第13話
とそのような体育の授業が終わり、昼休みになった。
その瞬間、教室内には一気に喧騒が広がる。右から左から前から後ろからそれぞれのグループの会話が聞こえる。その中で、会話できるのだからリア充というのは凄いものである。
いつもの僕なら、オニギリを一口で食べ終わりそのまま睡眠につく。これが定石である。食事時間1分。残り49分は暇な時間。多分、授業よりも苦痛かもしれない。
しかし今日はいつもの昼休みとは少し違った。
僕の目の前にクーロンという少女がいた。
「凄い。うるさい」
クーロンは高校の昼休みというイベントが初めてのようである。彼女は顔を顰めている。
「この場所。誰かと食事を取らないといけないというルールがあるの?」
いや、そんなことはない。別に1人で食べてもいいはずだ。ただ、1人で食べたら多少、学内ヒエラルキーが下がるだけで。
「お前は、僕の元に来ていいのか」
「何で」
「何でって。お前、どうせ誘われたんだろ。一緒に食事しませんかと」
「どうして」
そりゃ、何もない学園生活に突如、現れた謎の転校生。これほど面白い展開というものはないからな。僕のような陰気臭い人だって、転校生という属性があれば初回限定。初日だけは人気者になる。まぁ、その後は知らないけれども。
ましてや、クーロンみたいな美少女。普通にしていればすぐにクラス内ヒエラルキーのトップになれるだろう。
「あのな。僕と一緒にいると損をするよ」
「損?」
「そうそう。僕と一緒にいたって何も楽しい学園生活は送れない。むしろどんどん孤立していくぞ」
「……別にいい」
「別にいいって」
「私はダーリンと一緒だったら何でもいい」
そう言って、彼女は手に持っていた肉まんを頬張った。
と思ったら、その半分食べた肉まんを僕の方へ差し出す。
「おい、これは」
「あげる」
「なぜ」
「ダーリン。顔が疲れているから。これで元気出して」
そりゃそうだ。学校内でこんなイベントが発生するのは一体いつぶりだ。いや、初めてかもしれない。普段、学校で喋るということをしてこなかった。体育で動くなんてことをしてこなかった。だから何だが、今日一日で、学校生活を数日分。一気に送ったような気分になっている。
学校生活というのはこれほど疲れるものなのか。この時。初めて知った。
そして僕はその肉まんを手に取る。そしてじっくりと見つめる。
肉まんの中の肉がきらりと輝いている。そして考える。
これは、クーロンの食いかけだよな。つまりこれは。下手をすればクーロンと間接キス。そのようなことになってしまわないだろうか。
「ほら、食べて」
とクーロンはそうやって誘導をする。
僕は黙り込んだ。クーロンの唾液がこの肉まんの中に数パーセントは確実に入っているわけで。
「どうしたの?」
「いや、その。人間界ではこういったもの。タブーなのさ」
「タブー?」
「そうそう。何というかさ。うん、そのさ」
「どうして」
これが見知らぬ人の食べかけなら汚いと言える。しかしこれはクーロンの食べかけである。つまり汚いとは決して言えない。というよりはばっちいとかそのような事、僕は思っていない。それどころか、ご褒美すらも思っている。
実際、この肉まん。今このクラスでオークションに出したら随分な高値で取引出来るだろう。下手すればこの肉まんを巡って、死闘が繰り広げられる可能性だってある。
つまりこれは宝である。ここで関節キスを決められるなど、どれほど幸せなことか。
はっ、いかんいかん。何を意識しているのか。
そもそも、関節キスすることがそれほど悪いことであるのか。たったこんなことで心臓をバクバクさせるなんて。まるで僕がクーロンのことを意識している見たいじゃないか。違うんだ。このクーロンという少女は宇宙人なんだ。決して意識する必要などないんだ。意識するな。
僕はクーロンのこと。好きじゃない。そうだ。好きじゃないのだから。女性として見ていないのだから。別にいいじゃないか。
それでも僕は周囲をキョロキョロと見渡した。誰かこの瞬間を見ていないか。どうしても気になる。
「どうしたの? 早く食べて」
「早く食べてと言われても……」
あー、もう!
「もしかして肉まん嫌い?」
「いや、嫌いじゃ何だけれどもさ」
そんなやりとりを続けていたら、
「あーもう」
と前の方からそんな声が聞こえてきた。そして前に座っていた少女がクルリと椅子を回し僕たちの方を睨む。
ショートカットで身長は随分と小さい。容姿はかなり幼く見える。目のところにはクマが出来ており、明らかな寝不足だと思われる。
確か、この人の名前は逸見七海と言った。
「本当うるさい!」
と彼女は不機嫌そうにそう言った。
「あのね、私は昨日夜遅くまで勉強していたの。だから後ろでそんなイチャイチャされると休憩出来ないじゃない」
そして、彼女は大きなあくびをする。かと思ったら僕が手に持っていた肉まんを奪いそれを口に含んだ。
「そんなにお腹いっぱいなら私がこれぐらい食べてやるっつーの。うん?」
その肉まんを口に含んだ瞬間、彼女は一瞬笑みを溢した。
「あら、この肉まん。美味しいじゃないの」
と言った後。すぐに真顔になる。
「いや、そうじゃなくて。第一あなたたちは常識がなさすぎるのよ」
「常識?」
クーロンは首を傾げた。
「そうよ。こんな教室みたいに密閉された空間でそんな匂いが強烈なものを食べてさ。少しはこっちの迷惑を考えてくれる? 休み時間、勉強をしている人だっているのよ」
「勉強している人?」
と、疑問を持つクーロン。確かに周囲を見渡しても逸見のように勉強をしている人は誰1人いない。それもそうだろう。ここは勉強をするには最悪の環境すぎる。あちこち、最大音量で色々な会話が飛び交っている。ボーッとしていても、クラスの会話が耳に入ってしまう。言うのであれば、街頭演説をしている政治家の前で参考書を広げてテスト勉強するようなものだ。
さらに、この学校には図書室も自習室も完備されている。だから昼休み、どうしても勉強をしたい。そのような人はそっちへ行くと言うのが大半である。昼休みの教室で勉強をするなんて、それは稀中の稀なケースである。
「そんなこと言ったら自習室で勉強すれば良くないか?」
と僕は思わずそのようなことを言ってしまう。すると
「あんたバカァ?」
と彼女は罵り出した。
「自習室には人がいるじゃん」
「いや、ここにも人はたくさんいるでしょ」
「違う、違う。人の人種が違うでしょ。この時間自習室で勉強する人はどうせ、自分が勉強をするのカッコイイと酔っているだけなんだからさ」
「そうか?」
「そうよ。ほら、建山とかいるでしょ」
「あぁ」
建山。一体誰のことだ。僕の記憶の何はそう言った人はいない。いないのだが、まぁ。いるらしい。
「その建山将来、起業したいと言っているの」
「あら、立派」
「どうかしらね。聞いた話、ITで世界を変えたいとか何とか言っていたらしいけれども」
「随分大きい夢だね」
「本当よ。ITで世界を変えたいって何? あなたはグーグルとかでも作るのですかって。もしそうだとしたらこんな学校にいるべきじゃないし、そのような世界を変える人は生まれつきの才能があるわけだしさ。絶対に無理よ」
「そんなの分からないんじゃないかな」
「いや、無理よ。そんなの本人も絶対に分かっている。せいぜい、社長になるにしても、不味かったら全額返品するまぜそば屋の社長ぐらいにしかなれないよ」
それでも凄いのだけれども。
「だけれども、そんな大きな夢を抱いている自分かっこいい。青春輝いていると彼らは思っている。本当、恥ずかしいことね。私はそんな人たちと一緒になりたくない」
「それじゃ、どうして逸見さんはこんな昼休みに勉強するの?」
「それは私の家は貧乏だからだよ」
「貧乏?」
「そう。私の家。旅館をやっているのだけれども。そこは山奥にあって駅から少し離れているの。さらに車で数分走らされば、有名な温泉地があるの。だからみんなそっちへ行くんだ」
「そうなんだ」
「だけれども、私の母が言うには昔は立派な旅館だった。そうらしい。例えば昔、大文豪の太宰治が宿泊をしたとか何とか」
「おぉ、それは凄いじゃないか」
「そうでしょ。姥捨の舞台になったとか」
「うん? 姥捨の舞台は水上じゃないかな?」
「おさんの舞台だとか」
「それは諏訪だね」
「グッドバイなどを執筆した場所だとか」
「それは大宮だね」
「富嶽百景の舞台地だとか」
「もう富嶽とか言っている時点で明らかに山梨とかが舞台だよね」
「……うるさい。私の親がそう言っていたもん」
「あぁそれは」
きっと嘘をつかれていますぜ。
「とにかく昔は大きな旅館だったらしい。だけれどもそれが今はそこら辺の木造アパートと何も変わらないぐらいに寂れてしまって。お客も1日1組泊まれば良い方。そんなボロ旅館なんだよ。そして綺麗に修繕する金すらもない。いや、それどころか、私たちの明日の食事がどうなるか分からない。それぐらいヒモじい生活をしているの。だから、勉強をして国立大学に行かなければいけない。そしていい場所に行って親孝行をしないといけない。私はそう思うわけ」
「そうか。そうか」
それは随分と立派な動機なこと。それと同時に、やはりそれぐらい国立大学に行く必要があるのであれば、自習室で勉強をした方がいいと思うのだが。
「だから、私の席の後ろでそんなイチャイチャしないで。気が散る」
「別にイチャイチャはしていない」
「いや、している。ねぇ、いい。人類の中で一番醜いものって何か分かるか?」
「わからんな」
「それは必ず別れるカップルなのに、目の前でイチャイチャされること」
まぁ、それに関しては同感である。
「特に、スーパー銭湯でイチャイチャするカップル。あれ意味が分からない。まずどうせお風呂に入ったら別々の時間過ごすことになるのに、敢えてスーパー銭湯をデートスポットにするのがナンセンス。あんなの、ジジババの同窓会会場みたいなものなのにさ」
そんなことないと思うぞ。
「どうせ、あんなの。男性からしてみればお風呂上がりの彼女の髪の香りを嗅ぎたいだけでしょ。だからスーパー銭湯をデートスポットにするのでしょ。おぉ、ヤダヤダ。変態。ケダモノ」
この人は過去にリア充に親を殺されたのだろうか。それぐらい恨んでいる。
そういえば、この逸見という人物。
僕と同じようにいつも休み時間。自分の席で1人でボーッとしている。つまりこの人もボッチ星出身者だ。他の女子と喋ったことを見たことない。
これは僕の偏見になる。しかし率直に一人ぼっちになる女子と言うのは珍しいな。そう思ってしまう。
女子は男子以上に人との繋がりを気にする生物だ。だから男子なんかよりも強固なグループの輪を作る。もしそのような輪に入れなかったとしても、今度は男がいる。
ボッチの男に声を積極的にかける女子はいない。何故なら面倒臭いから。
しかしその逆で、ボッチの女に声をかける男はいる。男には、思春期特有の性癖があるから。事実。朝、あれほど暴れたクーロンも、男子の中では注目の的になっている。多分数週間もしないうちに、男子からクーロンはアプローチを受けるだろう。
ともあれ、女性というのは男子に比べてボッチになりにくい。だけれども、この人は僕に引けを取らないほど完璧なボッチだ。
「とにかく、私は完璧な女の子なのだからさ」
その理由は何となく分かる。
こいつは入学初日。やらかしているのだ。
最初のホームルーム。彼女はこのように自己紹介をした。
「私は特別な人間です。だから私に話しかけられるのは、同じように特別な人間だけです」
と。
これは平凡な学園生活を送りたい大半な人たちにとって鎖国宣言。
さらに、こんな発言をしておきながら逸見は何か、才能溢れる人なのか。そう思われたが、実際にはどうもパッとしない。
別段、馬鹿というわけでもないし、運動音痴というわけでもない。しかし全てにおいて平均。
これが極端な馬鹿とかであれば、それをイジるネタにして喋りかけることは可能である。しかし、中途半端にテストの点数を取ってくるせいでそういったいじりが出来ない。
また、あのような自己紹介をしたのだから、ノリがよい人間。冗談が分かる人間だと思ったらそういったわけでもない。
そのせいでどうも揶揄いにくいイメージがついてしまっている。
その結果。今日まで。僕とぼっち争いが出来そうなぐらい彼女はクラスから孤立していた。ペリーはまだ来航してこない。
そんな逸見は
「フン」
と鼻息を漏らして再び、勉強を再開させる。
僕とクーロンはその勉強する様子を見ていた。その中
「あっ、違う」
とクーロンは小さく呟いた。
「何なのさ。2人で邪魔をしてさ」
「…邪魔なんてしていないよ」
「本当。私が頭いいからと行って。そんな妬んでも」
事実、妬んでなどいない。というか、この人が頭いいのかどうかなんて知らない。
問題集を見る。一問も前に進んでいない。そのように思える。
「いいかい、いいかい。私は勉強をしてITの社長になって世界を変えて見せるのだから」
「それって逸見さんが嫌いな意識高い人と全く一緒じゃん」
「うるさい、うるさい。私はあの人たちと違うんだから。絶対に私は他の誰よりも有名になれるんだからさ! 本当邪魔をしないでくれないか!」
そう言って、彼女はもう一度問題集の方に目をやる。
「私は他の誰よりもきっと有名になる存在なのだからさ」
そう言った後。逸見はしばらく黙り込んだ。そしてじっと問題集を見つめている。
手が一切進んでいない。
「あのさ」
と思ったら彼女は随分と弱々しい声で小さく呟いた。
「あなたたちって青春というものを知っている?」
「青春?」
「そう。みんなが思い描いている当たり前の青春。それを知っているかって?」
「いや……」
逸見は一体何が言いたいのだろうか。
「そうよね。私も青春を知らない。中学、高校とずっと1人で過ごしていたのさ」
「ふーん」
「というか私は他の人と一緒に過ごすなんて馬鹿馬鹿しい。そう考えてしまう。何の生産性もない。特に休日、わざわざみんなで混んでいる場所に行く。その理由がよく分からなかったりする」
「まぁ確かにそうだ。僕だって逸見さんと同じく人の多いところは苦手さ」
「そう。だけれどもこうも思うわけ。そんなに青春というものは面白いのかなって。実際に経験したことないからそこら辺も分からないのだけれども」
「だから一体何が言いたい……」
「つまりつまり。まぁ……」
逸見の顔はどんどんと赤くなる。そして、そのまま僕たちから顔をそっぽ向けた。
「経験しないと分からないものがあるわけで」
あーもう。
と、逸見は髪をカシャカシャとかく。
「つまり、私はあんたらと放課後どこかへ行ってやってもいいと言っているのよ!」
やがて、彼女は茹でたこのような真っ赤な顔を僕たちの方へ向けた。
「その、なんだ。あなたたちはどうせ、そう言った青春生活を過ごしたことないんでしょ。だからこの私が、そのお手伝いをしてやると言っているの」
その後。彼女はねぇ、分かって。と小さく呟いた。
「ほら、ここら辺だとみんな学校帰りに北口に行くらしいじゃない。私も一緒に行ってやってもいい。そう言っているのよ!」
確かに。
北口駅。実はこの駅は市内で最大級の規模を誇る駅である。
僕たちの高校がある南宮市には三つの路線が通っている。一番南を通る路線は、海のすぐそこに駅がある。大型野球場などがあり、観光需要は非常に高い路線である。しかし、僕たち北部に住む人からしてみればその路線を使うことはほとんどない。
その次に真ん中を通る路線。これは市内の中心部を通っている。そしてその沿線には市役所や銀行などある。しかし、快速は全て南宮市の駅を通過するため僕たちからしてみれば利便性が非常に薄い。
そして最後。山側を通る路線。この路線の付近には高級住宅街や学校など多くある。そのため利用者はかなり多い。また南宮市の中心駅。北口駅は宝塚市、神戸市、大阪、その全ての中間地点なので、乗り換え客でいつも駅の中に人が溢れている。
さらに、北口駅は関西最大級の百貨店が隣接しており、それを中心に飲食店や塾など様々な施設が密集している。だから南宮市の高校生は学校帰りにここに寄って遊ぶ。それが定石になっている。
それどころか、サラリーマンや主婦、大学生など全ての人がそこで遊んだり、買い物をしたりする。
ただし、僕はそんな場所に行ったことなどなかった。
というのも、まず僕の家は北口よりもさらに北側にある。だから通学路に北口などない。
それ以外にも、別段僕は服や最近流行りの物など。所謂物欲というものが一切なく、そう言った大型百貨店に行く必要などなかった。仮に欲しいものが発生した時、僕はネットを使う。実際の店舗に行ったりなどしない。
面倒臭いのだ。商品を探したり、わざわざレジを並んだりするのが。
それ以外にもそのショッピングセンターには映画館がある。だけれどもそれも分からない。どうして映画館で映画を見る。
一回見るだけで1500円ぐらいするわけで。1500円もあれば文庫本だったら2冊変えてしまう。わざわざ数分電車に揺られて、まず百貨店に向かう。それだけで体力を消費してしまう。
と思ったら次はチケットを買う。席を選ぶ。自分の好きな場所で見れるわけではない。空いている席がなければ映画を見ることすらも出来ない。
それだけならまだしも、その瞬間。座席ガチャというものが始まっている。隣にどんな人が座ってくるか。分からない。おっさんかもしれないし、リア充かもしれないし、香水臭い人かもしれない。
そして運悪く、隣に座っていた人がハズレだったとする。それでも一度チケットを買って中に入ってしまったら払い戻しというものが出来ない。つまり120分間、隣にハズレの人を座らせながら見なければならない。
さらに映画館というのは密閉性の高い空間。非自由度性のある空間である。
映画の上映が始まったらスマホをイジるということは出来ない。
新幹線の車内でもスマホをイジることが出来るというのに。
つまり120分間。映画館で僕は拘束に近いような状態になる。いやこれが風と共に去りぬとかであったら200分。ずっと拘束される。その映画はまだ名作だから良い。
これが死霊の盆踊りのような内容が全く分からないものを流された時。それは本当の意味で拷問だ。
そのような自由のないところでどうして映画を見なければいけないのか。
家で、スマホ一台。アプリで映画をみれば、そのような拘束をされることはない。ベッドの上で寝っ転がりながら見るのも、トイレで見るのも、ご飯を食べながら見るのも、全て自由だ。
その隣には嫌いなリア充もおっさんも香水臭い青年も誰もいない。
また、うっかりクソ映画を見てしまったとしても。ボタン一つでその映画を消すことが出来る。そう言った自由性がある。
これでいて、値段は月1000円程度。1回1500円かかる映画と比べてみればその値段の差は明らか。
なぜ、自由性を奪われながらも映画館に行って映画を見るのか分からない。
というと、画質がいいからとか、音響がいいから。そのようなことをいう人がいるだろう。いやいや、僕の場合。スマホを弄りながら映画を見るので、画質やら音響はぶっちゃけどうでもいい。
というわけで。北口で映画を見ることなどもない。
つまり僕は北口へ行く理由が何もないのだ。ないところか、できればあのような魔境。近づきたくない。だから。
「いや、別に僕は北口行かないよ」
と言った。
そうしたら逸見は顔を真っ赤にして体をワナワナと震わせていた。そしてそのまま拳を握りしめてそれを僕の顔面に飛ばした。
「イタッ。何をする!」
「うるさい! うるさい! 私がこんなにも勇気出して行ってやってもいい。そう言ったのに。何、その態度。本当嫌い!」
と。どうやら僕は嫌われてしまった。
「北口ってどこ?」
と。クーロンが聞いてきた。
「北口は……ここから南側にある場所で」
「そこってそんないい場所なの?」
「別にいい場所というわけではないさ。人がたくさんいてむしろ僕は嫌いな場所だ」
「どうしてそんな場所。人が集まるの?」
「まぁ、買い物する場所とかご飯を食べる場所とか、色々あるからじゃないかな。知らんけれど」
「そうなんだ。そんな場所があるんだ」
そうして、彼女はまっすぐ逸見の顔を見ながら
「私。その場所に行ってみたい」
と。そのようなことを言った。
「ほら、クーロンさんはこんなに聞き分けいいじゃないの! あんたはどうする?」
「どうするって……」
出来ることなら行きたくない。あんな場所。わざわざ行くようなもんじゃない。などと行ったらどうせまた拳が飛んでくるだろう。つまり実質的な拒否権というものがないわけで。
「分かったよ。行ってやるよ」
「何、その言い方。まるで無理矢理しょうがなしに行ってやっているみたいな言い方じゃない」
実際にそうである。
学校が終わったら真っ先に帰宅したいものだ。
「分かった。一緒に行かせてください」
そう言った。
これが普通の女性からの誘いだったら泣いて喜ぶほど嬉しかったのだと思うんだけれどな。
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