第2話 絶望のオーディション

 五月末日、本社ビル三階、大会議室でのことである。

 正直、顔を合わせたその時は、緊張で何を思う余裕もなかった。

 何せオーディションの最終審査、つまり最大人生の分岐点の只中ただなかだったのだ。

 部屋自体、高級ホテルのロビーを思わせる絢爛けんらんさだが、それすら目に入らない。

 気づけばビルの中に居て、室内中央の椅子に掛けていた。そんな感じだ。

 目の前、審査員席に並ぶのは全部三人。東條さんもその一人だった、と思う。

 そうして質疑応答しつぎおうとうの形で審査は始まるも、彼が口を開くことはなかったのだ。

 話を振ってくれたのは主に、五十代くらいで大柄おおがらな、別の男性だった。


「なるほどね。うん、資料で見てたよりずっと可愛いね」


 やがて、役目を終えたとばかりに、彼の手からペンが置かれる。

 この時にはもう実質、審査は終わっていたのだろう。


「は、はい! ありがとうございます!」


 彼の言葉に、ボクは照れもなく即答する。

 細くしなやかな体躯。玉のような肌。長い髪と整った相貌。

 それらは自慢の妹、桃香を参考に近づけたのだ。褒められて当然である。

 だから、もし落ちるとしたら問題はボク自身の中身。最初からそうわかっていた。


「印象も悪くない。突出した力こそないものの、素直で真っ直ぐで、擦れた様子もない。ファンがアイドルにこうあってほしいと望む、ある種理想の姿だね。キミがその人格さえ失わなければ、皆は必ず付いてきてくれる、応援してくれる、と保証するよ」

「ほ、保証だなんて……。本当に、そうあってくれれば嬉しいんですけど」


 照れた仕草で言うが、内心ゾッとした。さすが、やっぱり気づくんだね。

 そうだ。問題は中身。そうわかっていたからボクは、内面すら作り込んだ。

 いつか『彼女』と逢う。

 そう決めた時からずっと、ボクは理想のアイドルを演じていた。

 結果、内外共に本来のボクは失われてしまったが、関係ない。

 彼女と逢えるのなら、ボクは例え命だって惜しくはなかった。

 だけど、ああ、それでも成し遂げられないのが、ボクなんだね。

 本来のボクは無力だ。今回だって素のボクが全て、ダメにする。


「だからね。この提案は、気分を害さず聞いてほしいのだけど」


 場の空気が一変する。言いにくそうな様相ようそうにボクは全てを悟る。

 どうしてボクが男でありながら、最終審査まで到達とうたつ出来たのか。

 素質そしつ実力じつりょくで性別すら凌駕りょうがした――――、わけじゃ、ないんだ。


「男性アイドルとしてじゃあ、どうしてもダメなのかい?」


 いつからかな。ボクは男性アイドルとして審査されていたのだ。

 とは言え、うかがうような口振り的に、彼も察しているのだろう。


「はい。それだけは、どうしてもゆずれません」


 でなきゃ、そもそも男性として受けただろうし、今みたいな姿も作らない。

 女性アイドルになる。それがボクの思う、唯一ゆいいつ『彼女』に逢える方法だった。


「な、なるほど。しかし、そこを譲れないとなりますと…………」


 大柄な男性の隣、三十代くらいの彼が、言いながら眼鏡の位置を直す。

 全てがくつがえっていくのを感じる。男性として、じゃなきゃ審査にもあたいしないのだろう。

 最早もはや場違ばちがいとも言える雰囲気を前に、素のボクならそれで諦めていたと思う。

 今のボクの心は理想のアイドルだ。その心は夢に向かってけして折れない。


「お願いします! 何があってもボクは、このボクを貫きますから!」


 だがそう口にしているのも結局、無力なボクである、ってことだろう。

 眼鏡の彼に続き、大柄な彼の顔にも困惑こんわくの色は伝播でんぱする。

 いや、だとしても、とボクが言葉を次ごうとした時だ。


「やめとけ。そんな度量、こいつらにあるはずないだろ」


 そう割り込んできた気怠けだるげな声で、ボクは初めて東條さんのことを認識し、

 ひっ!? 何あれ、ひ、人なの!?

 のちに悪魔とわかる彼だが、そこで地縛霊かと驚愕したわけだ。

 驚きで、先の葛藤やらが霧散していたボクに、彼は一言。


「お前はよくやった。合格だよ。数年前ならな」

「合格…………? 数年前、なら…………?」


 最初、何を言われているか理解出来なかった。

 なら今の時代、ここに居るボクの合格は…………、どうなるの?

 いや違う。理解をただ拒んでるだけで、本当はわかってたんだ。


「あの、東條くん? 部外者に内情を明かすような真似は…………」

「そうだね。我々は平等も良しとするためキミを呼んだが、それ以上はね」


 眼鏡の彼のあせり声に続く形で、大柄な彼が静かに圧を掛ける。

 思えばなぜそう強引に割り込んでまで、二人は彼を止めたのだろう。

 違和感はあった。けどその時のボクは、合格云々の話で手一杯だった。


「確かにな。まあ、今は口が過ぎたと認めよう」


 オホン、と東條さんは、わざとらしい咳払いで身を正す。

 それが、かつてのボクにとっての、終わりの始まりだった。


「志侑環希、だったな。ここでお前に言えることは一つだ」


 嫌だ。認めたくない。そんな思いとは裏腹に彼は告げる。


「『デュナミス』はお前を認めない。となれば、わかるな?」


 そうだ。そう言われ、ようやくボクは不合格を自覚したんだ。

 その感覚はまるで、全身の血が凍り付いていくかのようで――――。

 って、そうじゃない! これ、本当に寒いんだ!

 何せ現実でのボクは夜のお城に居て、突風にさらされているはずである。

 あれはあれで、現実とは到底とうてい思えないほど滅茶苦茶な状況ではあったけど。

 と、とにかく思い出すのはやめだ! このままじゃ凍えちゃう!

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