第1話:思し召し

 

「我らが創造神様の思し召しのために」


 血だまりの中、少女が一人。照りつける太陽がアスファルトに反射する。熱こもる路地裏に、鼻を刺す鉄の香りが充満していた。


「魔女様!お見事です!」


「素晴らしい!我らに創造神様の祝福があらんことを!」


 少女の側には、横たわる血にまみれた男性。男性を挟んですぐに絶賛する老父が二人。汚い笑みを浮かべ、媚びへつらうように手を鳴らした。


 少女はただ、褒められた事実に照れながらも真底嬉しそうにはにかんだ。


「創造神様の為に頑張らないとね」


 頬を伝う汗を血のついた手で拭えば頬紅のような淡い血色感。真夏にも青白い肌の少女には、お色直しのような魅力があった。


「次はスラムだって。知ってる?」


 思い出すように少し考えてそういう少女に老父達は頷く。


「ええ、もちろん。本来ならば魔女様が訪れるような地ではありませんが...」


「他ならぬ、創造神様の思し召しとあればご案内いたします!」


 その言葉を聞き終えると少女は歩き出した。


 魔女達は、一日に三度の祈りを捧げる。祈ることで創造神の声を聞くことができるのだ。魔女達は創造神の手足であり、その思し召しには必ず従わなければならない。


 この少女も例外では無く。創造神の思し召しのまま、今日も今日とて手を伸ばす。何よりも鋭利なその指先に振れれば、ホウセンカのごとく肉片が飛び散った。


 去り際、老父の一人は横たわる男性を横目に見る。


「あぁ、なんと羨ましい」


 うっとりとした表情で男の腹だった場所を撫でる。風穴が空き焼けただれた傷口からの出血はとうに止まっていた。男を見た後、少女へと視線を移す。血に濡れたワンピースは真っ赤なドレスとなり、少女の歩いた道はレッドカーペットと化す。そんな姿を見てまたうっとりとした。己が死ぬときはこうでありたいと心から願うほどに見入るのだ。


 あぁ、魔女様と...


「魔女様、ご苦労様です!遺体はこちらで処分いたしますので!」


 しばらく歩いた先に、敬礼とともに元気よく挨拶した男性。


 桜の代紋なんて呼ばれることもあるバッチを左胸に輝かせている男性は、ニッコリとした笑顔で少女の手を取り車までエスコートした。乗り込めば、素肌を伝う汗が冷え寒い。男性はそんなことはお構いなしに更にカチカチと温度を下げ、勢い良く発進する。けたたましいサイレンの音が鳴り響き、周りの車は左右に避けた。後続には先程まで侍らせていた老父たちをそれぞれ乗せた車が連なっていた。


「到着しました!お降りの際は足元にお気をつけください!」




 到着すればまた手を差し出され車を降りる。降りた先には悪臭漂う路地。血の匂い、魚類の腐ったような匂い。吐き気を催すには十分すぎるほど強烈な環境。


 少女はそれも気に留めずスタスタと歩き出す。怖気づいた大の大人達は「ご武運を」なんて言葉を吐いて動こうとはしなかった。


「奏人、起きて...人が来た」


 少女は、さらに細かい小道に目を向ければまだ十やそこらの子供達が身を寄せあっているのが目に入った。生きているのか死んでいるのか分からない裸の子供も転がっていた。一番奥まで歩みを進めればお目当ての栗色の髪を持つ女性。体つきからして成人しているかしていないかギリギリの線だろう。


「我らが創造神様の思し召しのために。天命を享受しなさい」


 酷く単調な声で発された言葉に、女性は涙を流した。少女は、きっと創造神様からの天命があまりにも嬉しくて泣いているのだろうと頬を緩ませた。


「創造神様...私は物心つく前からお祈りを欠かしたことはありません。毎日毎日祈り、願ってきたのに...」


「死にたくありません...」そう泣きじゃくる女性。一変して少女は目を見開く。創造神様からの天命は、最も素晴らしい命の収穫だというのに。そう混乱した。今まで泣いて喜ばれたことはあっても、死にたくないと懇願されたのは初めてだった。


 急に自身の行いが不安になる。手が震え、息が荒くなった。視線を落とせば...


「手...」


 先ほどまで血にまみれていた手は、洗って綺麗になっている。鮮やかな赤を綺麗とさえ思っていた。手を鼻に近づけた時だ。


「うっ...」


 こびりついた鉄の香り。いつの間にかこんなにも異臭を放っていた。そして、放っていたことに気がつかないほど鼻が慣れていた。


 女性に目を移す。怯えながらも後ろに横たわる少年を庇うように立っていた。首元にめがけて手を伸ばせどその手には確実に迷いがあった。


 もしかしたら、私のしていることは悪いことなのでは無いか。そう考えてしまえば一向に触れることができなかった。


 (ーー君は選ばれた。だからこそ、創造神様のために生き、創造神様のために死ぬのは使命だ。それとも、また独りぼっちで抜け殻のような生き方をしたいのかな?)


 幼い頃に言われた言葉が脳内でぐるぐると回る。例えそうだったとしても、もう後には戻れない。もう、一人は嫌だ。そう自身を奮い立たせた。


「創造神様は願いを叶えてくれる願望機ではないよ。死にたくない、は創造神様の思し召しに反している」


 ボッという音と共に、女性の首から上が炎に包まれた。悲鳴を上げる暇もなく炎が消えれば女性の頭だったものは黒くいびつな形をしていた。どれだけ悩もうと、終わってしまうのはほんの一瞬だ。


「十和子...?」


 頭の黒ずんだ女性の体が膝から崩れ落ちれば側で眠っていた少年が体を起こした。


「あなたは、誰です?」


 その問いに少女が答えることはなかった。前までは知らなかった感情がドロリと心を覆う。いたたまれない気持ちを隠して、もと来た道を帰ろうと踵返したとき、服の裾を握られた。


「まだ、答えを聞いてないです」


 ぷくっと頬を膨らませてそんなことをいう少年に驚いた。


「魔女。いくら貴方でも知ってるでしょ」


 少女の言葉に少し考え「あぁ!」と思い出したように声を挙げる。


「十和子のいってた人ですね!初めて見ました!初めまして!」


 初めましてを繰り返されたような違和感に首を傾げる。しかし、もう二度とこの少年に会うことも無いだろうと、今度こそ踵返した時だ。


「僕の天命はいつですか?」


 そう向日葵のような満面の笑みで問われた。真っ直ぐで純粋な姿に、得体の知れない興奮を覚えた。その姿は死に直面し怯えていた先程までの女性とはあまりにも対象的だった。


「弟子になってみない?私の側にずっといれば創造神様が貴方を見つけてくれるかもしれない。天命が下る日も近いかもしれないね」


 気づけばそんなことを口走っていた。弟子なんて取ったことはない。でも、魔女が弟子をとった前例が無いわけではない。


 それだけ言って今度こそ踵返す。歩き出せば足音は行きよりも増えていた。


「名前は?」


 ボロ切れ布に見を包み、悪臭漂う少年。普通の人間ならば手を伸ばすこともしないスラムの住人。そんな少年が横を歩けど少女は嫌な顔一つせずそう問う。


「奏人です!」




 躊躇うことなく、そういう少年に満足したのか、グイッと手を引き、来た道を戻った。

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