第四話

 騒ぎを聞きつけてやってきた母親は三姫の姿を見るなり卒倒した。そんな母親の看病に伊勢はかかり切りになってしまった。慌てふためく三姫をなだめ、頭から単衣を被せて角を隠したくれたのは祖母だった。

 祖母に言われるまま、三姫は几帳きちょうで囲まれた部屋にこもることになった。


 祖母は屋敷の者たちにもテキパキと指示を出していった。

 三姫と母親は体調が悪くて部屋に籠っている。病が感染うつっては大変だから世話をする伊勢以外は近寄らないように。母親や伊勢に確認したいことがある場合は自分を通すように。

 いつもは背中を丸めて日向でうとうとしているばかりの祖母がしゃんと背筋を伸ばしてテキパキと指示する様子に三姫も伊勢も、伊勢いわく屋敷の者たちも目を丸くした。


 祖母は屋敷の者たちに三姫に身に起こったことをちらりとも話さなかった。三姫にも伊勢にも固く口止めをした。

 そして――。


「その角は鬼の角。鬼に触れれば人は傷付く。どんなに寂しくても、不安でも、決して触れてはいけないよ。母上様にも、伊勢にも、誰にも触れてはいけない」


 いつもよりもずっと優しい声で、諭すように何度もそう言った。


 どうやらとんでもないことが起こっているらしい。

 それを痛いほどに感じて三姫は角を隠すために被った単衣ひとえを深く深く被り直した。


 ***


 父親が帰ってきたのは日も傾きかけた頃だった。


 祖母からの文で三姫の身に起こったことは知っているらしい。


三姫さんひめ、母上……こちらですか?」


 そう言って北のたいに顔を出した父親は真っ青な顔をしていた。

 父親が御簾を傾けて入って来た拍子に赤い光が差し込んだ。カラスの鳴き声が遠ざかっていくのを聞きながら三姫は安堵の笑みを漏らした。


 正妻である母親と娘の三姫だけが暮らしている北のたいは今日一日、しん……と静まり返っていた。お喋りな伊勢も三姫も黙り込んでいたからだ。母親を励ます祖母の静かで落ち着いた声がするだけだった。

 そんな状態だったから父親の声を聞いた瞬間にほっと息が漏れたのだ。


「お父様……!」


 几帳の影から顔を出そうとした三姫は慌てて引っ込んだ。父親の後ろに見知らぬ男が立っているのが見えたからだ。

 十代後半。鬼童丸と同い年くらいだろうか。年相応に髪を結い上げて烏帽子えぼしを頭の上に乗せている。やけに肌の色が白く、弓なりに細めた目と言い、笑みを浮かべた赤い唇と言い、まるでキツネ面をつけたような顔をしていた。

 得体の知れない雰囲気の男に三姫は几帳の陰にうずくまると鬼童丸が置いていった花籠を引き寄せて胸に抱きしめた。今日一日、膝の上に抱きかかえ、手放すときも必ずそばに置いていたのだ。


「三姫、出てきなさい」


 几帳の陰に引っ込んだきり。一向に出てこようとしない三姫を父親が困り顔でのぞきこんだ。三姫の後ろで衣擦れの音がした。振り返ると横になっていた母親が伊勢の手を借りて半身を起こしたところだった。自身の夫と単衣を被った娘を心配そうに見上げている。

 隣に座る伊勢の手をぎゅっと握り締める母親はたった半日でずいぶんとやつれてしまった。青白い顔。荒れた唇。昨日、びんを切った娘の髪を優しい眼差しと手つきで撫でてくれたときとはすっかり風貌が変わってしまっていた。

 妻の変わり様に父親は目を見開いたが、安心させようと慌てて微笑みを浮かべた。


陰陽寮おんようのつかさの方が来てくださった。すぐにでも元の愛らしい三姫に戻るよ」


 陰陽寮は占いや天文、呪術やあやかしに関するあれこれを担当する部署だ。

 父親は優しい声で母親に語り掛けたあと、三姫の手を取って引こうとした。


「……」


 それを祖母が止める。父親の手首を掴んだ祖母は黙って首を横に振った。父親から見れば実の母だ。いつもはニコニコと穏やかに微笑むだけの母の、恐いほどに真剣な表情に父親は息を呑む。


 鬼に触れれば人は傷付く。だから、誰にも触れてはいけない。


 祖母の言葉を思い出して三姫は顔を上げた。これ以上、ワガママを言うわけにはいかない。唇を引き結び、鬼童丸がくれた花籠を抱きしめたまま几帳の外へと出た。


 三姫が出てくるのを見るなりキツネめん顔の男はずかずかと歩み寄ってきた。

 かと思うと――。


「君が角が生えちゃったっていうお姫さん?」


 いきなり被っていた単衣をはぎ取った。キツネ面顔の男と目が合う。

 男の人に顔を見られるなんて、子供の頃から数えても父親と鬼童丸、鬼童丸の父親くらいのものだ。鬢を切った姿は鬼童丸にも――大好きな幼馴染にも見せていない。


「返しなさいよ!」


 三姫はキッと目をつりあげると単衣を取りかえそうと手を伸ばした。

 でも――。


「やめなさい、三姫!」


 父親にピシャリと言われて慌てて手を引っ込める。首をすくめて上目遣いに見る三姫を父親はじろりと睨んだ

 二人の兄、二人の姉がいる末の娘だ。いつもは目尻を下げて大抵のわがままを許してくれる父親の怖い顔に三姫は唇を尖らせながらもうつむき、大人しくなった。


「えー、隠しちゃうの? 見せてもらわないと仕事できないんだけどなぁ」


 せめてもの抵抗にと顔を袖で隠して向き直るとキツネ面顔の男は間延びした調子で言う。呑気な口振りに眉間にしわを寄せた三姫はすぐに後悔した。

 呑気な雰囲気にだまされてはいけなかったのだ。


「ふぅん、これが噂の。このニオイは……鬼、かな?」


 気が付いたときには顔を隠していた袖を引っ張り下ろされ、閉じた扇子であごを上げさせられていた。

 キツネ面顔の男は無遠慮に三姫の顔をのぞきこむ。何が楽しいのか。男は目を爛々らんらんと輝かせ、ニッコニコの笑顔を浮かべている。


「右目の色も変わっているねぇ。書物に書いてある鬼の特徴と一致する」


「右目の色……?」


「んん? 気が付いてなかったのかい?」


 そう言ってキツネ面顔の男はただでさえ細い目をさらに細くして笑った。遠回しな言い方に苛立ちながら三姫は鏡の前に急いだ。

 掛けてあった布をあげた瞬間――。


「……!」


 三の姫は悲鳴をあげそうになった。無理矢理に飲み込んだのは母親にこれ以上の心配をかけたくなかったからだ。

 角を隠すためにずっと単衣を目深に被っていたから気が付かなかったのだ。角が生えているのと同じ方。右目だけが人ではあり得ない色に変わっていた。

 金色の硝子がらす玉に細い筆でスッと縦線を書いたような、明るいところに出てきたときの猫のような目をしていた。角に気が付いたときには黒い目をしていた。いつもどおりの自分の目、人間の目をしていた。


 徐々に、人ではなくなっているのだろうか。

 いずれはすっかり鬼の姿に――。


「見た目どおり固いのかぁ。いやぁ、興味深い!」


 鏡の前にへたりこむ三姫の角を扇の持ち手のところで突いてキツネ面顔の男は実に楽し気な調子で言う。男の笑い声に三姫は顔をしかめた。

 香木だろう。男の扇からは良い香りがする。ひんやりとした扇骨おうぎぼねの感触が角を通してはっきりと伝わってくる。認めたくないけれど自分自身の一部であるものに無遠慮に触られてぞわりと鳥肌が立った。

 それなのに全身から力が抜けてしまって扇を手で払うこともできないのだ。


「それは?」


 不意にキツネ面顔の男の視線が三姫が抱えている花籠に向けられた。キツネ面顔の男の目から隠すように三姫は花籠を抱え直す。


鬢削びんそぎの儀の祝いに貰った花籠ですが……それが何か?」


 三姫に睨みつけられても臆することなく、男は無遠慮な視線を布製の百合が収められた鳥籠に向けた。


「それ、ずっと持ってたのぉ?」


「えぇ。……何か問題でも?」


 花籠をしげしげと、執拗なまでにのぞきこむ男に三姫はますます顔をしかめる。

 と――。


「……っ」


 キツネ面顔の男がグイッと顔を近付けた。後退ろうとした三姫だったが男が耳元で囁いた言葉に体が凍り付いた。


「原因はそれだ」


 父親や几帳の影に隠れている母親たちに聞こえないようにという配慮だろうか。男は声をひそめて言った後、三姫の目をのぞき込んでニタァ……と笑った。


「その鳥籠の中に呪符が仕込まれているねぇ。だって、ニオイがするもの」


 呆然とする三姫を見下ろして男はさらに目を細める。


「でもまぁ、それがわかったところでこうなってしまってはどうしようもないんだけどね」


 ぽつり。呟いたかと思うと男は閉じた扇でパン! と手を打った。

 そして――。


「うん、これは無理だねぇ」


 父親に向き直るとあっけらかんとそう言い放った。


「……無理? 無理とは三姫はこの先、ずっとこのままということですか?」


 男はニヤニヤと笑いながらこくりと頷く。きょとんとしてた父親の顔がみるみるうちに赤くなった。もちろん怒りで、だ。


「あなたは陰陽寮の長――陰陽頭おんようのかみでしょう!? あなたが治せなかったら誰が治せると言うんですか!」


 父親の怒声に三姫はぎょっとした。穏やかな父親が怒鳴り声を上げたことに驚いたというのもある。でも、何より鬼童丸と年の変わらない、少年と言っても差し支えないようなキツネ面顔の男が陰陽寮の長だということに驚いたのだ。


「僕以外に? いないだろうねぇ、これを治せる人なんて」


 怒鳴り声を上げられた当の本人は驚く様子も怯える様子もなく、あっけらかんとそう言って笑った。怒鳴ろうと再び大きく息を吸い込ん父親だったが、結局、額を押さえてうつむいた。怒鳴ったところでどうにもならないとみ込んだのだろう。


「……桂家に縁談の断りを入れなければ」


「んん、縁談? もしや、こちらのお姫さんが弟の正室になるお姫さんだったのかなぁ?」


「……気付いていなかったんですか、季嗣すえつぐ殿」


「そういうことならお祖父様に縁談の件について話すのは少し待ってもらえる?」


 呆れ顔でため息をついていた父親はキツネ面顔の男――かつら 季嗣すえつぐにいぶかしげな視線を向けた。不信感丸出しの視線を気にした様子もなく受け止めて季嗣はにんまりと笑う。


「ちょっと確認したいことがあるんだよねぇ。まぁ、明日か明後日にはまた来ますから。縁談の件はその後でお祖父様のところに話しに行ってよ」

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