第4話 桜の散り際

「もう直に、桜が散るね。」

桜海は寂しそうに頭上を仰ぎ、桜の花模様を見る。つられて一臣も桜の枝を見れば、満開だった花々がいつの間にか数えるほどになっていた。

「そういや、桜が散ったら桜海はどうすんの?」

「眠るよ。来年の春、また桜の花が咲くまで。」

残念そうに桜海に微笑まれて、一臣の胸の内は掴まれたように締め付けられる。

「待ってるから。」

「え?」

思わず、希望が一臣の口を吐いた。

「俺、来年の春も桜海が目覚めるまで、待ってるから。」

「!」

桜海の瞳にその希望の光が揺れた。だが、すぐにその感情をもみ消すように俯いてしまう。

「…期待は、しない。」

「なんでよ!?期待しててよ!」

一臣の抗議に、桜海はゆるゆると首を横に振った。

「がこの桜に憑いて何十年経ってると思う?今までだって、僕のことが見えた何人かがそう言ってくれた。だけど…最終的には、誰も残らなかった。」

「…どのぐらいの時間、ここに?」

桜海は過去を思い出し、懐かしむように目を細める。その目色には哀愁が滲んでいた。

「僕が死んだときには、こんなにも日本が豊かな国になるとは思わなかった。それぐらいは、ここにいる。」

「桜海は最初、その、生きてる人間だったのか?」

桜海はそっと自らの喉元に手で触れた。

「うん。死んだというか、殺される前は。」


ぎりり、と首の柔肌に相手の指が食い込んでいく。気管が潰されて酸素の通り道を塞がれる。あっという間に酸欠に陥って、桜海の口は金魚のように開閉した。目の奥に火花がチカチカと爆ぜて、徐々に視界は赤黒い光に染まっていった。涙が一粒、つ、と頬を伝い、桜海は目を落とす。

そして、桜海の死体は桜の木の下に埋められた。


「殺された、って誰に?」

「…。」

桜海は目を閉じて微笑んでいる。その瞬間のことを思い出しているにはあまりにも静かに凪いで、穏やかな表情だった。

「恋人に。」

すっと開かれた瞼の奥、瞳は愛の色に滲んでいた。

愛しさ、恋しさ、慈しみが含まれた桜海の声色には自らが殺された悲哀はなかった。

「好きで、好きで、堪らなかったけれど、どうしても一緒になれない理由があったんだ。」

一緒に生きたい、ということが出来なかった。だからこそ、僕は死んだ。

「…? 何故、一臣が泣くんだ?」

一臣の瞳からほろりと一粒の涙が零れていた。

「いや、ごめん。なんでだろ…。何か、泣けてきた。」

そう言って、一臣は乱暴に服の袖でごしごしと目元を拭った。その涙は同情ではなく、桜海に同調したかのようだったと一臣は記憶している。

ふっと桜海が笑う気配がする。

「一臣はお人好しだね。」

「だって、」

ず、と鼻を啜って、一臣は桜海を見る。

「苦しかっただろうなって。」

「…僕よりも、相手の方が苦しかったと思うよ。」

想い人に愛されている自覚があった。だからこそ、神様の罰が下ったのだと桜海は言葉を紡ぐ。

「あの人の顔が思い出せないんだ。」

木漏れ日の中、互いに手を引いて歩いた日々。ありふれた普通の日々に憧れながら、秘密に重ねた逢瀬。響く記憶の中の恋人の顔は、白い絵の具で塗りつぶされたかのように消えていると桜海は言った。

「桜海。」

一臣は桜海の手を握った。

「俺、絶対に待ってるからな。桜海が眠りから覚めたその世界に、俺はいる。」

「…ありが、とう…。」

数日後、桜の最後の一片が風に舞った。

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