三章 決戦

第9話 桃香

 その時、ボクは確かに、曇天どんてん広がる夜の荒野に居た。

 舞い、踊り、そうして世界を塗り替えているのだ。――――ボクの、天啓てんけいで。

 と、さも会得えとくしたように語ったが、出来は東條とうじょうさんのそれに遠く及ばない。

 当然だ。ただでさえ曲の世界観せかいかんは壮大で、曲調きょくちょうも爆速のメタル調である。

 曲に付いていくのも、情景じょうけいを動きで表すのも、まずそれらで手一杯だ。

 でも、それでも天啓は作れてるんだ。ボクは気合いを込める。

 行くよ! あの雲を、亡霊の嵐で晴らすんだ!

 ボクの意思と動きに合わせ、乱れる大気は渦を巻き、曇天を襲う。

 この曲を聞き込むうち、ボクは何か、幕開まくあけのようなものを感じていた。

 それを表せなければ、ボクの思うこの曲を描き切ったとは言えない。

 今の曇天は幕開けどころか終点だ。だから何としてもそれを晴らしたかった。

 そして――――――――、一曲演じきったあとで、ようやくなんだよね。

 演奏はギターの残響のみとなり、嵐もえる中差し込む、月光。

 これが、練習五日目の今、ようやく描けたボクの天啓だった。

 そして、うん、天啓を描くのも、体力も、もう限界みたい。

 世界はボクの手を離れ、元々の、朝の庭先へと戻っていく。


「はあ…………、はあ…………」


 ひざに手を突く。玉の汗が見慣れた地面に丸い染みを作った。


「天啓出せるの、やっぱり最後の間奏かんそうのとこだけ、かぁ」


 荒い息で無念むねんく。序盤、中盤も、手は一切抜いてない。

 終始全力で、それで最後にやっと実を結ぶのが、ボクの天啓だった。

 足りてないのは実力と経験と、それから多分、きっかけも――――。


「これじゃ、ダメだよね。黎明くろあさんみたく、自然に出せないと」


 黎明さんが『一週間後』と示したその日は、もう明日である。

 なぜ彼女が容易たやすく意見を変えたのか、理由は未だわかってない。

 でも、腕をみがけと言われた以上、やるべきことはわかっている。


「…………もっともっと、上手くならないとね」


 顔をグッと上げる。残された時間は、もう多くない。

 せめて今日は、日課にっかの自主練を力尽きるまでやって、


「って、ダメだダメだ。今日は午後から丸々、三人で練習だもん」


 咲良さくらちゃんも碧姫あきさんも、全くの素人から、今や一曲通せるのである。

 帝国だ、お笑いだ、と元はアイドル志望ではなかっただろうに、凄い進歩だ。

 ボク個人ではここまででも、三人であれば単純計算で表現の幅は三倍。

 そう考えると、不思議と何とかなるような気がする、と言うか。


「…………仲間を信じるのも、理想のアイドルの務めだよね」


 ともあれ、午後の練習を思い出したからには、自主練もここまでかな。

 丁度区切りもいいことだし、ボクは庭のガーデンチェアに掛ける。

 六月上旬でも、まだ昼前だ。鉄製のそれは触れればヒヤリと冷たい。

 だが練習で火照った身体にはそれが、「ふわぁ」と声の漏れるほど心地よかった。

 だから、ね、本当は汗とか吹かなきゃ、とかわかってるんだよ? でもね?


「もう少しこのまま、ゆっくりしてたいと言うか…………」


 そう目をつぶりかけた時だ。ボクの後ろ、家の吐き出し口が開いて、


「まったくもう、お兄ちゃんったらまた汗も拭かずにー」


 呆れ声と共に、ハラリ、と柔らかな感触がボクの顔に置かれる。

 視界もふさがれ、最高の昼寝へといざなわれる流れ――――、ではあった。

 だがボクは、それを投げ捨て、二もなく飛び起きる。

 だ、だって、


「うわぁー! 桃香ももかぁ――――ッ!」


 思った通りだ。そうして開けた視界には、ボクの可愛い妹が居た。

 明るい髪色が今日も可愛い。肩までの長さしかないのがしいくらいだ。

 整った相貌そうぼうが今日も可愛い。こちらを見下ろしていても、つまり可愛い。

 パジャマ姿が今日も可愛い。と言うか彼女が可愛いから何でも可愛い。


「うわぁ、じゃないわよ。汗、ちゃんと拭きなさいよ」


 汗? 拭く? そう言えば自主練のあとだったような…………?

 そこでやっとボクは、胸元まで落ちてしまったタオルに気づく。


「あ、ああッ! ゴ、ゴメンね! 桃香!」


 白いそれを慌てて拾うと、一心不乱いっしんふらんに顔へ擦りつける。

 状況から見て、桃香がボクの顔にタオルを乗せてくれたのだろう。

 つまりボクは彼女の気遣いを無視したわけで、うん、大罪たいざいだね。

 こする顔は、最初こそ後悔に歪んでいたが、次第にその頬は緩み、


「すーはー。何だろう、美味しい。タオルの匂いが凄く美味しい」


 柔軟剤じゅうなんざいの上にかすかに桃香の残り香を感じて、んもうたまんない。


「相変わらず気っ持ち悪いわね。発言も行動も思想も、何もかも」


 め息混じりにこぼすそれは、声音や仕草など、どこを取っても呆れていた。

 そうだよね。相変わらず、と評された通り、ボクは桃香にいつもこれだ。

 むしろよく許してくれてると思う。これが醜態しゅうたいと自覚こそしているし。


「でも、仕方ないんだよ! ボク、桃香が好きすぎるから!」


 こんな告白も一体何度目か。タオル越しに叫んだのは初だが、結果は見えている。


「はいはい。じゃ、もう閉めるわよ。虫とかお兄ちゃんとか入ってきそうだし」


 冷めた調子で戸を閉めようとする彼女。なるほど、今日は締め出しなんだ。


「ボク、虫と同列なの!? もう少し話そうよ! ね、ね?」


 ボクの座るガーデンチェアには、向かいにもう一脚、椅子がある。

 けど、出てきて間近まぢかで話そう、と欲望剥き出しの誘いは、出来なかった。

 見上げる先、桃香の細い身体は、綺麗な車椅子に収まっている。

 桃香は外に出ない。五年前の事故以来、家にこもりきりなのだ。

 それが、正しいとは呼べない行動なのは、ボクもわかっている。

 でもボクは、何も出来ない。

 だって――――。


「じゃ、黎明さんのこと、教えてよ。それなら聞きたいし」


 深く深く、絶望に沈みかけていたボクを、桃香の声が引き戻す。

 ダメだな。気を抜くとすぐこれだ。汚泥のような後悔に心が沈み込んで。

 ボクの抱く懺悔ざんげも、贖罪しょくざいも、願望がんぼうも全て、彼女に気づかれちゃいけないのに。


「そ、そうだよね。桃香、セラフィドールのこと、ずっと大好きだもんね」


 思考を切り替えるため、ボクは慌てて話題に乗っかろうとした。

 でも、うん、『教えて』との期待に応えられる話、え、なくない?

 当然ながらボク達はあれから、黎明さんと顔を合わせていない。

 一応、メンバー全員参加のグループチャットで、交流はあったけど。


「明日の集合時間について伝えたら、『わかった』って返ってきたよ」


 それが唯一の返信で、うん、わかってたけど話として弱すぎるね!


「そう…………。やっぱり『わかる』のね。烏漆羽黎明は…………」


 一方、その薄すぎるエピソードに対し、神妙しんみょうな顔で考え込む桃香。

 今のでよかったんだ! 薄さが逆に、考察こうさつ余地よちを与えたのかな?


「う、うん。凄いんだよ。凄すぎて正直、追いつける気もしなくて」


 他の話も教えて、となったら困るし、今はとにかく便乗びんじょうだ!

 そんな浅ましい考えのボクに、女神ももかは一つ、金言きんげんたまわせた。


「ま、精々頑張りなさい。失敗した時くらい、なぐさめてあげるし」


 え、ええっ! 桃香が、えっ、そんな、慰めて――――ッ!


「わかった! ボク、するよ! 失敗! 桃香が慰めてくれるなら!」


 即決だった。気づいた時には立ち上がり、叫んでいた。

 冷静に考えればダメだが、桃香が頭をでてくれるなど思うと、止まれなかった。


「はぁ!? 何でそうなるのよ! 慰めるって、アレよ! パンチよ!」


 何を想像したのか赤面せきめんし、言い直す桃香。だが、ボクの暴走は続く。


かまわないよ! ボク、桃香がくれたものなら何でも嬉しいから!」


 それも本心ほんしんだもん! 何なら今すぐにも叩いてほしいと感じていた。

 けど、うん、ここまで行くとさすがにドン引きだよね。

 ボクを見る桃香の表情も、いつしか冷め切ったものになっていて、


「なら、無視してくれようかしら。私が『くれる』なら嬉しいでしょ?」

「ええっ! それはその、言葉のあやと言うか――――」


 ボクは正気を取り戻す。さすがに無視は嬉しくないし、むしろ死活問題しかつもんだいだ。

 けど状況的にはすでに手遅れで、咄嗟とっさの反論も虚しく戸は閉ざされてしまう。


「ま、待って桃香! まさか玄関までは鍵掛けないよね!? ね!?」


 あり得…………、なくもないね! 去り際の表情は汚物を見るそれだったもの。

 閉め出された結果風邪を引き、となれば諸々もろもろ目も当てられない。ボクはあわててける。

 あ、でもこれ、タイミングが上手く合えば、桃香と玄関で鉢合はちあわせるんじゃない?

 そうやって合わせる顔は、あ、お出迎でむかえっぽい感じがして最高かも!


「――――って、ダメダメ。変に調整してミスったら大問題だよ!」


 午後からの練習の準備だって、まだ何も済んではいないのだ。

 そうしてボクは、えてない身体にむちを打ち、全力で玄関へ走った。

 ちなみに桃香は自室に帰ってた。つまり無駄足だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る