第4話:初めての感情

 

「おはよう...ございます...」


 午前6時。動画を朝方まで見ており数時間しか寝ていないからか、寝ぼけ眼で少女を見る奏人。


 少女はそれを横目でチラッと見ては、視線を落とし目を瞑る。片膝立てて祈る姿に奏人も真似をするようにしゃがんだ。


「魔女と共に祈ることは敬虔な教徒への第一歩だよ」


「創造神様が貴方を見つけてくれる日は近いかもしれないね」と少女は口角を上げた。


 しばらくその姿のままでいれば奏人が口を開く。


「祈りって、なんですか?どうすれば祈りになりますか?」


 純粋な疑問。その疑問に考える間はなかった。


「さぁ。私にも分からないよ。あの女性には、創造神様は願望機ではないと言ったけど、正解はきっと誰にもわからない」


 あの女性。その言葉に奏人は「う〜ん」と考える。少し考えて「あぁ!」と楽しそうに笑った。


「意外だね。親しそうだったのに、悩まないと思い出せないなんて」


 スラムで、少女が初めて命の収穫を躊躇った女性が脳裏に浮かぶ。今では気の迷いだったのだろう、と思うまでに偶発的現象だったと位置づけていた。


「あぁ。スラムで人はよく死ぬんです。だから死んだ人は忘れるようにしてます!」


 ニッと笑う奏人に心底驚いたように固まる少女。確かに自身も命を刈り取った相手の顔や名前なんて覚えてもいない。だが、流石に司教くらい付き合いの長い人間が死ねば覚えているだろうし忘れない。わざわざ忘れようともしないだろうし...と考えながら唸る。


「私が怖い?それとも、恨んでいるのかな」


 親しかったからこそ忘れる。それは奏人なりの前の向き方なのかもしれないと思う一方で。いくら故人を忘れようと、殺した人間を恨むはずだ。


 パチリと目を見開いた少女の表情は冷ややかな目だった。自身から投げかけた質問にもかかわらず、その目はまるで、自身を否定することは許さないとでも言いたげだった。だが、瞳の奥は確かに揺れていた。


「怖くはないです。恨みもしません。スラムの外ではきっと、それが正しいことだからです」


 それ。その2文字が指すのは、魔女が天命の名の元に人間の命を刈り取ること。人々は恨み怖がるどころか、涙を流して喜ぶ。天命を懇願するあまり、創造神のみならず魔女まで神格化し信仰対象として崇めているほどだ。少女がスラムの女性に死にたくないと懇願されたのが初めてだったのとは対象的に、人々は天命による死を待ち望んでいた。


「じゃあ、スラムでは?」


 その問に奏人は困ったような顔をするが「いいよ」と呟く少女の言葉に口を開いた。


「僕達にとっては、スラムが世界の全てでした。飢えて死ぬ子供もいれば、病気や暴力で死ぬ子供もいる。みんな、生きたいのに生きられないから。正直...」


「不思議でした。生きたいと願う十和子を虫でも殺すように平然と殺す魔女様が」と言う姿に、少女は天井を見た。天井に描かれた絵画には魔女と天命を懇願する人間たちが描かれていた。


 忘れるようにしているというし、実際に思い出そうとするまで思い出せなかったのだから徹底しているのだろう。でも、十和子というのはあのときの女性の名であることは考えなくても分かる。それだけ親しかったのだろう。そう考えながら少女は口を開いた。


「死ぬのって、怖いこと?」


 そう聞けば、「分かりません」と答える。


「女性も最期には泣いていた。死にたくないと」


 天命を得て死ぬことを喜びだと思っている人間としか接してこなかったからか、少女は奏人の方を見れないでいた。初めて感じた感情。生まれて一度も感じたことがなかった。女性に手を伸ばしたとき、躊躇ったあの感情は...


「後悔、してますか?」


 後悔。奏人のその言葉で感情に名前がついた。後悔していた...その事実をどう受け止めていいかも分からない。


「きっと、最初の魔女の誕生以前は...貴方のような人が沢山いたんだろうね」


 魔女がいなければ、みんな死を恐怖していたはずだ。魔女とはいえ、人が人を手にかける行為が当たり前だった訳ではないだろう。


 社会から分断された、スラムだから育まれたその感性。あるいは、300年以上も昔から絶えず受け継がれた考えが、とても興味深かった。


「私はこの先も、後悔するのかな」


 後悔の味に、興味と共に芽生えた嫌悪。その感情に名前がついてしまえばもう、意識せずにはいられない。この先、どんな顔をして人の命を刈ればいいのかと少女はため息をついた。


「後悔するから忘れるんです。最初からなかったことにしてしまえば、後悔しないですみますから」


 親しかったからこそ忘れる。どうやら、その手法の裏には、後悔の感情に押しつぶされないための工夫があったらしい。それを聞いてから、少女はクスリと笑った。


「そうだね。私もそうするよ」


 不謹慎。だが可笑しそうに笑う少女の姿は、外見よりもずっと幼く奏人の目には映っていた。

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