第3話 君を思うが故
自宅に戻り、慌てて朝食をかき込む。月宮家の朝は和食がメインだ。今日も、食卓にはご飯、味噌汁。納豆と獲れたての魚は焼いて提供されている。
「一臣、急ぐと小骨が喉に刺さるぞ。」
隣でゆっくりと食事をする祖父に、一臣は答えた。
「うん。平気、噛んでる。」
バリバリと音を立てながら、一臣は元気よく骨ごと魚を食べた。
「歯が良いな。お前、漁師に向いてるぞ。」
祖父は笑いながら、お茶を啜った。
「関係あんの、それ?」
「大ありだ。皆、歯を食いしばって漁をしてるんだからな。」
「ふーん。あ、ご飯もう少しちょうだい。」
「時間がない割に、しっかり食べるわね。」
ご飯を茶碗によそいながら、母親が笑う。朝からたくさん食べると、母親の機嫌は良い。
「食べないと、昼まで保たない。」
「すごいな。成長期だな。」
父親も笑っている。そういえば、この町に越してきてから食卓を家族全員で囲んでいた。
もう少し、の量ではないご飯を食べ、一臣はリュックを背負って玄関へと急いだ。スニーカーを履いていると、背後でパタパタと誰かが駆け寄る気配がした。
「一臣!お弁当、忘れてる!」
「ありがとう。」
母親から弁当の入った保冷バッグを受け取り、一臣は自転車に跨がった。
ペダルに足を乗せ、力強く踏みしめる。ぐんぐんとスピードが増して、自転車は滑るように駆けていった。
教員が仁王立ちしして生徒たちを急かす高校の門をくぐり、自転車置き場に向かう。特急のように来たから遅刻は免れたようだ。
昇降口で靴を履き替えて一年の教室まで行き、一臣はようやく一息をついた。
「月宮、ギリだったじゃん。」
前の席の男子生徒が、一臣に声をかける。
「まあね。」
「夜更かしでもしたん?」
「逆。早起きして、花見してた。」
一臣の答えに、男子生徒は目を丸くした。
「花見?また随分と雅な。」
「だろ。」
ははは、と笑い合っていると、担任が教室に入ってきた。散り散りになっていた生徒たちは自らの席に戻り、ホームルームが行われる。
窓際の席の一臣はふと舞ってきた桜の花びらに気が付いた。
桜海は今頃、何をしているだろう。
花びらの一片が、開け放たれた窓から入り込む。一臣は指の腹でなぞるように、その花びらを弄んだ。
木の下で昼寝でもしてるかな。それとも、海を眺めながら贈ったミネラルウォーターでも飲んでいるだろうか。
桜海のことを思うだけで、穏やかな心持ちになる。不思議だった。
「月宮、移動教室行こうぜー。」
はっとして物思いから醒めると、いつの間にかホームルームが終わっていた。気が付くと周囲の生徒たちも教科書や筆記用具を用意して、移動の準備を始めている。話しかけてくれた男子生徒に感謝をしつつ、慌てて立ち上がった。
「いちいち校舎出るって、面倒だよね。」
ギシギシと軋む渡り廊下を歩きながら愚痴る生徒たちの話を聞きながら、一臣は一本の桜の木に気が付いた。
その木は大ぶりの枝がぷらりと、皮一枚で繋がっている状態だった。
立ち止まる一臣に気が付いた女子生徒が不思議そうに声をかける。
「どうしたの、月宮くん。」
「いや…、あれ、どうしたんかなーって。」
一臣が指差した方向を見た女子生徒が、ああ、と頷く。
「昨日、先輩たちがふざけて折っちゃったみたいよ。」
「ふーん…。」
妙に心が締め付けられる光景だった。その日一日、気にかかるような居心地の悪さを感じていた。
放課後になり一臣はもう一度、折れた桜の木のもとへと訪れた。
「…。」
そっと木の枝に触れる。
まだ、生きているだろうか。
一臣は教室の備品であるテープを持ち出して、折れた箇所の修復を試みた。だが、自らの重みで木の枝は頭を垂れてしまう。
「学生さん、どうした?」
「!」
背後から声をかけられて、集中していた一臣は肩を跳ねて驚いた。振り向くと、そこには学校の用務員のおじさんが立っていた。
「あの、これ。桜の枝が、」
「んー?」
大股で近づいてきたおじさんはまじまじと、枝を見た。
「これ、学生さんが処置したんかい。」
「…はい。」
「この枝はもうダメだな。くっつかないよ。」
残念だが、と呟いておじさんは腰に付けたポーチから剪定バサミを取り出した。
「切っちゃっていいかい?」
一臣が頷くと、おじさんは迷いなく枝と皮を断った。呆気ない最後だった。
「はいよ。」
「え?」
俯いた一臣に、おじさんはたった今切ったばかりの桜の枝を手渡した。
「まだ先に咲いてる花は楽しめるだろ。家に飾ってやんな。」
「もらっていいんですか。」
いいよ、と言っておじさんは笑った。
「植物が好きなんだろ。久しぶりに木を大事に思ってくれる学生さんに会えて、嬉しかったよ。」
「…。」
一臣は思春期からくる照れ臭さから、言葉が出てこない。
「この桜もしあわせだと思うよ。」
「…ありがとう、ございます。」
手にした桜の枝を握り、一臣は頭を下げるのだった。
帰り道は夕日に照らされて、影が色濃く伸びていた。手にした桜の花が、可憐に揺れる。桜海をすぐそばに感じる気がした。そして気が付く。何故、こんなにも桜が気がかりだったのか。
愛しい人に関わる全てが愛しく、学び舎を彩る桜にも愛情を抱いたのだ。
「そういうことか。」
ことんと腑に落ちて、一臣は納得した。
以降、用務員のおじさんとよく話すようになったのは言うまでもない。
桜の枝は月宮家の玄関を飾り、母親の手入れもあり随分と長く花を楽しませてくれた。
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