第十話
「三年くらい前、私が十二才、きい丸が十五才だったかしら。ケガをしているスズを見つけてね、世話をすることになったの」
雑で怒りっぽい三姫が言い出したことに伊勢たち女房は大反対した。三姫が上手くできない時に世話をさせられたり
地団駄を踏む三姫と渋い顔の伊勢たちを取り成したは鬼童丸だった。
「ケガが治って飛べるようになるまでです。長くても三か月ほど。そのあいだくらいなら三姫様と私でお世話できるでしょう」
鬼童丸もいっしょに世話すると聞いて伊勢たちは渋々ながら頷いた。三姫はと言えば鬼童丸も手伝うと聞くなり了承した伊勢たちに拗ねて唇を尖らせていたけれど、案の定――。
「ケガの手当てもご飯をあげるのも、きい丸の方がちょっと……ちょーーーっとだけ上手だったけど」
スズの世話はほとんど鬼童丸がやる羽目になった。
「姫さんは色々と雑なんだよ。薬をぐりぐり塗り込むし、メシだって一口が多いし、次から次に口に入れようとするし。スズの口は小さくて可愛いんだよ。姫さんの調子じゃあ、ケガは悪化するし、メシを喉に詰まらせて死んじまうって!」
「そ、そんなこと……!」
……あるかもしれない、と思ったのだろう。みるみるうちにうなだれた三姫だったけれどすぐさま顔をあげた。
「でも! でも、でも! きい丸より私が名前を呼んだ時の方がよく鳴き返してくれたわ!」
「そりゃあ、そうしないとすぐに拗ねてきい丸ってのに八つ当たりするからだろ」
「……うぐっ」
「そういや、この甘い匂い。スズが言ってた〝トウガシ〟ってのはこれかい?」
そんなことあるのだろう。胸を押さえてうめき声をあげる三姫をよそにスズメ天狗は唐菓子が乗った膳の近くへと飛び降りた。
「ええ、そうよ。……食べてみる?」
「いや、いいよ。天狗とは言えスズメの俺にはちょいと大き過ぎる。そうじゃなくて、スズがよく言ってたんだよ。男の子は〝トウガシ〟ってのが好物だったって」
ああ、と声をあげて三姫は笑顔で頷いた。
「すぐ食べるのは
「百合の花の中に唐菓子を隠して家に持って帰ってた」
スズメ天狗の後を引き継いでそう言った三姫はくすくすと笑った。
大人びた言動の多い幼馴染だったけど唐菓子のことになると子供らしい表情と必死さを見せた。白い紙に唐菓子を包み、筒状になっている百合の花の中に隠して持って帰る。百合の花は季節によって生花のことも、布や紙で折った造花のこともあった。
鬼童丸よりもずっと背の低い弟たちには見えないし、生花だろうと造花だろうと花に興味もない。両親や兄たちは気付いていただろうが弟たちに教えてしまうほど意地悪でもない。
百合の花を高い位置に飾って、あとは弟たちの目を盗んで少しずつ唐菓子をかじればいい。
思い出してくすくすと笑っていた三姫は不意に笑うのをやめた。
綿毛を乗せているのとは反対の手で鳥籠を引き寄せ、中に入っている布で折られた百合の花をのぞき込む。
百合の太くて特徴的な雌しべと雄しべを模して作ったのだろう。緑色に染め、
恐らく呪符。
これが季嗣が言っていた〝鬼の角が生えてきた原因〟なのだろう。
弟たちに食べられてしまわないようにと唐菓子を百合の花の中に隠したように。三姫に見つからないようにと呪符を百合の花の中に隠した。
鬼童丸に恨まれる理由。呪いを掛けられた原因。
思い当たる節はなくもない――どころか、思い当たる節しかない。だけど、やっぱりどこかで思っていたのだ。優しい幼馴染がそんなことをするわけがない、と。
でも、だけど、確かに呪符はあった。
鬼童丸がくれた花籠の中に、確かに呪符はあったのだ。
「だと言うのに、だ!」
スズメ天狗の声に三姫はびくりと肩を震わせ、慌てて顔をあげた。
「それを良く知っている姫さんは腹を立てると唐菓子を取り上げて、きい丸ってのの目の前でぜーんぶ平らげちまう。聞いたぞ。そんときだけはそのきい丸も目くじら立てて帰っていっちまったって」
「そういえば……そうだった、わね」
自嘲気味に微笑んで三姫は目を伏せた。
三日ほどすると何事もなかったかのように鬼童丸が会いに来てくれるから謝りもしないまま、うやむやのうちに元通りの関係になっていた。
鬼童丸に恨まれる理由をまた一つ思い出してしまった。
「それにしても……スズが返事をしてくれてた理由がそんな理由だったなんて。結構、傷つくなぁ」
「まぁ、
――スズのやつ。
そう言うスズメ天狗の声に三姫は顔をあげた。空を見上げたスズメ天狗は笑っていた。優しい笑い方だ。スズのことをとても、とても大事に想っているのだろう笑顔に三姫は頬を緩ませた。
「スズはこの鳥籠を出て行ったあと、あなたに出会ったのね」
「おうよ。姫さんにそっくりで怒りっぽくて、すぐに金切り声をあげるけど、明るくて、元気な良い女房だったよ。俺が天狗の修行を逃げ出しそうになるとケツ引っ叩いて気合入れてくれて」
怒りっぽいだの、すぐに金切り声をあげるだの、失礼だと怒りたいところだけれど三姫にはそれよりも気になることがあった。
「良い女房……だった?」
茶色い羽を器用に組んで話すスズメ天狗に三姫は首を傾げた。ハッと目を見開いたスズメ天狗は三姫を見上げ、みるみるうちに肩を落とした。
「去年、死んじまったんだよ。修行を終えて立派な天狗になった俺を見る前にな。修行中は山から下りられない。俺が天狗になれたら二羽で姫さんたちのところに会いに行こうって約束してたんだけどな」
そう話しているうちにもスズメ天狗はポロポロと泣き出してしまった。
スズに会えなかったこと。死んでしまったこと。それはとても悲しい。
でも――。
「スズはこの鳥籠を出て行ったあと、幸せだったのね」
スズメ天狗の涙を指でぬぐって三姫は微笑んだ。スズを大事に想ってくれる誰かと出会って、スズが幸せに暮らしていたのだと知れて、それがとてもうれしかった。
鬼童丸にも知らせたいと、そう思った。
「あなたが来たのはスズとの約束を果たすためだったのね。そのために私ときい丸に会いに……」
三姫の指を羽で押しやってスズメ天狗は首を横に振った。
「それもあるが姫さんときい丸ってやつに……ケガをしたスズを助けてくれた女の子と男の子に頼みたいことがあって来たんだ」
「頼みたいこと?」
オウム返しに聞くとスズメ天狗は深くうなずいた。
「話を聞いてはっきりした。姫さんは間違いなくスズが言っていた女の子だ。人間じゃなくて鬼だったなんてなぁ。まあ、スズのやつも結構、おっちょこちょいだったからな」
「何度も言ってるけど私、本当に鬼じゃなくて人間なのよ? 今は角が生えたり目の色が猫みたいになっちゃってるけど、ほんの昨日までは普通の人間だったの!」
「そうかい、そうかい。きい丸ってやつは間違いなく昨日も今日も人間なのかい?」
信じているんだか、いないんだか。スズメ天狗のおざなりな返事にため息をついて三姫はうなずいた。
「ええ、きい丸は間違いなく人間。……それで? 私ときい丸に頼みたいことって?」
「そう、頼みたいこと! 天狗になった俺は普通のスズメよりも長生きする。しばらくはあっちで待ってるスズにも会いに行けないだろう。だから、せめてスズの名前をもらえないかと思ってな。それで姫さんたちに会いに来たんだ」
不思議な頼みごとに三の姫は首を傾げた。
「それはもちろん構わないけれど……あなたにだって名前はあるでしょう? その名前はどうするの?」
「名前なんてないさ。スズメだからな」
首を傾げる三姫にスズメ天狗も不思議そうな顔になる。
「いっしょに修行してたカラスたちも名前があるやつなんていない。名前があったとしても、そりゃあ、どっかの誰かが呼び始めた〝悪名〟ってやつだ。スズは特別だったんだよ」
「そう、なの……?」
そういうものなのだろうか。三姫とスズメ天狗は顔を見合わせて首を傾げる。
「それじゃあ、これからきい丸のところにもお願いをしに行くの?」
「もちろん、きい丸のところにも頼みに行くさ。名付け親全員からの許しを得なけりゃあ、名前はもらえないもんだからな。……今、この屋敷にきい丸ってやつはいないのかい?」
首を横に振る三姫を見てスズメ天狗はそうかい、と呟いた。
「それじゃあ、きい丸ってやつのニオイがついた物は何かないかい? ただのスズメには到底、無理だろうが、天狗の俺なら犬並みの嗅覚できい丸の居場所を探し当てられる!」
「きい丸のニオイがついてる物……?」
少し考えて三姫は花籠を撫でた。
「この中に入っている布でできた百合の花。これにならきい丸の匂いがついているんじゃないかな。……本当は家まで案内してあげられたら良かったんだけど」
三姫はそう言って額に触れてみた。右の額にはあいかわらず角のつるりとした感触がある。右の目も明るいところに出てきたときの猫のような目のままなのだろう。
こんな姿を鬼童丸に――大好きな幼馴染に見られたくはない。例え、この姿が鬼童丸がくれた花籠が原因だったとしても。鬼童丸が望んだことだったとしても、だ。
「そうだ、きい丸のところに行くなら唐菓子も持っていってくれる?」
「それくらいお安い御用だ! スズメ天狗便に任せな!」
ばさりと羽を広げて胸を張るスズメ天狗にくすりと笑って三姫は唐菓子を一つ、紙に包んで差し出した。本当はあるだけ包みたかったけれどスズメ天狗の小さな体では一つを運ぶので手一杯、羽一杯だろう。
最後に見た幼馴染は怖い顔をしていた。これまで見た怖い顔とは何かが違う、怖い顔。
一昨日のことも今までのことも唐菓子一つで許してもらえるとは思っていない。鬼になった原因が鬼童丸がくれた花籠だという事実も呑み込み切れていない。
だけど、いつもは大人びた幼馴染が唐菓子を食べたときに見せる子供っぽいくしゃりとした微笑みが――。
「……好き、だから」
「姫さん、どうした?」
泣きそうな顔で呟く三姫をスズメ天狗は心配そうに見上げた。
と――。
「あば! あばばばばば!」
綿毛がパッ! と、飛び起きた。甲高い声で鳴いたかと思うと
「……何? どうしたの、急に」
残されたのは三姫とスズメ天狗だけ。しん……と、静まり返った鬼門の対の屋に三姫の声だけがむなしく響く。小さなあやかしたちが再び姿を見せる気配はない。
不思議に思いながらスズメ天狗へと顔を向けた三姫は目を丸くした。スズメ天狗が真っ青な顔をしていたからだ。一点を見上げて綿毛みたいに体をぷるぷると震わせていたからだ。
「……まずい」
「まずい? 何? どうしたの?」
スズメ天狗が見つめているのは屋根の上のようだった。簀子に座っていては見えない。三姫は緋袴の裾をたくし上げると素足のまま庭へと下りた。振り返って屋根が見える場所まで後退る。
「姫さん、だめだ!」
慌てて追いかけてきたスズメ天狗が三姫の肩にしがみついた。
でも、もう遅い。目が合ってしまった。
「あれは……何?」
三姫は震える声で言った。
屋根の上には体は蜘蛛、頭は人間と牛を混ぜたような赤ら顔の巨大で醜いバケモノがいた。
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