五章 握手会

第16話 楽屋

 八月下旬。初めてのライブから、またたく間に二ヶ月がった。

 毎週毎週、仕事仕事に追われる日々だったゆえ、そりゃ瞬く間とも言いたくなる。

 諸々もろもろの準備があり、日々の練習があり、漠然ばくぜんとした不安があり、凄く大変だった。

 日付を見る間もない毎日だったが、それも今日、ようやくの一段落ひとだんらくを迎える。

 なにせ、今日行われるのは『CD』のリリースイベント。

 つまり、今日までボク達が追われていた仕事とは、その撮影さつえい収録しゅうろくだった。

 そんな状況に立たされるなど、初ライブ頃のボクが聞けば、まず間違いなく信じない。現代のボクだって、真剣にのぞむ一方、本当なのかなぁ、と思う心も少しはあった。

 しかし当日である今日、実際にそのイベントを今、こなしてきたわけで、


「お客さんと話すの、緊張きんちょうしたぁ…………」


 楽屋がくやに戻ってくるなりボクは、鏡台きょうだいへと突っ伏した。

 リリースイベント。CDの発売に合わせて行われる、所謂いわゆる販促はんそくイベントだ。

 十分じゅっぷん程度ていどのライブに始まり、CDを売り、購入者との握手会あくしゅかいを行う。

 それがリリイベの一般的な形であり、ボク達のも同様だった。

 場所もショッピングモール内のイベントスペースと、まあ普通だ。


「やっぺ、もう来たっすよ! 碧姫あきさん、お菓子隠して!」

御意ぎょいですわ! 四人分を二人でほとんど食べたと知れれば抗争こうそうの元ですわ!」


 かたや振り返れば、団欒用だんらんようのテーブルからお菓子をかばんに詰める人影が二つ。

 普通、ではないね。そしてそれ、咲良さくらちゃんと碧姫さんだね。


「おぼんはどうなさいます!? これだけ残るのは不自然ですわ!」

「平気っすよ。ほら、こうしてサイコロを二つも置いとけば」

「まあ! お菓子のお盆が賭場に様変わりですわ!」

「…………二人共元気だね。ボクはもうヘトヘトで」


 最早立ち上がることも億劫おっくうで、座ったままボクは二人に話しかける。


「お疲れっす、環希たまきさん。いやぁ、大変っすね。何かを隠すのって」

「ワタクシ達も実感じっかん致しましたわ。鞄に全然入りきらなくて――――」


 疲れた風で二人は言うが、そうやって隠したの、多分お菓子だよね。

 それと一緒にされるのは、少しどうかなー、とは思うけど。


「そうだね。握手だと、お客さんとの距離も近いから――――」


 ボクが隠さなきゃいけないもの。それは当然、性別である。

 結果、バレることはなかったが、内心ないしん常にドキドキだった。


「けど、楽しかったはずですわ。ワタクシなんて一人一人が嬉しくて」

「そうっすね。そりゃ黎明くろあさんと比べたら、微々たる人数っすけど」

「黎明さんは、何と言うか、別格だから…………」


 CDをかいしてお金も絡む以上、誰しも好きな人と多く握手したい。

 であればボク達の場合、黎明さんばかりに人が集まるのも、最早もはや自明じめいだろう。

 誰も居なくなったから、とボク達が楽屋に戻る一方、彼女は今も握手にいそしんでいた。


「とは言え、応援された以上、頑張ろうー、って気にはさせられやすよね。まあ、アタシみたいなチンチクリンが構われるのなんて、箱推はこおしによる温情おんじょうだとも思うんすけど」


 ヘラヘラとした笑みで彼女は言うが、そこにはどこかかげりがあるような――――。

 一方、そんな機微きび、碧姫さんには関係ない。


「箱を推して、咲良さんを推しますの? 咲良さん、箱でしたの?」

「箱とはグループっす。つまりグループ全体を応援する、みたいなことっすよ」

「なんと! ではワタクシも箱の一部でしたのね! むむぅ、興味深いです」


 そう言って碧姫さんは、自身の足やら背中やらを、身体をひねって見始める。


「い、いや、別にどこかが箱になったわけじゃない、と言うか…………」


 思わず言ってしまったが、反論したいのはそこじゃない。


「咲良ちゃんの応援だって本物だよ。ほら、MCでも皆笑ってくれてたし」


 ボク達をに来てくれる人もまた、やっぱり悪魔側なのだろう。

 咲良ちゃんのブラックな冗談でも、引く人は見受けられなかった。


「確かに。アイドルのMCって、ファンがお世辞で笑うもんすもんね」

「なるほど! つまり、笑わせられたらその人はファン、と!」

「違うよ!? いや、話をまとめるとそうなるかもだけど!」


 本当に面白いアイドルだって居るし、ファンとはもっと複雑だ。

 だけどそう熱弁するより先に、ぐぅ、とボクのお腹が口走る。


「――――――ッ!」


 なんで、よりによって言い出す直前の、この絶妙な間で!?

 イベントを終えて気が緩んだのかな!? なら妥当だとうだけど!


「おやぁ、環希さん。最近はお腹でも喋るようになったんすかぁ?」

「うふふ、聞こえましたわ。エンコだよぅ、だそうですわ」


 おかげで咲良ちゃんには弄られ、碧姫さんには微笑まれてしまう。


「仕方ないんだよ。イベントの緊張で何も喉通らなかったんだから」


 一瞬で熱くなる頬。まるで弁に乗るはずの熱が溢れたかのようだった。


「そういう話でしたら、実はここ、オススメのスイーツがありまして」


 言いながら碧姫さんはゴソゴソと、鞄から自身のスマホを取り出す。

 その際、押し込んでいたお菓子が落ちたが、それはくれないんだね。

 まあ別にいい。彼女も多分、悪気があって隠してるわけじゃない。

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