第5話 野良猫
桜海が眠りにつき、三ヶ月の時が流れた。春の四月から、気温は徐々に色づくように暑くなった夏。七月を迎えていた。
歴史の授業の小テストで赤点を取った一臣は数人の友人と共に、放課後に補習を受けていた。と言っても、配られたプリントの答えを教科書から見つけ出しても良いという、緩い課題だった。
「こう暑いとさ、やる気と共に本気もでねえよなあ。」
「お。これは本来の実力ではないと?」
「うっせー。そうだ、一臣。お前、今から職員室に行ってクーラーの設定温度下げてこい。」
「なんで、俺?」
歴史の教科書とにらめっこをしていた一臣は友人の言葉に、顔を上げる。
「だってお前、先生たちと仲良いじゃんかー。このコミュ強め!」
「普通だろ、別に…。」
用務員のおじさんとの関係性の延長線で教員と接していたら、一臣は随分と話しやすいと評判が良い。それを本人は理解してなかった。
「月宮くん。課題、まだ終わんないの?」
教室の扉が開かれ、顔を覗かせたスポーティな印象の女子が一臣に声をかける。
「あ、もう終わった。」
「監督と部長、待ってるからね!」
女子は陸上部員で、帰宅部の一臣はその運動神経から各運動部での助っ人を担っていた。
パタパタと女子が駆けていく足音を聞き終えて、友人たちが恨めしげに一臣を見る。
「うん?何?」
「リア充!バカ!裏切り者!」
「そうだ、そうだ!終わった課題は俺たちが提出しといてやるから、さっさと行っちまえ!」
「え、ありがとう!?」
ブーイングを受けながら、一臣は教室を後にした。
陸上部の活動を終えて、家路につく頃には太陽が傾き町を橙に染めていた。心地よい疲労感を抱えながら、一臣は遠回りをしてあの神社に立ち寄った。
桜の木はいつも堂々としていて、一臣を迎えてくれる。空に大きく枝を持ち上げ、青々とした木の葉が茂っていた。
一臣は桜海と共にいた場所に立ち、桜の凹凸のある幹を撫でた。
「会いたいよ。桜海…。」
瞳を閉じて、一臣はざらりとした幹に額をつけた。
愛しい、桜海。今、どんな夢を見ているのだろう。悪夢じゃなければ、良いんだけど。
夏休みを目前に、友人たちと遊びの計画を立てていた。
「海水浴は毎日行くとしてさー。」
「毎日?お前、毎日行く気?」
「皆勤賞狙いたいじゃん!」
「俺はゲーセンのゲームを極めたいけどな。あの、太鼓のヤツ。」
友人の一人がわざわざ家から持参したというカレンダーを机に広げて、皆、大騒ぎだ。
「月宮は?何か、案ねえの?」
「俺?」
賑やかな雰囲気を味わって様子を見守っていた一臣に話題が振られ、当の本人は目をパチパチと瞬かせた。
「特に思い付かないけどなあ。あ、宿題は早めに終わらせたい。」
うーん、と首を捻りつつ、特に考え無しに発言すると周囲は悲鳴を上げた。
「え?何、どしたん。」
「宿題の話するなよ!萎えるだろーが!!」
ブーイングを浴びて、どうやら『宿題』のキーワードが禁句だったことに気が付く。
「ごめん、ごめんて。」
一臣が謝罪するも、男子たちはキャンキャンと子犬のように喚いている。
「悪いと思うなら、海水浴に女子を誘ってこい!」
そうだ、そうだと背中を押されて、苦笑しながら一臣は席を立った。
「ね、ちょっと良い?」
声をかけたのは、女子のグループだ。実を言うと、先ほどからチラチラと視線を感じていたので、遊びの誘いにも応じてくれるのではと期待している。
「何?月宮くん。」
代表したかのように、一人の女子が言葉を返す。
「夏休みに入ったら海に行こうって話になってて、良かったら一緒に行かない?」
「えー?」
「どうする?」
女子たちは互いに目配せをしながら、相手の出方を覗っている。
「皆で遊ぼうぜ!何なら、クラス会みたいな感じで!」
「そうそう!せっかく一緒のクラスになった縁でさ。どう?」
一臣の背後に立つ男子たちが、口々に援護射撃をした。
「皆で行くなら、行ってもいいかな。」
「そうだね、楽しそう。」
必死に説得を試みる男子の姿が面白かったのか、女子たちはクスクスと笑い了承した。どうやら思いがけず、大所帯になりそうだ。
「…。」
盛り上がるクラスメイトたちに相反して周囲の喧騒を拒絶するように、読書をする男子生徒がいた。桐谷裕志だ。
「桐谷ー…、」
一臣が声をかけようとした刹那、ぐいと腕を引っ張られる。振り向くと、困ったような表情をした男子生徒がいた。
「どしたん?」
「いやー、ちょっと。いいか。」
「?」
そのままを廊下に誘われるように連れて行かれる。教室の扉を後ろ手に閉じた瞬間、一臣は肩を両手で掴まれた。
「桐谷は止めとこ。」
「え、」
何故、と問う前に男子生徒は言い訳のように言葉を紡ぐ。
「あいつ、中学んときにちょっとした問題を起こしたんだけどさー…。」
「うん。それで?」
「それでって、お前。空気読めよ、気まずいだろーが。」
「そうか?」
誰にだって過ちはある。全てを許容するのは難しくても、歩み寄りを怠りたくない。
「そうなの!どうせ、あいつも断るだろうからわざわざ誘うことはないって。」
「じゃ、断らなければ一緒に遊んでも良い?」
「それは、まあ…。」
わかった、と一臣は頷き、教室に戻った。
「何する気、」
慌てて、男子生徒が一臣の後を追ってくる。
「桐谷!お前も、海。一緒に行こーよ。」
一瞬、教室内が静まりかえった。視線は一臣、そして追うように桐谷に向かう。
ため息を吐いた桐谷は本を閉じて机に起き、席を立った。ツカツカと迷いなく一臣に近づき、そして隣をすり抜ける刹那。一言、「行かねーよ」とぶっきらぼうに呟いて廊下の向こうに行ってしまった。
「ほらな。」
男子生徒はほっとした声色を隠そうともせず、クラスメイトの輪になじんだ。
「…。」
一臣は野良猫に振られたような気持ちで、桐谷の後ろ姿をじっと見送っていた。
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