一生分の一日

@merimarimo

一生分の一日

 バタバタと音を立てながら手のひらをベッドに叩きつけると目当てのものを探り当てた。ようやく薄く開けた目に突きつけられたのは八月十日十時二十一分の文字。誰からもメッセージは来ていない。何をするでもなく十一時を回るとさすがにまずいと思い身を起こした。

「起きたからと言ってすることもないけど。」

思わず独り言も漏れる。リビングにつくと朝ご飯だか昼ご飯だかわからないままパンを口に突っ込んだ。夏休みも折り返しだというのに昨日も今日も何か成し遂げた事があるかと問われれば首を横に振るしかない。きっと明日もそうだろう。やるべきことから目をそらすように視線を泳がせると机の上のあるものが目にとまった。

『おはよう。夕方まで仕事だから朝と昼は適当に食べてね。買ってもいいよ。』

母の書き置きの横には千円札が置かれていた。

「どうせやることもないしな。」

俺は数日ぶりの外出を心に決めた。


 近くのコンビニに行くだけなのに久しぶりともなると変に気合が入ってしまったのが気恥ずかしい。念入りに洗顔をして寝癖をちゃんと直したうえに自分にとっての一軍服を選んでしまった。知り合いに会うかもしれないしと誰あてでもない言い訳をする。今日は絶好の外出日和で青空の眩しさに耐えきれず目を細めた。茹だるような暑さだが時折吹く風が心地よく、外に出るのも良いものだなと思い直す。そうこうしているうちに目的地が見えた。

「あ、久遠じゃん。」

自動ドアをくぐり抜けるとちょうど会計を終えた聖がいた。


「最近何してんの。」

追加で買ったアイスを片手に聖は言った。

放たれた当たり障りないはずの言葉は俺にとって最も返答が難しい質問だった。

「なんにも。おまえは?」

なんとか自分を会話の中心からそらしてみる。

「大会と合宿おわってからは課題やったり遊んだりかなあ。 」

 聖とは小中学校が一緒で毎日顔を突き合わせていたというのに高校になってからはこんなふうに話す機会もめっきり少なくなってしまった。それも学力と周りの雰囲気でなんとなく選んだ俺と、自分のやりたいことを追いたいと懸命に勉強をしていた聖とでは進路がわかれたからなのだが。あいつは俺と違って人当たりもいいし目標に向かっての努力を惜しまない。なんというか真っ直ぐなやつだ。「話したいしアイス買ってくるわ。」とサラッと言いのけたあたりも彼の人柄を表していると思う。

 会う頻度が減った反動もあって、俺達は喋り続けた。学校やクラスのこと。部活のこと。最近おもしろかったこと。高二だし進路を考えなきゃなんていう耳が痛くなるような話。

他愛のない話をし続けて二人共口の中が木の味でいっぱいになった頃、聖が言った。

「時間あるならちょっと遠回りしてこうよ。」


 選んだのは二年前まで毎日通っていた中学の通学路だった。何の変哲もない、せせらぎ沿いの道を進む。

「わっ。」

眼の前を虫が通って思わず瞬きをした。

「あれはハグロトンボかな。飛び方が特徴的なんだよ。」

 聖は昔から好奇心が強くて、登下校中こんなふうに色々なことを教えてくれたなと思い出した。また聞けたことを少し嬉しく思うと柄にもなく俺はノスタルジーな気分になった。

程なく分かれ道になって聖は名残惜しそうに別れを告げた。俺もまたそれに応え、立ち止まって背中を見送る。

 聖と話すのは楽しかったが、ただ俺は置いていかれたような漠然とした不安におそわれていた。今の時期に暇を持て余しているような自分は老後どうするんだろうなんていらない心配をしてみる。そもそもやりたいことも見つかっていないのに。俺の将来はどうなるんだろう。どうしたいんだろう。

 そろそろいくか、と歩きだすと急に視界が歪んだ。頭が重い。熱中症か?朝水分を取らなかったのが悪かったとかやっぱり外になんか出るべきじゃなかったとか頭のどこか冷静な部分が原因を探し始める。そんな余裕があったのも一瞬のうちで、とうとう俺は道路にしゃがみこんだ。目を閉じると強い日差しと暑さから見逃されたような、少し楽になったような気がして、意識を手放す理由としては十分だった。

 

 記憶が途切れたのはほんの一瞬、だと思ったがこころなしか陽が傾いているようなので思ったより時間が経っているのかもしれない。先ほどとは比べ物にならないくらい頭はスッキリしたが、視界は悪化している気すらする。病院に行きたいところだがここからはかなり遠い。一旦家に帰ろう。というか倒れていたなら誰か助けてくれたりしなかったのかと少し不満に思う。運悪く誰も通らなかったのか、はたまた世の中そんなに甘くないのかなんて冗談めかしながら俺はなんとか立ち上がろうとした。しかしそれは失敗に終わる。足元がおぼつかないというか浮遊感があるというか……。

「え、浮いてる?」

幻覚だとしてもかなりまずいところまで来ているんじゃないか。急に危機感を覚えた俺は必死に頭を回転させ、そして気がついた。

 スマホで救急車を呼べばいい。

 ただそれだけのことに気が付かないなんて相当焦っていたなと思いながら胸ポケットに手を伸ばした。そこでようやく、俺は体の異変に気がついた。信じられないほど細く、節のある腕は到底人間のものだと思えない。「前足」と表現したほうがしっくり来るだろう。根拠はないが他の部分もおかしいと本能的に確信していた。まるで、俺自身が虫になったみたいな。

 急な情報に頭はほとんどパニック状態だった。あまりにも現実味がない。視界の違和感、浮遊感、変わり果てた腕。俺はこれを夢だという思うことにした。現実逃避だといわれるかもしれないがこれを現実だと信じるよりよっぽど簡単だ。

「こういうの明晰夢っていうんだっけ。」

急に余裕が出てきた俺は非現実的な体験を楽しみ始めた。まず俺の興味が向いたのは自分の姿についてだった。何かしらの虫ではあろうが手がかりが少なすぎる。なんとかして自分の姿を見たいところだ。なれない体でなんとか水辺まで移動し、覗き込む。そしてあの頃の声を蘇らせる。


「久遠見て。カゲロウがいるよ。」

「この細長いの?」

「そう。細くて、前の羽が大きくて、尾がわかれてるの。成虫はだいたい夏にいるんだ。」


 記憶の中の言葉と眼前の自分は一致しているように思える。この時点で俺は満足だったが思い出せる会話にはまだ続きがあった。 


「聖、カゲロウは捕らないの?」

何も知らなかった俺は純粋な疑問をぶつけた。

「カゲロウはね、成虫になってからすぐ死んじゃうんだよ。だから捕らない。」

「すぐってどのくらい?一週間とか?」

「ううん。長いのもいるけど大体は一日とか二日とか。一時間なんてのもいるよ。」

その時俺はいい言葉が思い浮かばなくて、なんとか

「かなしいね。」

とだけ言った。


 そこで浮かんだ最悪の可能性を俺は必死に捨て去ろうとした。しかし一度頭をよぎってしまったら最後、考えないようにすればするほど頭が埋め尽くされていく。もしこれが夢じゃなかったら。本当にカゲロウに変身したのなら。

 俺は間もなく死んでしまう。

 あまりにもあっけないが残酷な言葉に再び気を失いそうになった。気づけば陽はほとんど落ちて影があたりを占めていた。こうしているうちにも時間は止まってはくれない。

 ありきたりだが俺は今までの生活を振り返り始めた。

 やりたいことも見つからない、否、見つけようとしない日々のこと。

 何をしたかも、考えたかも覚えていない夏の数日間のこと。

 夜は刻々と更けていくが休んでなんていられない。

 大人になるのなんて、ましてや生涯を終えるなんて途方もなく先のことだと思っていた。

 たった一日で何が成せるかと思っていた。

 与えられたものの贅沢さに気がつけないでいた。だから「かなしい」なんて言葉が吐けた。

 もしもこれが夢なら。

 やり残したことが溢れてくる。家族と話そう。友達に連絡しよう。どこか遠出するのもいい。何かを本気で頑張ってみたい。次々と思い浮かぶことは人の生涯をかけてもやり尽くせない気がした。

 その瞬間、俺の視界が再び歪んだ。頭もずんと重くなる。しかし不思議と嫌な感覚ではない。これは夢から覚めようとしているのか。それともおわりの時間が近づいているのか。あいにく死んだ経験はないのでどんなものかはわからない。

 俺は登り始めたばかりの太陽の光を目に焼き付けると、ゆっくりと瞼を閉じた。

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