2 深淵の過去Ⅰ
始まりなんて記憶にない。
漠然と感じていたことがあるとするなら、ただただ『弄びたい』『壊したい』『戦いたい』。ひたすらこれだけを考えていた。
そのために知識を、魔法を、ありとあらゆるものを学び、奪い、殺さなければならないとそう実感していた。何か巨体が殴ってきたり刺してきたりしていたような気がしたが、そんなモノなんて気にする価値すらなかった。
そうして気がついた時には、真っ赤な死体の中にいた。異形な怪物たちの無惨な死体だ。周りを見てもその怪物のみ。所々その死体が山になっている。
黒い多翼と尻尾を揺らし、リズムを取るように。それを踏み潰しながら歩く。
「ふふ……ふふふ、あは、ははははははははははははは!」
その時の私は笑っていた。
心の奥底から歓喜に極まったような、だが決して正気を感じられない声で笑っていた。
でもこの時のことはよく覚えている。
『楽シカッタ』
その一言に尽きる。
「くっははは! 流石だ! ガチの軟弱者だっつーのに、まさか俺が作った『悪魔』の九割近くを皆殺しにしてしまうとはなァ」
妙な男が現れた。怪物とは違って角もなければ翼も尻尾もない。完全なヒトガタというモノだった。
けれど、男の素振りや先ほどの言葉を吟味すると、あながち嘘ではないと確信した。
この男は、自身とこの怪物たち――『悪魔』の創造主。
そう『知識』が告げた。
「ようガキ。もっと暴れられるようになりたいか? なりたいなら力の使い方を教えてやるぞ」
私にとって『父』に該当する男からの提案。
疼く殺戮衝動と、これから見るであろう未知への期待を胸に、私は『父』の『子』になった。
◆
あれから幾年が経った。
黒一色に塗り染められた宮殿の奥、王が座すような大広間にて異形の軍勢が、私を崇拝するように平伏していた。
「新たな王の誕生に万歳!」
「魔神王陛下万歳!」
「どうか全ての世界に厄災を!」
「人間どもを堕落させ忌々しき神々を屠り殺す、完全なる滅びを!」
「終焉を! 世界の終わりを!」
畏怖と狂愛。それらが支配する異様な玉座。
そんな空間の中で、多くの異形たちの声を聞いていた。
配下たちの歓声。そして、己の内側で胎動するように疼く、『本能』。
――頃合いだな。
それを感じつつ、立ち上がり、突き刺さっていた黒い剣を引き抜く。
腰まで伸びた髪が靡く。
「ではこれより、全ての世界への侵軍を許可しよう!」
自然と狂気を孕んだ、恍惚とした笑みを浮かべて。
「各々の欲望のままに、ありとあらゆるもの全てを殺し尽くせェ!」
宣言する。
応えるように、悲鳴のような歓喜喝采が轟く。
その光景を見てしまった者がいれば倒れるのは間違いない。まるで正気度が抉られて減ったような、そんな得体の知れない感覚が全身を襲って発狂するだろう。
異形の歓声は衰えることを知らず、大音量で空間を揺るがした。
◆
それから、何千年、何万年、何億年と月日が過ぎた。
その年、その日、その刻。
全ての神との、『ラグナロク』という戦争が勃発していた。
『天使』と『神々』。そして我らが率いる『悪魔』。その二つの勢力が派手にぶつかっていた。
ありとあらゆる生き物たちが、戦争に巻き込まれて死んでいく。
バラバラにされたもの、燃やされたもの、溶けたもの、老化して朽ち果てたもの、分子まで分解されたもの……あらゆる方法で全部死滅していった。
だが私はそれよりも、違うことに集中していた。
当時、私の目の前にあったのは――一つの宝石。
その勾玉のような形をした宝石があった場所は、表の戦場によってガラ空きになってしまった、天上界の最秘奥だった。
周りにも似たような宝石が保管されていたが、私の目の前にあったソレが一番強い力を持ったモノだと実感していた。
厳重に封印魔法で保管されていた、その掌サイズの宝石を前に、私はその封印を綺麗に解いて宝石を手に取り。
ソレを――躊躇なく飲み込んだ。
綺麗に歯を立てずに、ごくんっと。
「――が、ぁ――‼︎‼︎‼︎」
瞬間に激痛が走った。
いや、激痛なんて生ぬるいモノではなかった。
肉体が、精神が、魂が、何の容赦もなく、飲み込んだ『力』に侵食され犯され交わっていく感覚が、この世のものとは思えないほどの痛みとして襲いかかってきたのだ。
ビキリッ。
片目のあたりから、そんな奇妙な音が鳴った。
そのままで立てずに倒れ込み、無様にのたうち回っていた。
「あ、ギィ‼︎ ガァ、ァ、ァ、アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア‼︎‼︎‼︎」
絶叫が響く。喉が張り裂けるほどに狂い叫ぶ。
ビギッボコッゴリュッ、バキバキバキバキゴリゴリゴリグチュグチュメキメキメキメキ‼︎
自分を構成する全てが、そんな奇怪な音を立てて作り変わっていく。
体が取り込んだ力によって壊れないように。
精神が無色の力に取り込まれないように。
魂がその力の重さで潰れないように。
遠慮なく、一気に、徐々に、ぐちゃぐちゃに、愚呪愚呪に作り変わっていき……その時だった。
ドクンッ!
そう『全て』が脈打って。
私の中で、それは起こった。
それは、一瞬の出来事だった。
星の瞬きに見えた。
強くなれれば、『理想の楽園』を作る事ができるかもしれないと。
そう遠い、遠い、遠い、古い昔に、本気で考えていた。
「ふふ」
死にながら、作り変えられながら、再構築されながら。
何かの一線を超えた。
自分を見えない枠に押し込めていた箍のようなものが壊れた。それを根拠もなく実感する。
まるで水瓶を割った時と同じように壊れて、中に納められていたソレは溢れ出て、魂も肉体も器も満たしていって。
本当の意味で、目覚めた。
「世界が広い」
ゆらりと立ち上がって、両手を上げ、見上げる。
謳うように、美しき“神”は呟く。
「夜空の奥行きが見える」
星々の祝福が待っている。
この無限に続く空には似合わない、そんな言葉さえ自然と脳裏に浮かぶ。
「私は 総てを愛している」
そして『魂』は、完全に交わり切った『根源』は囁く。
全てを。彼の全てを確定させるほどの、言霊を口にした。
〈さあ。生まれる時だよ、〝深淵〟。全てを凌駕して、全てを支配して、全てを愛そう〉
そんな『声』が聞こえて、“確信”した。
「く」
まるで『地に住む悪魔が神になった』という、絶対にありえない出来事が起こっていた。
――いや、もうそれは“悪魔”でも、“神”でもない。
それ以上の、『始祖』を超えた『何か』だった。
故に、
「く、はは」
怯えろ。
驚嘆せよ。
絶望せよ。
泣き喚き……
「はは、ははは、はは……」
……狂い果てるがいい。根源よ。
「あははははははははははははははははははははは――ッ‼︎」
『私が、〝神〟であることを思い知れ』
この現状を見て、『私』は歓喜の狂笑を上げていた。
『楽シイ』
『楽シイ』
『楽シイ!』
『これぞ至高の喜びよ!』
本能がそう告げる。
満足するまで、ゲラゲラと笑い続けた。
そして……満足に笑った私は、すぐさま戦場へ戻った。
そこから先の、無限に等しいほどの時間の中で起こった出来事全ては、具体的な言葉として、話として示し表すことが出来ない。
ソレはありとあらゆる攻めを、ありとあらゆる守りを、ありとあらゆる魔法を、その全てを
どんな天使であれ、どんな強大な神であれ、世界の終焉を招く者であれ、ソレと相対すらば
そうして狂った者、死に絶えた者を糧に、絶望は更に世界を壊していく。
正体不明の
果てにあるのは全てを滅す
正に真の『地獄』。
いや、『地獄』ですら比肩できない終末の光景だった……
なんと甘美で、愉しい殺し合いだろうか――‼︎
《始祖》によって概念もろとも消されて死んでいるにもかかわらずに、そちらに思考を向けていた。
ああ、ついつい考え事をしてしまう。
細かい光の粒子になったそれがたちまちに集まり出して、再び肉体を再構築する。
本来なら傷すら付けられないはずなのだが、あえて肉体の強度を落としている。何故なら、再生するその感覚がとても甘く、快楽に満ちるのだ。
そう思い返した私は、眼前にいる――傷付いた《始祖》に目を向ける。
普段、《始祖》は感情を全く露わにしない。常に無表情で、一切の情も無く相手を断罪する。
なのに、私を目にするそれには驚愕の色とそれ以外の色が見えた。
恐怖の色はないはずだった。《始祖》が何かに対して『恐怖』することは無い。
だが驚くことはあるようで――そして『恐怖』していた。それがとても新鮮で面白い。何度も見ているが、飽きもしなかった。
こんなことを繰り返してどれほどの時間がたったであろうか。もはや《始祖》と対峙したあの瞬間が、ずいぶん昔のように感じる。
周りは荒野と呼ぶに相応しいほど荒れていた。
灰色の土が砂として舞い散る中、もう悪魔の同族の姿も、神々やら天使達やらの姿も見えなかった。
いや、この戦いの中に入れないだけ……
だと思われていたのだが、何故――
「なんだ、お前」
視線をずらすと、不躾にこの戦いに介入した“白い神”の影が映る。
私の体を貫くそれは、その神が手にしている白い大剣。精霊か神でしか触れることが出来ないはずの聖剣だが……肉体の強度を落としているとはいえ、そんな程度の聖剣では貫くどころか傷一つつけられないはずだった。
――直感で理解した。
この神は《始祖》の『血族者』。私と同じ、《始祖》を上回る存在だ。
神器に該当するこの聖剣を――本来の性能を完全に解放した状態で扱うことが可能だということか。
口の中に鉄の味が広がってごぽりと血を吐き出す。溢れた血はそのまま足元に落ちて、血溜まりを作った。
久方ぶりに血の味を感じた。例え傷を負っても瞬時に治ってしまっていたので、これはこれで懐かしく感じる。
その光景を見ても“白い神”は何も言わない。苦悶の表情をしているだけで、言おうともしない。
ああ、そうか。
それを見て私は、小さく頷いた。
「甘い奴め。そこで手を止めてどうする?」
そう言った時、“白い神”の顔はあまり表情が変わらなかったが、確かに驚いていた。間抜けたその顔を見て笑いそうになった。
“白い神”は確かに《始祖》を超越している存在。
しかし、外の世界を知らない坊ちゃんだった。だから、悪魔に対して情けをかけようとしている。
馬鹿な『餓鬼』だ。情けをかけて改心するなら、悪魔なんてとっくに絶滅しているわ。
……と言っても、あえて加減している可能性はあるが。
貫いた聖剣を中心にパキパキと音を立てて、肉体が塩に包まれているのを見ながら苦く笑った。
「ただ、このまま敗北というのはなぁ……勝ちたかったなぁ」
まるで独り言のように呟き、もう
落ち着いたようで、いつもの無表情に戻っているが、安堵の色が僅かにあった。
一瞬のうちに《始祖》は近づき、“白い神”を退かして聖剣に触れる。《始祖》に触れられた聖剣はその輝きを増し、一気に塩で包み込んでいく。全身を固められて、顔まで侵食していった。
ああ、これで眠らされるのか。
瞼が重くなるのを感じながらそう確信して――もう一度、言い残した。
「次に私が目覚める時、せいぜい世界が壊れないように気を付けろよ」
悪魔――『深淵ノ魔王』は封じられ、数多の世界はもう一度、神たる者――《始祖》によって創造された。
◆
そうして――封印の『内側』で、封印の『外側』で、手を付けぬうちに。
何度も何度も、何度も何度も、『自分』という
うとうとと。黒、その一色しかない空。透明な水で埋め尽くされた世界で、眠っていた。
いつの間にか、独りでいることに慣れてしまっていた。
でも、それはいつからだろう?
完全に封印されてからか。
数多のモノを壊してからか。
同胞を皆殺しにした時か。
戦争を始めた時か。
『王』になった時か。
……あるいは、生まれた時から?
何故、私は悪魔という存在として、このような存在として生まれ落ちてしまったのだろうか。そんな疑問が常によぎっていた。
ずっと上を目指して足掻いてきたはずだ。ずっとずっとずっとその先を目指して、頑張ってきたはずだった。
でも、どう足掻いても。
生まれた時からあった、胸の中のぽっかりと空いた穴は埋まらなかった。
悪魔としての“殺戮衝動”でも、取り込んだ『根源』でも、穴は埋まらず。
埋まるどころか、余計な飢えを感じるようになった。
あれから、一体どれほどの時間が経ったのだろう。
何回も何回も何回も、無限に脱走と封印を繰り返して……完全に興味を無くすまで、どれほどの世界が壊れたのだろう。
ただただ生きているこの現状。
もう生きるのに疲れてしまっていた。
でも、何度も何度も何度も、死のうと思って自害しても、肉体にも魂にも傷をつけることが出来ず、死ぬことも出来ない。
【原点】というものが、“神”というものがどういうものなのか、痛いほどわかった。
分かっても、とっくに手遅れだった。
だから、この世界から出ていろんなものを壊すことで、この身体の一番深いところで疼く『何か』を無くそうとしていた。無くしたかった。
ちょっと暴れるだけで、ちょっと障害物を退けただけで、面白いように世界が壊れていった。そうした後、『何か』が無くなるどころか、疼きが痛みとして変わるような感覚に襲われたのだが、私は壊すことをやめなかった。のめり込むように。依存するように。自分自身を締め付けるように。ぐちゃぐちゃに、何個も、何個も、何個も、世界を壊した。
これを永遠、延々、永久に繰り返す。繰り返し続ける。そうすれば、この痛みを忘れられるのだから。
そうして
――本当にこれが……
そうしてさらに時が過ぎ去り。あらゆる生物が劣化しきった時。全ての世界のほとんどが、壊れきった頃。
……不意に眠気に襲われた。普段眠りに就くことも無くなったのに、何の前触れもなく眠くなってきた。
普段と違って、これに身を委ねてしまったら、もう二度と起きることは無くなると。そんな確信があった。
ああ、でも。もういいか。
死ぬことが出来ないのなら。永遠に起きることが無いのなら。このまま眠ってしまおうか……
だが――心残りがあるとするなら――
――……この渇きを、満たす方法を……
このぽっかりと空いた、穴を埋める方法を……見つけたかったな……
ふつふつと、意識が蕩け落ちるように。
まるで身体が溶けて、消えていくように。
目覚めることの無い、深い、深い、深い眠りに落ちていって……
気がついた時。
「お兄さん……どこから、入ってきたの?」
すぐ近くに、人間の少女がいた。
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