四章 決着

第12話 決戦の果てに

 気づけばボクは、高架下こうかしたの土に腰を下ろしていた。

 これは、現実だ。いつしか曲は残響ざんきょうへ、天啓てんけいも消えていたのだ。

 なぜこんなことになったのか、うん、ちゃんと覚えてる。

 彼女の天啓に食われてからと言うもの、ボクは導かれるがままに踊っていた。

 思った通り、完全敗北である。あまりに大敗たいはいだからか悔しさも別段べつだんなくて、


「あーあ、負けちゃったかぁー」


 ボクはそのまま、地面へと背中を投げた。

 全てを出し尽くし、それでも敗北した今のボクは、空っぽだ。

 そうして息を吸えば、土の香りと葉の青臭さだけが胸一杯に広がる。

 ああ、清々すがすがしいなぁ。こんな感覚になれたのはいつ以来だろう。


「なーによ、それ。『負けちゃったかぁー』って」


 夕日を背に置いた人影から、タオルをポンと投げ渡される。

 向き合ってこそいるのだが、逆光ぎゃっこうゆえ誰かよくわからない。

 だからボクは、雰囲気だけ見て、その名を呼んだのだろう。


「――――――――桃香ももか?」

「はあ? 誰よそれ?」


 ザッザッ。近づいてきたことで、影に隠れていた相貌そうぼう明瞭めいりょうな像を結ぶ。

 ひたいに汗を輝かせ、整った顔立ちを不満げにゆがめる――――、ああ、黎明くろあさんだ。


「え、えっと、ゴメン! 何かこう、妹のことを思い出しちゃって」


 すぐさまボクは身体を起こし、渡されたタオルで顔を拭う。

 そうだよね。桃香がここに居るはずない。けど、本当に似ていたんだ。

 黎明さんの影が、桃香が本来持っているはずの輝きと――――。


「ふーん、まあいいわ。それより、戦う前に言ったこと、覚えてる?」


 言いながら黎明さんは、ボクの隣に腰を下ろす。


「ボクが黎明さんの天啓を破れなければ、その天啓に従って――――」

 汗を拭っていた手も下がる。彼女の考えが正しいとは今だって思えていない。

 けどこうして、大敗を喫してしまったのだ。ならば約束通り、従うのが正解だ。


「そういうこと。一時いっときとは言え、アンタは私から本気を引き出した――――」


 げんに彼女も口を開くが、ううん? 何だか話の流れが想像と違う。

 改めてボクは彼女を見る。するとその表情はかすかにせきらんでいて、


「…………悪かったわね。負けず嫌いで」


 不満げに唇を尖らせて言うそれは、え、どういうこと?

 ポカンとする様にごうを煮やしたのか、彼女は頭をきむしり、


「私の負け、ってことよ! アンタ、結構努力してたのね!」

「黎明さんの、負け…………?」


 そっか。言われていたのは『用意する天啓を破れ』とのことである。

 最後の攻防で見せた翼、聞く限りあれは、その範囲外だったのだろう。

 と言うことはつまり、勝ったのはボクであって――――。

 一番守りたかったものすら、守れなかったボクだけど――――。


「ボク、その、とにかく夢中で、ずっと頑張ってきたから…………」


 理解していくにつれ、ポツリポツリ、ボクの足元に雫が落ちていく。


「え、な、何でこんな。ボク、泣くつもりなんて…………」


 泣いている。そう気づいた時にはもう、止まらなくなっていた。

 こんなことでも、ボクにとっては初めてちゃんと、むくわれたから。

 そう思うと、感情も涙も、取り留めもないままにあふれてしまう。


「ちょ、何で泣くのよ! アンタの勝ちなのよ? 喜びなさいよ!」

「ゴ、ゴメンね。喜んでは、いるんだけど――――」


 そうだよね、言わなきゃわかんないよね。号泣だもん。


「もう。ならせめて拭きなさいよ。そのタオルだってあげるから」

「タオル――――。そう言えば、黎明さんから渡された――――」


 受け取った時は、桃香のことばかり想い、気にしていなかった。

 よく見ると、ううん? 何だか見覚えがあるような…………?


「うわこれ、セラフィドールの一周年ライブのやつだよね! 今じゃプレミア付いて出回らないし、出ても高くて買えないし、って、ええっ!? ボク汗拭いちゃったよ!?」


 あふれていた涙があっと言う間に引いていく。うん、血の気と共に。

 こ、これ、弁償ものだよね? ボク、お金とかあんま持ってないんだけど。


「別に、好きに使っていいわよ。そもそもの話、あげるって言ったでしょ」

「あ、そっか! で、でも、こんなレアもの、使うのは勿体もったいないと言うか」

「なら、もう一枚あげればいいわけ? 何ならサインでも付ける?」


 ニヤリと笑ったそれは、黎明さんなりの冗談だったのだろう。


「い、いいの!? やったぁ!」


 しかしボクは、即座に飛びついていた。

 だって浮かんだのだ。貰って喜ぶ、桃香の顔が。


「出来れば、『桃香ちゃんへ』って名前も書いてもらえると――――」

「バカなの? それだとアンタの元に残るの、多分一枚よね?」

「ほ、本当だ! 一枚しか残らないんじゃ、結局勿体なくて使えないから――――」


 必要なのは、全部で三枚? いやそれだと、ボクの枚数が桃香より一枚多くなる。それは嫉妬しっとされそうで怖いと言うか、え、なら、四枚? 黎明さん自身も普段使ってて、なくなったら困るだろうタオルを? それはさすがに厚かましさが過ぎると言うか――――。

 って、あれ? さっきまでボク達、本気でぶつかり合ってたよね?

 それがいつしかこんな、気さくに語り合う仲になってて、何これ?

 現状の奇妙さに気づいた途端とたん、フフッ、と笑みがこぼれる。


「何笑ってるのよ。そんな風に笑ったところで、誤魔化されなんて――――」


 似たようなことを感じたのか、彼女の言葉も笑みで途切れる。

 その様子が何だか面白くて、ボクは一層大きな声で笑った。

 そんな姿に、彼女も笑みをより大きくし、笑顔の連鎖はどんどん続く。

 その応酬おうしゅうがようやくえたのは、お互い地面に倒れたその時だ。

 笑いすぎて最早もはや息が苦しくて、でもね、凄く楽しい。

 天啓の衝突しょうとつを経て、ボク達は多分、仲間となったのだろう。

 だって優れた演技には、心を込めることが不可欠だもの。

 そうして生まれた天啓は、言うなれば心そのものである。

 そんなものをぶつけ合って、わかり合えないはずなかった。

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