魔法を創り上げる。この城にいる魔族たちを、悪魔の創造主を滅ぼす魔法を、精密に、色濃く、創り上げる。

 手足は動かせなくても“魔力”だけで創り上げるのは、長く生きていく中で編み出した『技術』のようなモノだ。それはサリターンでも知らないモノなので、隠れて創作することもできる。

 そうして創り上げたモノを、城いっぱいに展開させて、が起こった時に発動するようにした。私の魔力で『汚染』されたこの魔王城では、魔法の痕跡なんて簡単に消せる。

 準備は整った。

 その時、使い魔が影からを持って現れた。


「……上出来だ」


 改めて使い魔が持ってきたを確認する。

 ――それは、勾玉のような形をした宝石であり、もう一つの『根源』そのものだった。

 あの時……天上界の最秘奥にて見た、あの宝石状の『根源』とそっくりそのままの形で。

 当時、周りにも似たような宝石が保管されていたが、かつて取り込んだその『根源』が一番強い力を持ったモノだと実感していた。

 ……同時に、『根源ソレ』はでしかない、不完全だったのだと。


「まさか、こんな形で使うことになるなんてな」


 手は動かせないので、唯一動かせる首を動かしてその『根源』を口に放り込ませる。

 下がれと命令すれば、使い魔は元の影の中へ戻っていった。表に出てて、何か支障が出てしまったら元も子もない。

 何故ならば。


「……んぐっ!」


 もう一度。

 ソレを――躊躇なく飲み込み、取り込むためだ。

 綺麗に歯を立てずに、ごくんっと。

 あの時と同じように。




 に、なるために。




「――ぐ、ぁ――‼︎‼︎‼︎」


 瞬間にあの時の痛みが入った。

 肉体が、精神が、魂が、何の容赦もなく、飲み込んだ『力』に侵食され犯され交わっていく感覚が。

 この世のものとは思えないほどの痛みが、もう一度襲いかかってきた。

 吊るされている状態で暴れているので、ガキンガキンと鎖が鳴り響く。


「ゔ、ぐっ……ぁが、ああああ‼︎」


 だがあの時とは違って、声がろくに出なくなった。

 掠れたような声しか出ず。しかし、痛みはあの時とは比にならないほどになっていく。

 自分を構成する全てが、今度は静かに

 体が取り込んだ力によって壊れないように。

 精神が無色の力に取り込まれないように。

 魂がその力の重さで潰れないように。

 遠慮なく、一気に、徐々に、ぐちゃぐちゃに、愚呪愚呪に作り変わっていき……その時だった。




 ドクンッ!




 そう『全て』が脈打って。

 私の中の、古い昔に取り込んだ『根源』と、ついさっき取り込んだ『根源』が、混ざった。そう直感で分かった。

 まるで、『陰陽道』とやらにある、黒と白が上手く合わさっている『太極図』のように。


「ぁ――」


 かろうじて見えていた景色が消えた。

 真っ黒に包まれたまま、深い眠りに落ちていき――そして、そのまま、何も感じなくなった。


 眠る直前。

 『父』の怒声のような、悲鳴のような声が聞こえた気がした。







 その日。

 魔王城に異常事態が発生した。


 上空にいきなり、魔王城をすっぽりと覆い尽くせるほど巨大な魔法陣が出現し、それが回転するように動き出したからだ。

 ぐるぐる、ぐるぐる、ぐるぐると。

 魔法陣が歯車のように回転していくと、魔族の一人に奇妙なヒビが入った。

 しかしそれは一瞬で、あっという間にその魔族はちりと化して消えた。

 それからは連鎖するように、魔族たちは次々にちりとなって消えていく。魔力を存分に使って上手く維持しようとする者もいるが、ただの先延ばしにすぎない。その者も容赦なく消えていった。

 サリターンはこの現象を唖然と見つつ、この魔法に心当たりがあった。


 『時間超加速』の魔法。


 単純に時間を先へ先へ加速させるだけだが、それは恐ろしいほどの脅威を振るう魔法だ。

 対象を生き物や建造物などに当てれば、その加速で一気に肉体が老いて、最終的に骨も残さずにちりとなって消える。

 そんなものは超高等レベルの魔法で、対象は多くて三~四人程度しかできない。

 ここまで大規模で、誰にも気づかれずにできるのは……アルシエルしかいない。確実にそうだと思った。

 元々、アルシエルは『原初』を冠する悪魔でありながら魔法を扱えず、魔力も知性もない弱者。それも普通の悪魔ですら負けてしまうほどの『最弱者』だった悪魔だ。

 だがその貧弱な身に宿していた『悪魔の本能』はずば抜けて強かった。それを糧に同族を食い、滅ぼし、そして知性をつけていった末が、今のアルシエル。サリターンが、人間で言う英才教育を施したおかげというのもあるが、あの『最弱者』が『最強』になったのには、当時のサリターンは感心していた。

 ……その真意は、手塩かけて育てたアルシエルを喰らって、かつての地位へ戻るという計画があった故の感心であった。

 しかし、そのアルシエルが『根源』を喰らって《始祖》に手をかけたあの時は、本当に肝を冷やした。世界の創造主たる彼を殺せば、その世界が消滅するのは当たり前。それだけはサリターンも避けたかったのだ。

 結果、何者かの手でアルシエルは封じられ、世界は安泰になったのだが、それはサリターンの計画破綻したのと同義だった。捕食対象のアルシエルが封じられれば、元の子もないからだ。

 計画破綻後のサリターンは現世に顕現し、無作為に世界に戦争を仕掛け、略奪と占領を繰り返した。そうして築き上げた地位が今だった。

 ただ同時期に、どういうわけかアルシエルが封印から逃れ、無作為に破壊する事態が起こったわけだが……一定まで世界を破壊したアルシエルはどういう方法を使ってか、別の空間へ消えてしまうので捕えることはできず、煮湯を飲まされる日々が続いていた。

 そうして過ごして、何千、何万、何億年経った頃。あまりにも暴れすぎた影響で『サリターン』の名では活動できなくなった頃に、それは起こった。

 アルシエルが、この世界のシェルハル王国のとある貴族の家にいるという情報を得たのだ。

 情報を提供したのはこれまた意外にも、その貴族の家に住んでいるという娘だった。

 その娘には出来損ないの姉がいて、どういうわけか楽しげに離れというものに向かうことが多かったという。娘は、そんな姉の様子を見て『出来損ないの癖に生意気』と思ってこっそり後を追った。

 追った先に……離れで姉がアルシエルと楽しく会話していたのを見たという。

 初めはアルシエルの姿に恐怖して、後になんであんな楽しげなんだと酷く嫉妬した娘。

 どうにか引き剥がせないかと試行錯誤している時に、その娘は――魔族を寄せ付けない結界の影響を全く受けない、元創世の神であるサリターンと鉢合わせしてしまい、命欲しさでその情報を提供した。

 ……代わりに、シェルハル王国に展開されている“聖女の護り”という結界を解いて、サリターン直属の配下を送り込むことを条件に。

 そうしてサリターンはまんまとアルシエルを捕えることに成功し、その無尽蔵の【原点】の魔力を使って、この十年近く、『魔王・アルシエル』として活動していたのだ。

 実質、アルシエルの力を取り込んだ奪ったも同然だった。

 そうしてまた、創世の神だった頃の、最高神の地位に戻れると確信を得ていた――というのに。


「あんの……クソガキがぁああああ‼︎」


 体にヒビが入り、崩壊していく様を見て……最後まで自身の邪魔しかしない『息子』に対して、サリターンは怒声を上げることしかできなかった。






 アルシエルが深い眠りに就いたその日。

 『』ことによって発動した魔法によって、魔王軍は滅んだ。

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