二章 初練習

第6話 準備運動

 事務所地下での顔合わせから一週間が経過した、日曜日。

『オレと来るならここに集まれ。レッスンを行う』

 東條さんのそんな言葉でボク達は、れたビルの半地下に呼び出されていた。

 顔合わせの場所すら地下だったのだ。まともな援助えんじょのないことは薄々うすうすさっしが付いた。

 だがいざ足を踏み入れたその場所は、違った。無垢材むくざいの床に、壁一面かべいちめん大鏡おおかがみに、と内装設備ないそうせつびを始め、年季ねんきこそ入っているが、レッスン場らしい道具の揃った見事な一室だった。

 正直驚いた。が、感動ばかりもしていられない。今日の目的はレッスンなのだ。

 一応、準備運動とかした方がいいよね、と提案したのは確かボクだ。

 しかし、うん、もう少し考えて発言すべきだったかな、と今は思う。


「一、ニ、三、四…………」


 碧姫あきさんと二人、背中合わせで腕を絡ませ、まずボクが彼女を持ち上げる。

 二人組作ってー、の号令からまず連想する、定番のストレッチだ。

 ボク自身、皆で準備運動と言えばこれだよね、と安直あんちょくに始めたのだが。


「わぁ…………」


 チラリと目にした大鏡で、気づいてしまったのだ。

 おっぱいだ。おっぱいの山だ。おっぱいの山がボクの背中に生えている。

 いや正しくは、身体を反らして強調された、碧姫さんの胸なのだけど。

 い、いいの、これ? 何らかのセクハラで訴えられない?


「どうかなさいました? 環希たまきさん」


 なんて思っていたら山のふもとから碧姫さんの声が飛んできた。

 この様子、もしや彼女、まだ山の隆起りゅうきに気づいてない!?

 ならうん、ここは誤魔化そう。バレなきゃ穏便おんびんに済む話だ。


「そ、その、碧姫さんのそれ、オシャレなジャージだよね!」


 って、反射的に出てしまったが、実はそれも触れるのを避けてた点だった。

 着替えた時からずっと思ってたんだ。彼女のジャージ、え、何それ。


「まあ! 嬉しいですわ! 実はこれ、ワタクシの一張羅いっちょうらですの!」


 明るい声で応える碧姫さん。よかった、触れていい話だった。


「バラは高貴こうきの証。それが大きくあやなされてるなど、ド高貴こうきですわ!」

「そ、そうだね。ド高貴と言うか、ドンキと言うか…………」


 言う通り入ってるのだ。黒い生地の背中部分に、大きくバラの刺繍が。

 ゴメン。偏見へんけんだけど、こんなのドンキに集まるヤンキーしか着ない。

「環希さんのおおめしものも素敵ですわ。いかにも女の子、って感じで」

「え、う、うん、ありがとう。そこは一応、意識してて――――」


 練習着であっても、今日は黒のTシャツにピンクのスカートだ。

 性別がバレれば終わる生活をしている以上、気配りは常に欠かせない。

 それに第一、妹に似たこの容姿ようしに変なものなんて着せられない。

 って、待って。碧姫さん、今ボクの服装のこと見てる…………?

 大鏡に目を向ける。上下逆さまとなった碧姫さんの顔と目があった。

 やっちゃったね! 服の話なんて振ったから彼女もボクの格好を見てくれたのかな? それで褒めてくれるのは嬉しいよ。嬉しいけど、少し視線を上げられたらそこは一触即発おっぱい山なんだよね! えっとえっと、何かまた話題、変えていかないと。


「凄いっすね、まるでラクダっすよ」

「ちょ、咲良さくらちゃん!? ななななな、何言ってるのかな!?」


 そうだね彼女、火種があれば煽るような人だったね!

 強調された胸をコブに例えた、ってことなのだろう。

 なるほどね! 上手いこと言い過ぎて最早告発だね!


「ラクダってあの、背中にコブのある、ですわよね?」


 しかし碧姫さん、にぶいのかまだこの状況に気づいてない。

 助か――――ってないね! ここで追撃するのが咲良ちゃんだ。


「そうっす。あのコブ、実は脂肪っすからね。実質おっぱ――――」

「よ、よし! 準備運動はもう充分じゃないかな!」


 ボクは身体を起こし、準備運動の方を半ば強引に終わらせる。

 ストレートに『おっぱい』言われかけたらね、断つ他ないよ。

 だがこうも不自然な行動を前にすればさすがの碧姫さんも、あ、気づいてない。


「そうですわね! 背筋もグーンと伸びて、これならいつでも特攻ぶっこめますわ!」


 この素直すぎる性格、実は何とでも誤魔化せたんじゃないかな、なんて。


「ところで咲良ちゃんのそれ、さっきから何やってるの?」


 窮地きゅうちに追いやられた仕返し、ではないが、ボクは尋ねる。

 だって彼女、さっきから床に長座するだけで、え、そういう置物?


「アタシ? アタシはほら、前屈ぜんくつっす。へへ、これが限界なんすよね」


 ヘラヘラと答える様相ようそうには、運動への意欲がまるで感じられない。

 つまりサボりだ。開き直ることで他人を呆れさせる作戦なのだろう。


「あらあら、それは大変。ワタクシが手伝って差し上げますわ」


 けど碧姫さん、素直なのだ。そんな彼女の背中を押しに掛かる。


「ぐえ! ぐえ! ちょ、あの、これ、そういうんじゃなくて」

「遠慮なさらないで下さいまし。仲間同士、助け合いは大事ですわ」

「助けぇ? いやいや、今アタシが欲しいのは命の助けで――――」


 ぐえ! 背中を押される度、蛙を潰したかの声が彼女から漏れる。


「環希さんは察してやすよね! 言ってやって下せえ! ほら、また慌てて!」


 そっかぁ。咲良ちゃんの中でのボク、そんなテンパり屋さんなんだ…………。

 否定はしない。助けるのもやぶさかではないが、思うところがあるのも事実だ。


「痛い目も見るべきじゃないかな。実際、準備も大事だし…………」


 大体彼女『動きやすい格好で』って話なのに、上下灰のスウェットなのだ。

 その動きやすさは部屋着での指標しひょうと言うか、え、運動でも平気なの?


「それなら黎明くろあさんは、あの人はどうなんすか!」


 そんな心配を抱く一方、今度は黎明さんを指し、矛先ほこさきらそうとする彼女。

 黎明さんが居たのはボク達から離れた部屋の隅。からまないで、とばかりにそこへ腰を下ろす彼女は、確かに運動はしていない。ストリートダンサーぜんとした黒の衣装で、自身の足を揉みほぐす姿は、むしろ運動後のケアと、うん、わかってて文句付けてるよね?


「準備なら外で済ませたわ。別に、一緒にやるって決まりもないでしょ」


 目も合わせず、心底煩わしそうに黎明さんは言葉を吐く。


「黎明さん…………」


 アイドルはやりたい。が、ボク達を仲間とは認めてないのだろう。

 それでも、ううん、ボクは嬉しいよ。今日また彼女と会えたんだ。

 もう来てくれないかもなー、と正直なところ思ってた。

 だって、ねぇ、ボク達、こんな滅茶苦茶な面々だよ?


「その手があったっすか! ならアタシもそれで! 外で済ませたっす!」

「あら、そうでしたのね。それはそれは、ワタクシったらとんだ失礼を」

「い、いや、嘘だからあれ。碧姫さんも騙されないで」


 珍妙なやり取りを止めようとしているのも、また、ちんみょうなのだ。

 何なら、それをまとめるはずのプロデューサーすら悪魔で、


「――――おはよう、お前ら。何だ、もう集まってたのか」


 そうして現れた彼は、集合時間の十時から五分遅刻していた。

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