第6話
目が覚めた時。僕は高い天井を見ていた。
そこは見覚えのある天井である。
どうやら、フラれたあの直後。僕は記憶を失っていたようだ。
そして僕の目の前から銀色の線が一本通過する。その線を手に取る。
長い、髪の毛だ。
そしてゆっくりと体を起こす。その髪の毛の主は目の前にいた。
銀色の髪の毛を真っ直ぐ伸ばしている。そしてパッチリとした団栗眼。年は随分と若いように見える。恐らく僕とあまり、歳は変わらないだろう。
一体誰だ。とその少女を見つめる。
僕は首を左に傾げた。するとその動きをコピーするように、その少女も首を左に傾げる。
「一体……誰だ?」
と。ようやく言葉が出た。
「さぁ?」
ますます、首を左に傾げる。
「いや、名前とかあるでしょ?」
「なー?」
「なーとかじゃなくて。だから名前。お前は、なんていう名前だと聞いている」
「名前?」
「そうそう。あっ、もしかして日本語通じなかった? Name?」
「うー」
全く会話にならない。
この少女は自分が名前を知らないフリをしているのか。それとも、本当に名前がないのか。江戸時代であれば後者の可能性は全然あり得る。しかし今はその時代から数100年経っている。今の世界で名前なしでは生きていけない。それだと記憶喪失か……? まぁともあれ。
「とりあえず警察いくか?」
「んー?」
今度は右に首を傾げる。
その様子。警察すらも知らないような雰囲気である。全く話が通じない。
記憶喪失というのは自分の名前などを忘れる事象である。しかし警察などの名詞までさっぱりと忘れるということはほとんどない……らしい。それを考えると、この少女は本当に警察というものを知らないというのか。
もしかしたら、本当に宇宙人なのか。そうかもしれない。
としばらくすると、少女の方から大きな腹の虫が鳴る。そして直様、彼女は自分の腹を抑えた。
「……お腹すいた」
ここで漸く日本語らしい言語を喋った。言葉はしっかりと喋れるのか。
壁にかけられた時計を見る。時刻は11時になっていた。
昨日、フラれたのは23時ごろだとしたら、12時間近くここで寝ていたということになる。そんな時間まで寝ていたのか。
「お腹すいた」
と彼女は同じ言葉をもう一度言う。
まぁ、昨日から、何も食べていないとすると当然の反応ではあるのだけれども……。
僕は立ち上がる。
周囲を見渡す。そこは紛れもなく僕の部屋である。畳の中央に布団が置いてある。壁には掛け軸と壺。これぐらいしか物がない。随分と質素な部屋である。
通常の高校生の部屋だと、テレビやら漫画やらあったりするような物だが、ここにはそういった高校生らしいものはない。
もっとも、勉強机などは、書斎室にあるのだが。しかしそれにしてもあまりにも質素である。まるで江戸時代のお殿様のような部屋である。その奥には障子があり、そこは空きっぱなしになっている。
そちらへ行き、部屋の外へ出る。そこには長い廊下があった。その右隣にはもう一つ窓があり、その外には中庭が広がっている。ずっと奥には竹垣で仕切られており、その手前に二つの灯籠が立っている。その灯籠には昼間でありながらチラリチラリと火を灯していた。そしてその手前には池。その池にはアホづらした鯉が、餌はまだか、まだかと口をパクパクさせている。
更にその手前。手洗い鉢がある。
そこまでの地面は敷き砂利となっており、その中央に丸石床でその池まで通じている。
この中庭は随分と立派なものである。他所から見たら美術館の1施設ではないかと勘違いするかもしれない。
僕とその後ろについてきている少女は歩く。白樺で出来た白い床はピカピカに磨かれている。コツン、コツンと足音が聞こえる。
随分と僕1人で住むには大きな家のようにも感じる。
実のところ。僕は世間一般的にはお金持ちの部類に入るらしい。
といっても僕自身はそのようなことを感じたことがなかった。それは母親が随分と倹約家であったからであろう。お使いに行くにしても、決してバスで行かせようとしない。自転車で行かせようとする。お小遣いだって500円程度。そこら辺のクソガキと変わらない。
僕がゲームが欲しいだとかそのようなことを言っても、母親は買ってくれりゃしない。だから世間よりも贅沢をして生きてきたというそのような感覚などはない。
そんな僕の親は一体何をしているのか。どんな会社で働いているのか。実のところ知らない。と言うよりも親から聞いたことがなかった。
祖父から聞いた話だと、僕の家系は大体陰陽師の家系である。八咫烏という組織に所属しており、昔から皇室を守っていた。そして今もそういったお偉いさんの警備をしている。とのこと。これがどこまで本当なのか、分からない。というかこんな話。信じられるはずがない。
しかし、これほど。立派な家があるということは。SPか何かであることは間違いないかもしれない。
そんな親2人は、最近、忙しいらしい。もう数ヶ月も家に帰ってきていない。つまりこの家の中にいるのは僕と……そしてもう1人。
キッチン室に、スラリと黒髪の少女がいた。
「ご主人様。起きたのですか」
その少女は和装である。この家の使用人が1人いた。彼女は咲夜という。
年は僕よりもほんの少し上……だと言うことを聞いている。しかし一体何歳なのか、分からない。見た感じだと、随分と若い。確実に30代は行っていない。それどころか20代前半のようなそんな感じがする。
「えっと。咲夜さん。この人は誰」
と。僕は後ろからヒョコヒョコついてきている少女を指差す。
「あぁ、この人はあなたを救ってくれた恩人です」
「僕を救ってくれた?」
「えぇ。ご主人様。どうやら、街の中心で心臓止まっていたらしいじゃないですか」
「そんな重症だったの!?」
フラれたショックでそんな生死彷徨っていたのか?
「えぇ。だから、このお方がご主人様を背負ってこの家まで送ってくれたのです」
「この人が?」
と少女の方を見る。彼女はまた右へ首を傾げた。
その華奢な体から、僕を背負えるほどの力があるようには思えない。いくら僕が、男子の中で小柄と言っても50キロぐらいはあるわけだし。そんなもの。一般の少女が背負ったら、それも、数キロもその状態で歩いたら、腰を痛めてしまうだろう。
「えぇ。だからこの人はあなたにとって温人になります。そんな人を追い返すわけには行きません。そしてこの事を、昨日。お父様に連絡いたました」
「親父にか。それで一体どんな返事が?」
「泊めてやれと言う事でした。これはお父様の命令です。そのため、しばらくはこの家に泊めて上げることにしました」
「しばらくって、どれぐらい泊めてやるんだ」
「そうですね。期間は特に決まっていないです。この方が帰りたい。そうおっしゃるまでですかね。あと、もう一つ」
「何かあるの?」
「ええ。本日、空瀬神社から荷物が届きました」
「空瀬神社から?」
美鶴のいる神社からか。
「えぇ。その段ボールの中に、制服が入っていました」
「なぜ、制服?」
「多分、大きさ的にこの方の制服だと思います。更に手紙が入っていました」
「手紙?」
「はい。この少女はクーロンという名前だそうです。そして明日から学校へ通わせて欲しいとの事でした」
「学校に?」
「はい。その送り届けられた制服は大社北高校。つまりご主人様と同じ高校です。そこに通わせて欲しいとのことです」
「僕と同じ高校に、なぜ?」
受験とかどうしたのだろうか。大社北高校は一応公立高校であり、頭も偏差値50ぐらい。決して頭のいい高校ではない。だけれども勉強なしで入れるような高校ではない。このずっと首を傾げる少女を見ると、二次関数すらも、いや掛け算すらも出来ないように見える。
「それは分からないです。だけれどもその中にはちゃんと学生証も入っていたので。既に入学手続きは終わっているようでした」
「そうなんだ」
しばらく少女の目を見る。同い年ぐらいの女の子と同居。思春期の男性生徒にとってこれほどワクワクするイベントはない。ないのだけれども。一抹の不安があった。
それは女の子は何を考えているのか分からないと言うことである。それは昨日、既に経験した。
昨日、絶対に告白成功すると思った若山にあっさりとフラれる。どうしてダメだったのか心当たりがない。その理由すらも教えてくれない。そして女性というのは実に怖い生き物だ。それを見にしみて感じた。
だからこうやって無垢な表情をしているクーロンも実は飛んでもない極悪人の可能性だってある。
「どうしたのですか? 女の子と一緒に生活を出来る。これは男子生徒にとって、羨ましいイベントじゃないですか。喜んでOK出すでしょう」
「いや、そうなんだけれどもさ。だけれども」
「だけれども?」
「僕には分からないんだ」
「分からないというのは?」
「女性が一体何を考えているのか。女性の裏の顔を」
「はぁ……?」
「だから、もしかしたらこの人。僕のお金を目当てにここに来たかもしれない。どうしてもそんなことを考えてしまってさ」
「なんだ。そんなことですか。それは大丈夫でそう」
「大丈夫って」
「彼女の顔を見てください」
と言われてクーロンの顔を見る。相変わらず間抜けず面をしている。
「どうです。あのような方がお金の価値を知っているように思えますか?」
「まぁ、お金の価値どころか、お金の使い方すらも知らなそうだな」
「そうでしょう。だから大丈夫ですよ。あの人は決して私たちを騙しに来ているわけではないです。もし、仮にそうだとしても。まぁ1億ぐらいは別に騙されてあげましょう」
「僕の家ってそんなに金持ちだったの?」
「まぁ、1億円失っても問題ないぐらいは。そして万が一、ご主人様に危害を加えようとするのであれば、その時はあれです。殺せばいいのです」
「急に物騒だな」
「はい。流石に私はあの子の首を取るぐらいはなんてことないです」
「そうなのか?」
「えぇ。ともあれ、こんな広い屋敷でご主人様と私。2人だけでは寂しいでしょう」
「まぁ、確かにそうかもしれないけど」
「だから泊めてあげましょうよ」
そういって咲夜はクーロンの元へ向かう。そして彼女の頭を撫でた。姉妹というよりは飼い主とペット。そのような関係に見える。
まあ確かにそうだ。自分を助けてくれた命の恩人を、あっさり外へ追い出すわけには行かない。それは何か祟りに合いそうなそんな気がする。
またこの人の名前がクーロンという時点で、確実に美鶴と何か関わりがある。普通の女の子ではない。
「まぁ、泊めてやるか」
ともあれ。このことは明日、美鶴に聞いてみようと思う。
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