夏の君

大将

夏の君


「隣の席だね!今日からよろしくね!」


 夏休みが目前まで来てる一学期。最後の席替えでそんな言葉と、キラッとした笑顔を見てから、オレの中でアイツの何かが変わった。

 今まではその辺のうるさい女子と変わらなかったのに、アイツだけは輝いて見えていた。


「なぁ健二けんじー」

「んあ?」


 変な気分になったその日の帰り道。幼稚園から幼馴染の健二に声をかけると、相変わらず気だるそうに返事やが来る。


「なぁオレ達親友だよな?」

「改まって気持ちわりぃ。宿題でも見せてほしいのか?」


 オレは首を振ると喉元でつっかえてるような言葉を絞り出して声にした。


「ちげーよ!その……オレさ。隣の席のアイツ見てると……変な気分になるんだよ」

「はぁ?」


 健二はまるで道端の犬の糞でも踏んだような顔をしながらオレを見てくる。オレだって頑張ったのに……。

 煽るような健二の言い方にオレも思わず声が大きくなる。


「だから!今日席替えして、オレの隣になったアイツ! アイツ見てると――何かこう……胸が苦しくなるっつーか、変な気持ちでおかしくなるんだよ!」

「なるほど……へぇ〜」


 健二は何度か頷いた後、口元に気持ち悪い笑顔を浮かべながらオレの方を見てくる。その顔が凄くムカついたけど何かをわかったようにも見えた。


「何だよ……こっちはどうしたら良いかわかんなくて困ってんだぞ!」

「俺達も中学二年だしなぁ。お前にも来たのかもしれないな!」


 健二が何を言いたいのか分からないオレは、何とも言えない変な恥ずかしさとイライラで声が強くなる。思わず手が出そうになるも、喧嘩はしたくなくてグッと堪えた。


「何が言いたいんだよお前!」

「それはな、お前あの子の事が好きなんだよ」


 健二の言葉にオレは何も言葉が出なくなってしまった。そんな健二は喜んでいるような、バカにしているような笑顔を浮かべている。


「好きって……はぁ!?」

「お前誰かを好きになった事ないのか?なら初恋ってやつだな!」


 背中を叩きながら親友だからこその面倒くさい絡み方をしてくる。でもそんな絡みよりも恋と言われた事の方がオレの中で引っかかっていた。


「恋って、そんな……」

「ああ、でもあれだぞ?」


 健二は思い出したように左手の人差し指を立てる。


「母さんが言ってたんだけどな『初恋は叶わない』って言われてるらしいぜ」

「何だよその都市伝説みたいなの」


 普段オカルトな事を言わない健二から出た珍しい言葉に、オレは半信半疑な思いが込み上げてきた。


「まぁ頑張ってみりゃいんじゃねーの?このまま彼女いないの、嫌だろ?」


 そう言った健二の顔は、さっきまでのからかう子供のような表情とは違い、真剣なものに変わっていた。

 真剣な表情の時は絶対にふざけたりしない。それがわかっているからこそ、オレは静かに頷いた。


「てかそういうお前はどうなんだよ!」


 恥ずかしさを誤魔化すように話題を変えると、健二は待ってましたとばかりにニヤリと笑い無言でスマホの画面を差し出してくる。

 そこには笑顔の健二と仲良く映る茶髪の似合う女の子の姿があった。


「は、えぇ!?」


 情けない叫び声が出てしまうオレを見て、健二はお腹を抑えながら笑いを堪える。


「いやぁ悪い悪い、去年の年末からなんだ。それと明日からは彼女と帰るからお前との楽しい登下校も今日で最後だぞ」

「マジかよ……ちょっと冷たすぎねーか?」


 突然の別れのような言葉に妙な焦りと寂しさが押し寄せてくる。だが健二は大事そうにスマホをポケットへしまうと、オレとは反対方向へと帰っていく。

 その姿がどこか、オレとは違う人生へ向かっているようにも見えた。


「彼女優先なんだよ、それじゃ頑張れよ〜」


 健二は背中を向けながら右手を上げてひらひらと揺らし帰路へつく。

 置いてきぼりにされたような、妙な孤独感が押し寄せてくる。


「今日から一人かぁ。いいなぁ健二は彼女と……」

「ねぇねぇ!」


 健二ではない突然の呼び掛けにオレは情けない声を上げながら声が聞こえた背後へ視線を向ける。

 そこには隣の席になったアイツがニコニコしながら立っていた。


「な、なんだよ……」


 オレは情けない声を聞かれて全身が熱くなるのを感じて顔を逸らしながら平静を装う。


「ねね、よかったら一緒に帰らない?たしかこのまま右の方だよね?」

「ああ、そうだけど……なんでオレなんだよ」


 アイツの人差し指を口元に付けながら考えるような仕草に心臓の鼓動が早くなるのを感じる。脈打つ度に体が動いているような感覚も表れ始めた。


「ん〜せっかくお隣になったし、仲良くなりたいなぁって思って!! それに私も同じ帰り道なんだー!ダメかな?」


 オレの身長より頭一つ分くらい背の低いアイツは、自然と上目遣いの体勢で見つめてくる。決して後々からかうような素振りは無い。

 オレは恥ずかしさのせいか痒くなった頭を掻きながら頷く。


「わ、わかったよ」

「やったー!それじゃ帰ろ!」


 アイツはまるで小さな子供のようにぴょんぴょんと跳ねてから、オレの隣りをご満悦の笑顔で歩く。

 家までは数キロあるがその間、オレはぽんぽん話題を出してくるアイツに上手く返事が返せずにいた。


「へぇ〜じゃあ思ったよりお家近いじゃん!」

「う、うん」


 アイツは急に無言になったかと思うと、目を細め斜め下を向いて歩くオレの顔を覗き込んで来た。その表情は怒っているような、心配しているような表情を浮かべている。


「ねぇ〜私と帰るのつまんない?」

「い、いや!そう言うんじゃ……」


 否定するも上手く伝わらず更に疑いの目を向けてくる。オレは観念して小さなため息を吐くと、喉元で詰まる言葉を零すように漏らした。


「ただ緊張してるだけだよ……」

「へぇーそうなんだぁ。んじゃさ、緊張しなくなるようにこれからも一緒に帰ろうね!」

「はぁ!流石に毎日は――」


 ジッと見つめてくるアイツの瞳に自分が映る。それぐらい近い距離に顔がある事に気付き恥ずかしさに負けて顔を逸らした。


「わ、わかったよ」

「決まりね!」


 最初は口約束だと思っていた。

 だがそれからは本当に毎日、アイツは校門の前で待っていた。オレを見付けては元気に手を振りながら駆け寄ってくる。

 和やかな時間はあっという間に過ぎ、明後日から夏休みが始まるという日。オレは今日もアイツと帰るのを楽しみにしていた。


「明後日から夏休みか」

「よう、相変わらず一緒に帰ってんのか?」


 健二がイタズラを企む子供のような笑顔で歩み寄ってくるなり言い放つ。


「まぁな。学校でも話してんのに帰りでもずっと喋っててさ。よく話題が出てくるよな女子って」

「まぁ好意があるから色々聞いて欲しいんじゃないか?」


 何の迷いも無く健二がそう言うと、アイツの笑顔が浮かんでくる。隣りの席で見る時と、帰りの席で見る二つの優しい笑顔。どちらも簡単に思い出せる程月日が経っていた事を改めて感じる。


「そうなんかな」

「それより明後日から夏休みだろ?前前夜祭って事でこれから裕也ゆうや達とカラオケ行くんだけどお前もどうだ?」


 健二の誘いに、オレの中で行きたいと言う思いが波のように押し寄せる。だが同時にアイツの笑顔も浮かんで来た。


「いいね、でもアイツと帰るしな……」

「別に約束してるわけじゃないんだろ?それに家が近いんなら夏休みに家に行き放題じゃないか」

「行き、放題……」


 健二の言葉にオレの頭の中は色々な想像が巡っては消えて行く。アイツの家やオレの家で行ったり、どこかに遊びに行くイメージも浮かんでくる。


「さぁ変な想像してないで、行くだろ?」

「ああ、たまには良いかもな」

「よし、じゃあ二十分後に校舎裏の校門に集合な」


 そう言って健二は笑顔を浮かべながら荷物をまとめる為に自分の席へと帰って行く。そして数秒と待たずにアイツが自分の席へと戻って来た。

 オレは「今日は一緒に帰れない」と伝えようとアイツの方へ向く。


「なぁ、今日の帰りなんだけどさ」

「……」


 いつもなら顔を見るとにこやかな笑顔で返して来るはずが、今は少し下へ視線を向けたままオレの方へは向かない。そして何より笑顔どころか不機嫌そうに眉をしかめている。


「おい、聞いてんのか?」

「ん」


 アイツはぶっきらぼうに小さく呟きながら小さく折られた一枚の紙を手渡してきた。オレがその紙を受け取ると、アイツは再び立ち上がる。


「後で見て。私委員の仕事あるから、んじゃね」

「あ――何怒ってんだよ。まぁ後で言えばいいか」


 オレは紙切れをポケットにしまうと、リュックを背中に背負って校舎裏の校門へと急ぐ。数分遅れたせいか、すでに健二や裕也達が校門前で待っていた。


「悪い、遅くなった」

「大丈夫だよ。一番遅れてるやつが――ほら来た」


 健二が見つめる先を見ると、別のクラスの女の子が手を振りながらこちらに駆け寄ってきていた。クラスは違うが顔には見覚えがある。

 健二が前に見せてきた彼女の写真の本人だったからだ。


「ごめーん遅くなった!」

「大丈夫だよ」

「お詫びにジュース奢るね〜……って何で君ここにいんの!」


 健二の彼女はオレの顔を見るなり驚きながら視線を鋭くさせる。


「え?」

「え? じゃないよ!あの子委員の仕事先に終わったから帰らせたのに、校門の所でまってたよ!?」

「はぁ? でも……」


 その時、ポケットに入れていた手紙の存在を思い出す。小さく折り畳まれた緑色の紙。破れないように広げると、「一緒に帰ろ」の文字が書かれていた。

 手書きの綺麗な文字を見た瞬間、アイツの笑顔と今日の不機嫌そうな表情が脳裏に過ぎる。

 オレの体は校門の方へ意識が向いていく。


「……悪い健二。オレやっぱ帰る!後でまた行こうぜ!!」

「あ!おい!」


 引き留めようとした健二を見て、彼女が左腕に抱き付きつ学校の外へと体を向ける。その姿にちょっとだけ羨ましさを抱きながらオレは校門へと走り出した。


「いいのいいの!さぁカラオケ行こー!」


 裏門から表門まで校庭を一直線に駆け抜け、いつもと何ら変わりない場所が見えてくる。

 そこには鞄を両手に持ち、俯きながら寂しそうな表情を浮かべるアイツが立っていた。


「はぁ、はぁ、はぁ……悪い。ちょっと寄り道してて……」

「いいよ別に」


 いつもの笑顔が無い。アイツは曇った表情を浮かべたまま、そそくさと歩き出す。


「おい待てよ!」


 オレが引き留めようとするも、そのまるで振り払うかのようにアイツは無視を続ける。いつもの元気は無く、下を向くその顔は今まで見た事ない表情だった。


「なぁ、悪かったよ……」


 アイツの背中に言葉を向けるも返事は来ない。オレが三回目の謝罪に入ろうとした時だった。雷鳴と共に雲行きが急激に怪しくなり、最後は雨が降り始めた。

 突然のゲリラ豪雨。オレもアイツも帰路の途中に見えた古い納屋へと駆け込んだ。


「まさかこんな急に降ってくるなんてな……」

「……」

「なぁそろそろ何かしゃべ――」


 オレが言いかけた瞬間、近くで落雷が起きたのか、足から伝わる程の地響きと共に雷鳴が轟いた。

 アイツは轟音と同時に小さな声を零す。


「お前、雷怖いのか?」


 相変わらず何も言わないが、アイツを見ると立ったまま震えている。その時、オレの中で不思議な感情が芽生えた。


「え――」

「こ、これなら少しは怖くねぇだろ!」


 オレは左手をゆっくり伸ばすと、アイツの右手を掴んで強めに握る。そのまま半ばヤケクソに説得すると、何も言わないものの、雷がなる度に握る力が強なくなっていく。


「……うん、ありがと」


 耳を澄まさないと聞こえないほどの声にオレは自然と握る手に優しく力を込める。無言の時間が続くも、不思議と居心地は悪くなかった。

 ゲリラ豪雨だったからか、大粒の雨も通り過ぎたかのように幻想的な夕焼けが見えてくる。


「雨も止んだし、今なら帰れるな」

「うん……」


 納屋から出て手を離して帰ろうとすると、アイツの手に力が込められる。


「お前、手……」


 アイツの方に視線を向けると、ムスッとした顔で視線を逸らしている。誰かに見られたらまずいと思い何回さ離そうとするが、その度に離さないでと言うかのように拒否された。


「はぁ……んじゃこのまま、帰るか」


 観念したオレがそう言うと、アイツは小さく笑いながら隣に来る。今までとは違い、かつてない程の距離感にオレの心臓は強く全身に鳴り響いた。

 いつまでも続けばいいのに――。

 そう思っていた次の日に自体が一変する。


「えー本当に突然ではありますが。昨日づけで転校することになっておりました」


 アイツからではなく、先生から言われた言葉。

 オレは突然奈落の底へ落とされたような気分になっていた。


「どうして昨日なんですか? 普通ならもっと早く話すべきですよね?」

「彼女の願いだったのでそれを尊重したんです。 『誰にも悲しい顔をしてほしくないから』と言っていました」


 朝礼を終了させる鐘が鳴り、先生は慌てて名簿を片手に職員室へ戻ろうとする。


「では一学期はこれで終わります。皆さん忘れ物がないように帰るんですよ」


 先生の言葉など頭に入る訳も無く、オレは呆然としてしまった。

 夏休みを前にして全てを失った気分。それでもアイツを諦める事が出来なかった。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 そんな苦い思い出を呼び起こしながら、古い写真のアルバムを見つめるオレと、胡座をかいた足の間にちょこんと座る可愛い娘。

 後ろから見る雰囲気は、あの時の下校で見る表情にも似ている。


「これおとうさん?」

「そうだよ。あの時は本当に悲しかったな……」


 娘はオレの卒業アルバムの一枚を指さす。そこにはアイツの転校後に涙するオレの写真が貼られていた。


「かなしかったの?」

「うん、いーっぱい悲しかったかな」

「いまはぁ?」


 娘の質問にオレは口元を緩ませながら小さな頭を優しく撫でる。


「今はとっても幸せだよ」

「そーなんだ!わたしもパパがいてママがいるからしあわせ〜!」


 娘がオレの所から立ち上がると、クルッと向き直り勢いよく抱きつく。


「ママも幸せかな」


 娘と抱き合っていると後ろのキッチンから声が聞こえてくる。健二に「初恋は叶わない」と言われていたがここまで来る事が出来た。


「ママー!」

「まぁあの時は驚いたけどね。まさか中学卒業して引っ越し先の高校まで受けに来たんだから」

「パパすごいの?」


 アイツに元気よく抱きつく娘。二人の姿を見て、オレの中で熱いものが込み上げてくる。


「そうねぇ、ママの事が大好きでずっと一緒に居てくれたのよ」


 あの時と変わらない笑顔でニッコリと笑うアイツ。どこかからかうような表情にオレはまた顔が熱くなるのを感じる。

 こうしてまたアイツと過ごす何度目かの夏が始まった。

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夏の君 大将 @suruku

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