3 深淵の過去Ⅱ

「お兄さん……どこから、入ってきたの?」


 呼ばれて下を見ると、そこにいたのは小さい小さい娘がいた。


(なんだここは? どこだ?)


 ぐるりと見回しながら、一体化した『根源』から現状を把握する。

 ここは別世界のシェルハル王国という小さな国、公爵邸の敷地内。本邸から一番近くにある離れ。その一室だった。

 内装は立派な物だが元から使われていないのか、この部屋にある物はほこりが被っていた。

 そんな不衛生なところに幼い子供、それも少しボロい服を着た娘が一人。

 明らかな、虐待だった。


(本当に、人間は……)


 呆れた。感想はその一言だった。

 呼んだ痕跡もなければ、魔法陣らしきものすらない。一体何の因果で私が呼ばれたのか、肝心の理由は『根源』で探っても全く分からなかった。

 まあ、極々稀に奇跡を起こすことができる。それが『人間』という生き物だから、仕方がないのだが。

 そんなことを考えながら、今一度少女と向き直る。


「どこからでもいいだろう。それより、どうした娘。こんなところにいるより、親のところにいたほうがいいぞ?」


 分かってはいるのだが、少し茶化すように言う。

 すると、その少女の顔が泣きそうに歪む。


「う、うぅ……ダメ……それ、ダメなの……」

「……何がダメなんだ?」

「今、戻ったら……父様と母様に、殴られちゃう……反省が足りないって、怒鳴られる……」


 それだけ言うと、少女はあっという間に泣いてしまう。相当、親が怖いようだった。チラホラ見えるあざが、それを物語らせた。

 流石に泣き声を出されると困る。仕方なしに慰めた。


「あー……泣くな泣くな。これ以上泣くと、その親が飛んできてしまうぞ」


 そう言いながら屈んで、あまりにも軽い少女を抱き寄せる。そうした子供が泣き止むのを見たことがあるからだった。

 だが、予想を反して、少女から苦しげな声が出てきた。


「ゔ、ん……くるしい……」


 これでも苦しいのか。もっと力を緩めないとダメらしい。


「ああ、すまない……これでいいか?」

「うん……苦しくないよ」


 今でも十分緩めた力をさらに緩めて、少女を抱っこした。抱っこしつつ、部屋の端に移動して座った。

 立ちっぱなしでもいいのだが、体勢的に座っていた方が少女の負担も一応は減るだろう。ただでさえ雪が降るほど外は冷え込んでいるのに、立ったままでは暖かくならないだろう。

 そうして座ると、少女の震えが落ち着いてきた。


「全く、人間は本当に軟弱で、愚かだなぁ……だから、私のような悪魔に目を付けられるんだよ……」


 遠目でぼやく。

 もはや、本当の意味で『悪魔』を作ったのは『父』ではなく、人間ではないのか。

 なんて、普段考えないことを考えていると、少女が声を上げた。


「ん……あったかい……よく分かんないけど、悪魔でもあったかいよ……」

「――」


 言葉は出なかった。声が出ないほど、驚いてしまった。

 見ると、少女は寝惚けながら言っていたのか、すぅすぅと寝息がしていた。

 安心して私に寄りかかるようにして、ぐっすり熟睡していた。

 でも、どういうわけか、先ほどの言葉に対して嫌悪感はまるっきりなく。

 今まで埋まることがなかった『穴』が、初めて埋まった気がした。


「……」


 言葉を発さず、創った使い魔を自分の影から展開させた。

 それほど多くは出さず、十匹ほど出して見張らせる。そうしていれば、誰かがここに来た時に対処できるからだ。


(これなら、大丈夫だな……)


 そうして……そのまま眠ってしまった。

 二つの寝息しか聞こえない離れの中。

 まるで見守るように使い魔たちは主人と、人間の少女の周りを巡回していた。




       ◆




 それから私はこの娘――クロアと一緒に離れで過ごした。

 一応、本来の種族と名前は言っておいた。だが『真名』を言うのもなんなんで、文字って“シエル”と名乗った。

 そうして帰ってきたのは『しーちゃん』という、いかにも女の子っぽいあだ名で呼ばれてしまった。お返しで、クロアを『クロちゃん』と呼ぶことにしたのでこれで“おあいこ”である。

 ……と言っても、親の面子メンツというもののせいでクロアは本邸へ戻って、未来の王妃になるべく勉強しなければならないが、合間合間を縫って会いにきてくれた。出会った時点で王太子と婚約していたのは不快だったが。

 話す内容は他愛のないことだ。私が蓄えた知識とか、場合によっては程度の魔法を教えたり、クロアがその日何が楽しかったのかなど。いろんなことを話した。一応お茶会とやらに出席できているようなので話の種には困らないのが幸いしていた。

 会うその日までなるべく、極力、騒ぎ立てず、だが部屋の中を綺麗にしていった。綺麗になった部屋を見たクロアが嬉しそうにしてくれたので、以来、整理整頓も掃除もきちんとし続けた。食事も無限に作れるので、本邸で食べれなかった日はここで食べるようにしている。

 あの時、どうして離れにいたのか。理由なんてあっても聞こうとは思わなかった。何があったのかなんて、昨日までなかった傷を隠すような態度を見れば一発でわかる。

 十分な食事を与えられていないことも。

 多少良くなったといえども……妹やらと比べれば、未だボロい衣服を見ても。

 本音を言えばいろいろ聞きたかった。だが、それでも聞こうとはしなかった。無理に聞くのは、傷口に塩を塗り込むような行為だろうと思った。

 だから、彼女が自分から言い出すまで待ったのだ。


 そうして過ごして、一年ほど経った頃……

 彼女からぎこちなく、私と初めて会ったあの日から何が起こったのかを話してくれた。

 あの日――私がこの世界へ唐突に来た日が、彼女の唯一の味方だった祖父が亡くなって、葬儀を終えた日だったそうだ。

 しかも二つ年下の妹の、ありもしない言い分を無条件で信じた両親によって、今までにないほどの暴力を振るわれて離れに押し込められた、と言う。

 祖父が生きていた頃は、蔑む言葉しか言わなかったのに、そんな暴力なんて振るわなかったのに、だ。

 以降の日々は真っ当な食事を与えられず、両親と妹から、暴言とも言うべき言葉と暴力の嵐だと言う。

 それを聞いて、私は――


「……何をやっているんだ、その人間どもは」


 八つ裂きにしてやろうか?

 ――そう言いながら、ひどく憤慨ふんがいした。生まれて初めて、怒りでどうにかなりそうだった。

 その感情の変化に、【原点】の魔力も反応して荒れ狂い。その余波で、離れの部屋にヒビを入れてしまった。そのせいでクロアを怯えさせてしまったのが一番の反省点だ。

 派手な音が鳴ってしまったが、元から防音の魔法をかけていたので外には聞こえなかったのは良かった。


「うぅ……ひっぐ、うぇ~ん……」

「すまない……怖かったな。よしよし」


 グスグス泣いているクロアを抱っこして慰めながら、ヒビが入った離れを直していく。

 そうしながら、こうなった要因を考える。

 憤慨ふんがいした時、理由なんてなかった。理由のない怒りが込み上げたのは自分でも驚いた。

 今の今まで、怒ることはあったものの、ここまでひどくはなかったはず。今でも、先ほどのことを考えるだけでまた怒りが溢れそうだ。

 この感情は一体何なのか。どうして怒ったのか。どうしてここまで怒りが湧いてくるのか。

 ……どうして、こんなにも……


「んぅ~……しーちゃん」

「なんだ? クロちゃん」


 互いにあだ名で呼び合って、すぐ。


「あたしのために怒ってくれて……ありがと……」


 クロアが突然、そんなことを言った。


「……は、」


 言葉が見事に詰まった。

 そんな私にお構いなく、クロアは幼いながらも続けた。


「あたしが生まれてからずっと、おじいちゃんと使用人さんたちがあたしを育ててくれて……父様と母様はその頃からずっとあたしをのけ者扱いしてたの……よく分かんないけど、不幸をお前が呼んだんだって叫んでて……カーラが生まれてからひどくなってて……おじいちゃんがセキニンテンカするなって、そんな態度を改めろって言ってずっと叱ってくれてたんだ……そんなおじいちゃんが、唯一の味方で、あたし大好きだったんだ……

 でもそんなおじいちゃんが事故で死んじゃって……いままでガマンしてきた分をはらすように叩いてきて……カーラも、父様と母様のマネをするように叩いてきて……やったことないことをやったことにされて、ここに閉じ込められたの……おじいちゃんと一緒にいた使用人さんたちも、叱ってくれたんだけど……その場でクビにされて、いなくなっちゃった……

 誰も、あたしの味方はいなくなったんだって、思ったの……」

「……」

「でも、ここでしーちゃんに会えた……おじいちゃんのように、あたしのために怒ってくれる優しいヒトに会えたの……あたしの、大切なヒトに会えたって思えたの……だから、ありがと、なの……他人のためにやってくれたヒトにはお礼を言うようにって、教わったから……だから」

「もういい……十分伝わったよ」


 息も絶え絶えになっててきたクロアを止めて、優しく抱き寄せて、優しく艶やかな黒髪を撫でた。息が整ったら、またグスグスに泣き出してしまった。

 全部喋った分、感情が後追いで来てしまったんだろう。落ち着くまで、またさすればいい。


「……」


 この子供は、あまりにも賢くて達観している。そう思った。

 一体どれだけの暴力と蔑みを受ければ、これだけ賢くなるのだろうか。これだけ達観するようになるのか。信じられなかった。

 クロアと同じぐらいの子供を何回か見たことがあったのだが……貴族や平民を問わず、それなりに感情豊かで、分からないことがあれば親に聞くような、そんな子供ばかりだった。

 逆にクロアのような虐待児も見たこともあったのだが、クロアほどに賢くて達観している子はいなかった。

 ここは私の故郷ではないのに。そうでないはずなのに。

 どうして、この子は、


 ――こんなに苦しい目に遭っている?


 そんな考えがよぎった。


「……」


 そこまで考えて、笑いそうになった。

 本当に悪魔らしくない。元々そういう種族なのに、こういう場合はゲラゲラと蔑むように笑えばいいものを。

 まるで人間のように考えてしまう。大事にしなければと、真っ先に考えてしまっている。

 でも、どれだけ悪魔的に考えても、人間的に考えても、相変わらず嫌悪感や憎悪なんてものはなかった。

 むしろ人間的な思考に対して満足しているような、安心しているような、そんな正の感情が溢れていた。

 どうやら長く封印されていたせいで、本当におかしくなってしまったらしい。

 だが。


「悪くないな」


 こんな感情を抱くのも。

 そう思いながら、泣き疲れて寝てしまったクロアを優しく抱いていた。




       ◆




 この世界に来て二年経とうとした時……

 その夜、唐突に嫌な予感がした。

 呼び声が聞こえたのだ。

 場所はおそらく、この王国より西にある――魔王城からその呼び声が聞こえる。

 魔王が遂に、“悪魔の神”である私を呼ぼうとしているのだろう。この世界を征服するために。

 ……いや、魔力貯蔵庫のような役割のつもりで呼び出そうとしているだろう。悪魔としての勘がそう告げる。


「……」


 だが、まだだ。まだ呼び声には応じない。

 放置してはいけないことだ。それは悪魔としての慣わしを破る行為であり、なにより“因果”とやらにも影響してしまう。これが本当に『悪魔』である分、厄介なところだ。

 それでも、まだ応じない。

 何故なら、まだ。


「……」


 まだ、クロアのそばにいたいから。

 いきなり消えてしまったら、クロアがまた困惑して、泣いてしまう。

 思い浮かべるだけで、胸が苦しくなる。

 ようやく笑うようになったのだ。ここで投げ出すようなことをしたくない。

 ……この二年で随分彼女に絆されてしまったが、言うほど嫌なものではない。

 生まれて初めて、『楽しい』と思うことが多かったからだ。彼女にとっても、初めての体験ばかりで、とても『楽しい』と心の底から思い、言ってくれる。

 ちょいちょい現地調達してきた食材を使って料理を作ったりもした。

 昔、配下の一人が料理にハマったとかでよく振る舞っていたのを覚えていたので、こっそり料理を練習していたのだ。それを上手く魔法を駆使して、料理と呼べる物をなんとか作ったことがある。

 不味いだろうな。どうだろうか。そんなことを考えていたら、肝心のクロアは「とても美味しいよ」って言ってくれた。なんだか嬉しくて、わしゃわしゃに頭を撫でまくったことがある。

 親と妹に内緒で、こっそり外へ出たこともあった。

 ……と言っても、彼らはクロアを離れに一人留守番させて、このシェルハル王国一美しいという森林へキャンプしに行きやがっただけだが。それを逆手にとって、その森林へ転移魔法で向かったのだ。

 それも観光地として有名なところではなく……もっと奥の、誰にも行かない秘境へ移動して、そこで思いっきりキャンプを満喫した。秘境にある泉に棲みつく精霊たちには驚かせてしまったものの、諸事情を話せば意外にも話が通じる精霊たちで良かった。その精霊たちの力でふかふかの草のベッドで眠ったり釣りを楽しんだりしたのは、良い思い出だった。

 こっそり魔法を教えていた時に、これを誰かを傷つけるために使ってはならないと、丁寧に教えた。

 かつての私のようにならないようにと。いつか大事な人を守るために使うようにと。

 そう言ったら、クロアは「大事な人はしーちゃんだけだよ!」と嬉しいことを言ってくれて。その反動で、彼女の右手に展開していた炎魔法が暴発して、私の顔面に着火してしまったのだが。

 まあ、人間程度の魔法では傷つくことはなかったので怪我はなかったものの、クロアは泣き目で慌てまくっていて。大丈夫だほら無傷だぞーって、安心させたものの前髪が若干ちじれっ毛になってしまったのを見て、二人して吹き出してしまった。こうなってはダメだぞーって言って、撫でながら。

 そうして過ごして、気が付けばぽっかりと空いていた『穴』が、ようやく埋まり始めていた。『幸せ』であることが、こんなにも『楽しい』と思えるなんて思いもしなかった。

 そう考えていると、離れのドアが開いた。


「ただいまー。しーちゃん」


 なるべく小声でそう言って、クロアは入ってきた。


「ああ、おかえり。クロちゃん」


 そう返して手を差し伸べれば、クロアは嬉しそうにこちらにきて抱き付く。抱き付いた彼女を優しく抱っこして、あやすようにさする。これはもう二年も過ごしてきて、完全に慣れた動作だ。お手のものである。

 もうこの離れは彼女にとって第二の家も同然だ。部屋だってより住みやすい構造になり、心の拠り所として成り立っている。

 ここまでくるのに、わざわざ本邸の二階にある自室の窓から降りてきてしまうのは心配だが……

 そうこうと考えていると、クロアが言った。


「しーちゃん……誰かに引っ張られてる? どこか遠くにいっちゃうの?」


 って。


「……どうしてそう思う?」


 動揺してしまったが、そこはポーカーフェイスでなんとか表情に出ないようにして問うた。

 まさかとは思っていたが……と、彼女の返答を待つと、予想通りの答えが返ってきた。


「なんか、黒い線がしーちゃんの尻尾とか、翼とかに絡んでて……一番遠くの方へ引っ張ろうとしてるの……

 でもしーちゃん、そっちに行かないようにしてるの?」

「……」


 ああ、やはり。

 この子は魔法をとして見えるのか。

 何回かそんなことを言う節があったが、これで核心を得た。得てしまった。誤魔化しなんて効かない。

 はぁ、と思わずため息をつき、クロアを下ろして目線を合わせた。


「正直に言おう……私はそろそろ、行かなければならないらしい。ずっと遠くのところへ、な」

「それって、どれくらい遠く? いつ、帰ってこれるの?」

「……それは分からない。でも、私がいつまでもここにいては、いろんなところに悪い影響が出てしまう」

「っ……出ちゃったら、どうなるの?」

「どんな影響かは様々だが、確実に言えることは……」


 その問いに、一拍おいて答えた。


「もう二度と、私と会えなくなる」


 これは確実だった。どう足掻いても、それは免れなくなる。

 言ってしまうと、やはりクロアは泣きそうな顔になる。


「どうしても、ダメなの……?」

「……ああ」


 ダメなものは、ダメ。

 そう教えるように、クロアの頭を撫でた。


「……しーちゃんと一緒じゃ、ダメ……? しーちゃんと、離れ離れなんて……やだよぉ……」


 なんて、本当にずるいことを言ってくる。


「……」


 感情が揺らいで、表情に出かけてしまう。

 こういうところは本当に年相応だな……あんな環境下にいれば誰だってそうなるのは確かだが。

 そう思いながら、私は彼女の、溢れそうな涙を指で掬った。


「大丈夫だ。どれだけ時間がかかろうと、私は君の元へ帰ってくるよ。

 約束だ」


 そう言って、私は右の小指を出した。

 古い昔の、別の世界の東の島に、こう言った約束の仕方があったのを思い出して、それをやってみた。

 それを見たクロアは、戸惑いながら同じように右手の小指を出して、見様見真似で私の小指に絡めた。


「……これで、約束?」

「ああ。約束はこれで成立ってね」


 安心させるように、にこやかに笑ったものの、肝心のクロアはどこか不満げだった。

 それもそうかって考えていると、クロアは小指を絡めたまま離さずに言った。


「じゃあ、しーちゃんも約束して! しーちゃんがどうしても帰って来れなかったら、あたしが迎えに行くって!

 絶対、ぜーったい、約束だよ!」


 ぎゅっ。

 可愛らしい小指で、必死に掴んで、そう宣言した。


(ああ。本当にこの子は)


 健気で、愛おしい。

 思わず、その小さな体を抱き締めた。


「わふっ!」


 彼女からそんな声が出てきたので、なんとか苦しくないように力を調節して。


「――ああ、約束しよう。でも、無理はしないでくれ」

「……うん!」


 そうして約束した日。




 それが、クロアと一緒に過ごした、最後の日となった。

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