第十五話

 桔梗家の広い屋敷のまわりには野次馬たちが集まっていた。彼らの間をすり抜けながら鬼童丸は聞き耳を立てた。


 ――蜘蛛に似た巨大なバケモノと鬼女が暴れているらしい。

 ――そら、そこの角を曲がったところ。

 ――バケモノに吹き飛ばされた人たちがまだ倒れているんだが誰も恐ろしくて助けに行けないんだ。


 野次馬たちの話から鬼門の方角に三姫とクラベがいるらしいと推察して鬼童丸は白くヒビ一つない塀の角を曲がった。何かが崩れる音が塀の向こうから聞こえる。

 真っ直ぐに伸びる道の反対の端が鬼門の方角だ。野次馬だろう見知らぬ顔の他に桔梗家お抱えの武士団の者たちも、牛車や牛までもが倒れていて身動き一つしない。

 彼らが倒れているあたりの塀は崩れて大穴が開いていた。


 塀に開いた穴に近付くに従ってざり、ざり……と引きずるような、土を踏みしめるような音が聞こえて来た。三姫とクラベは近いと判断して鬼童丸は刀を鞘から抜いた。


「鞘を捨てて戦いに挑むと縁起が悪いって聞いたことがあるけど」


 鬼童丸が無造作に鞘を放り捨てるのを見て後を追いかけてきていた季嗣はにやにやと笑った。同じく鬼童丸を追いかけてきた良仁の肩にはスズメ天狗がしがみついている。


「桔梗家お抱えの武士団の棟梁からかじり習った程度の素人です。げんかつぐ以前の話ですよ、私の場合は」


 鬼童丸は季嗣の言葉を鼻で笑うと刀を下段に構えた。崩れた塀に身を隠して大穴をのぞきこむ。跳ねるような足取りで大穴に真っ直ぐ入っていこうとする季嗣の襟首を掴み、引きずり戻すと良仁も塀の影から大穴をのぞきこんだ。


「……っ」


 良仁が声にならない悲鳴をあげたのは元は対の屋だったのだろう建物も几帳や御簾、高価だろう調度品も倒れ、崩れ、壊れ、瓦礫の山と化しているのが見えたからだ。被害額を想像して良仁は他人事だというのに胃のあたりを押さえた。


 瓦礫の山の上にはクラベがいた。牛と人を混ぜたような薄気味の悪い顔。牛車よりも大きな蜘蛛のような体。

 三姫はそんな相手の前足を掴み、奥歯を噛み締めて踏ん張っていた。緋色の袴も、白い単衣も、長い髪も、血の気の引いた白い頬も土や埃で汚れていた。肌のあちこちには擦り傷や切り傷もできている。

 それでもクラベの前足二本の細くなっているところをガシリと掴んで巨体のバケモノがこれ以上、暴れないようにと必死に動きを封じていた。


 ざり、ざりざり……。


 クラベに押されてわずかに後退る。ひび割れた地面に三姫の足幅分の線ができていた。塀越しに聞こえた何かを引きずるような音は三姫が土を踏みしめ、踏ん張る音だったらしい。

 だが、三姫も負けてはいない。


「ふぐ、ぐ……っ!」


 貴族の姫らしくないうなり声をあげて踏ん張るとクラベを押し戻した。


「おぉ、さすがは鬼! まだ踏ん張るか! いいぞ、いいぞ! 俺は何時間でも何日でも、お前が死んで俺が勝つまでやってやるぞ! 力比べだ! 力比べだぁー!」


 嬉々として叫ぶクラベを三姫は睨みあげる。


 巨大で、見るからに力のありそうなバケモノと、びんを切って元服こそしているものの、まだ少女と言っていい細腕の三姫の力が拮抗している。その事実を目の当たりにして良仁は唖然とした。

 季嗣はといえば目を爛々と輝かせてクラベと三姫の様子を見つめている。

 そして、鬼童丸は――。


「なんなんですか、この状況は……」


 巨大なバケモノにか、それとも屋敷の惨状にか。あるいは三姫の右額から生える角にか。目を見開いたまま棒立ちになっていた。


「ねえねえ、鬼童丸君。念のために確認するけど、お姫さん、昔からとんでもない馬鹿力だったなんてことはないよねえ?」


「そんなわけないでしょう。三姫様は頭に血が昇りやすいたちではありましたが馬鹿力ではありませんでした。もし馬鹿力だったら幼い頃から何度となく私の腕はへし折られ、顔面は陥没し、腹には風穴が開いていたはずです。ですが、見ての通り。私は今も元気です」


「あはは、君たちはどういう遊び方をしてたのさ」


「あの、鬼童丸君……本当に積年の恨みつらみが呪符を仕込んだ理由じゃないんだよね? 恋情が今回の一件の理由なんだよね? ね!?」


 険しい表情で三姫を見つめる鬼童丸の横顔を見つめて季嗣は呑気に笑い、良仁は顔を引きつらせた。そして、良仁の肩の上で腕――というか、羽を組んでいるスズメ天狗はというと呆れ顔でため息をついた。


「おいおい、お前ら、何言ってんだ! 姫さんは鬼で、鬼は強くて弱くて器用な生き物なんだ。クラベに勝てはしなくても負けもしない。当たり前だろうが……って、ひぇっ!」


 スズメ天狗が悲鳴をあげたのは季嗣がグイッと顔を近付けたからだ。


「鬼は強くて弱くて器用? それってどういうこと!? 鬼は家ほどの大きさの岩を軽々と持ち上げて、巨大な金棒を振り回して、大の酒好きで、村を襲って、人を傷つけて、食らうこともある怖ろしい存在じゃないのかい!?」


 頭のてっぺんによじ登り、しがみついて震えるスズメ天狗にため息をついて、良仁はそっと早口でまくし立てる年下の主人を押し返した。だけど、その程度で季嗣は止まらない。


「群れを成して都にやってきた鬼たちに酒を飲ませ、酔わせて退治した――なんて逸話もあるんだ! その時、鬼たちを退治したのが桔梗家だとされているんだよ! 鬼の長の娘が桔梗家の息子に恋をして、彼を助けるために宴会を開くよう進言したってね! 鬼の長の娘はその後、桔梗家の息子と結ばれて子を成して、それで桔梗家に鬼の血が混じったって話らしい! あとあと、桔梗家の庭には退治した鬼の死体が埋まっているという噂もあってだねぇ……!」


「全っっっ然、違う! 大の酒好きってこと以外、全然合ってねえ! 全くの別物じゃねえか!」


「そうなのかい!? それじゃあ、本当の鬼っていうのはどういうものなんだい、スズメ天狗君!」


 スズメ天狗の絶叫に季嗣は再び、グイッと身を乗り出した。


「鬼ってのは気の優しい連中なんだよ。人を食うなんてあり得ない」


「……そう、なんですか」


 鬼童丸も刀を握りしめてスズメ天狗の話に耳を傾けている。少しでも鬼の情報が――三姫の今の状況が知りたいのだろう。じりじりとした表情で膠着状態の三姫とクラベを見つめながらちらとスズメ天狗に視線を向ける。


「鬼は相手を映す鏡なんだ。弱いあやかしを映せば鬼も弱くなる。弱い相手とも触れ合うことができる。逆にクラベみたいに力の強いやつとやりあっても渡り合えるくらいに強くなる。でも所詮は鏡。力は拮抗するだけで鬼だけでクラベを倒したりは絶対にできねえんだよ」


「あのバケモノはどうして勝てもしない、負けもしない相手に力比べを挑むんだ」


 鬼童丸の問いに腕――というか羽組みをしたスズメ天狗は神妙な面持ちで答えた。


「クラベは自分がどれくらい強いのか知りたがってた。だから、自分の力を映す鬼と力比べをしてみたかったんだ。でも、鬼は滅多に隠れ里から出てこない。そこに鬼の姫さんが現れたもんだからここぞとばかりに力比べをしに来たってわけだ」


 スズメ天狗の言葉を咀嚼そしゃくして、飲み込んで――。


「私が、三姫様を鬼に変えてしまったから……?」


 鬼童丸はゆっくりと目を見開いた。


「つまり、この状況は……私のせい……? 私が……私が、三姫様をこんな目に……?」


 青ざめる鬼童丸がハッと顔を上げたのは、ざり……と土を踏みしめる音が響いたからだ。見るとクラベに押されて三姫が後退り始めていた。

 きつく、それこそ血が滲むほどにきつく唇を噛んだ後、鬼童丸は深呼吸を一つ。


「……罰は後で如何様いかようにも」


 囁くように言って刀を低く構え直した。


 ざり……。


 土を踏みしめる音が引き金になったかのように鬼童丸はパッと駆け出した。


「鬼童丸君、待つんだ!」


 良仁はぎょっとして叫んだ。止めようと腕を伸ばしたけれど、もう遅い。


「三姫様!」


 鬼童丸が叫ぶと三姫とクラベが同時に振り返った。


「きい丸!?」


「あーあー。また、うるさいコバエが集まって来やがった」


 クラベがニタァ……と笑うのを見て三姫は青ざめた。吹き飛ばされ、塀や地面に体を叩きつけられて動かなくなった人たちや牛の姿が脳裏をぎったのだ。


「きい丸、ダメ! 離れて!」


 悲鳴のような三姫の制止を無視して鬼童丸はクラベの背後に周り込むと刀を振り上げた。体の大きさの割に細い足を切り落として動きを封じようと考えたのだろう。

 だが――。


「邪魔だ、コバエ!」


 クラベは苛立たしげに叫ぶと後ろ足をむちのようにしならせた。眼前に迫る蹴りに鬼童丸は慌てて刀を構える。

 三姫の細腕でクラベの動きを封じられているのだ。実は大した力はないのではないか。


「……っ!」


 そんな淡い期待は鬼童丸の体もろとも呆気あっけなく吹き飛ばされた。

 左側から襲い掛かってきたクラベの足は構えた刀ごと鬼童丸の体を薙いだ。体が軽々と吹き飛ばされる。このままの勢いで地面か崩れた建物かに叩きつけられたら骨が折れるだろうか。あるいは、もっと酷い事に……。


 三姫の悲鳴が遠くで聞こえた気がした。

 鬼童丸が死を覚悟した瞬間――。


「鬼は相手の力を映す鏡、鬼だけでクラベを倒すことはできない。つまり……」


 白い光が一直線に伸びて三姫とクラベを囲むようにぐるりと円を描いた。円の内側が青白い光を放ったかと思うと地面から十本、二十本と腕が現れる。うごめく青白い腕たちは束になって鬼童丸の体を受け止めた。

 白い光の元を辿れば――。


「外部からの横槍よこやりが必須ってことだよねえ、良仁君!」


 季嗣が呪符を手にニタリと笑っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る