第3話

 そして第三の事件。

 夜。塾帰り。夜道を自転車で帰路についていた頃。ふと、僕はブレーキを踏む。そして空を見上げた。

 月がまん丸で煌々と輝いていた。


 あぁ。月が綺麗。僕はそう思った。

 月が綺麗ですね。夏目漱石の有名な逸話。というか都市伝説。

 「I love you」を日本語訳にしたらどうなるか。恐らく、日本人は直接的に愛を伝えることが出来ない。そう考えた夏目漱石は、それを月が綺麗ですね。そう日本語訳した。というものである。マジかよ。日本人めんどくせーな。


 ともあれ、その日は月がはっきりと見えた。塾の授業中からずっと眠かった僕の目はすっかり醒める。そしてその月に見惚れていた。こんな日に、若山に告白をしてみたいものだ。そんなことを考える。


 その若山に告白をするためにここ数週間、僕は色々な修行をした……と思う。

 例えば、この服。全身灰色の服を着ているが。実のところ、ちゃんとモード系というものを意識して着ている。いや、実のところ、それは何かというのは詳しいこと理解などしていないのだが。


 ちゃんと大阪駅の駅ビルの7階の紳士服売り場で買った。今まで時空の広場よりも上に行く奴は馬鹿だ。そう1階から僕は見下していた。だからその日、初めて行った。そして、恐る、恐る、値札を見て。驚いた。

 うん、高い。


 1着1万超える。あれ? 日本のインフレってここまで進んだのか。と一瞬思ってしまった。その値段があまりにも高いものだから、僕はそっとその商品を棚に戻した。そしてウロウロとそのフロアを巡回した。だけれどもどこの店行っても、結局はそれぐらいの値段がする。むしろ最初の店はまだ1万円弱に収まって良心的であるということが分かった。だからそこで買うことにした。


 上と下。合計で2万円。高い。でも実際そういった服を購入して、着てみると全知万能感というのが湧いてくるものだ。


 さて服装を整えたら次は匂い。


 ネット記事を見えると。成程、女性は男性の何倍も嗅覚がいいと。だからいい匂いする男はモテると。だから香水も買った。だけれどもつけ方が分からない。適当に振りかければいいのだろうか。


 と、まぁ。こんな感じで僕はすっかりモテ男になってしまったわけで。

 何だがここ数日、周囲が僕に対して見る目というものが変わったような、そんな気がする。こんな日に若山に出会ったら。きっと告白成功する。いや、もしかしたら向こうから告白をしてくるかもしれない。


「あれ、ラン君」


 などと考えていたら、後ろから甘い声が聞こえた。振り返る。そこに、若山真礼がいた。

 何ということか。やはり神様は見ているのか。

 僕の心臓が飛び出しそうになる。


「な、な、な、どうしてここに」


「何? まるで鬼でも見たかのように動揺して」


 と彼女は薄ら笑みを浮かべた。


「塾の帰りだよ」


 あぁ、成程。

 確かに、真礼はリュックを背負っている。少し重そうだ。


「そのリュック重くない?」


「まぁね。色々な教科書とか入っているからね」


「もし良かったらそのリュック、持とうか?」


 これがモテる男のテクニック。さりげなく女の子の荷物を持ってあげる。しかし真礼は少し複雑そうな顔をして、その後。


「いや、持たなくていいよ」


 と断った。


「そんな遠慮をしなくても。いいよ。それぐらい全然持てるよ」


「本当に大丈夫! この鞄もったらラン君の肩が壊れてしまうよ」


 ふむ。僕の体を心配してくれる優しい子だ。


 そして僕たちは歩き始める。今の時刻21時。僕はまだ昼ご飯を食べていない。だから少しばかりお腹が空いた。それはきっと相手も同じはずだ。だから


「そういえば、ラーメン屋ここら辺あるらしいから一緒に行く?」


 と。モテテクニックその2。違和感ない感じでナチュラルに食事に誘う。しかもラーメンというチョイスのある選択肢。


 確かに一昔前なら、ラーメン屋というのどちらかと言えば、仕事終わりのサラリーマンなどが癒してくれる場所であったと思う。しかし今日は、照明なども明るく、デートにもピッタリなラーメン屋というのが随分と増えた。だから女子とラーメン屋という選択肢は間違っていない。


 またテーブル席よりもカウンター席で並んで座った方が親密度が上がる。と多分どこかの大学がそのような研究発表を出していた。


 さすが、僕。やはり僕はイケメンである。


「勿論、僕の奢りでさ」


 さらに、ここで追加モテテクニック。これはブレイキンダンスで言うチェアーやハンドグライド、バックスピンと呼ばれる技のようなもの。つまり基本中の基本。


 誰かが言った。デート代は男が奢るべき。


 YES。そう思います。

 男性たるもの、わざわざ女性に来てもらっているのだから。それぐらいの誠意は見せなければならない。決して女に財布を見せてはならぬ。


「いや、別にお腹空いていないから。いいや」


「そっか。そうだよね。それじゃまた今度だね」


 とここで追加でモテテクニック。相手に合わせる。相手の体をちゃんと気遣う優しさを見せる。さすが、僕! やっぱり僕ってイケメンだ!


 その後。また他愛のない会話をして歩いた。

 ちゃんとモテ男として政治の話、野球の話をしないようにした。これらはタブーとされているからね。特に僕は鷹ファンなのだが、この地では虎ファンが多数占めているし。


 こうやってしばらく歩いていると。いつまでも、いつまでも。ずっとこの子と一緒にいたい。そんな欲望が湧いてくる。この道を歩き続ければ、きっと終わりがある。どこかでポツンと分かれ道が出てくる。流石に彼女の家についていくわけにはいかない。だからどこかで手を振らなければいけなくなる。


 そんなのは嫌だった。小学生の時。ゲームは1日1時間までと(あっ、因みに僕も僕の親もうどん県出身ではない)決められて、そして1時間でゲームを取り上げられたあの時のような。いや、違う。あの頃は、また明日来ればゲームが出来るという安心感があった。布団の中にくるまって、夢の中で過ごせば。きっと、また新しい朝が来る。それを疑うことはなかった。


「あっ、それじゃ、私。こっちだから」


 と彼女は足を止める。そしてそのまま僕の目の前から消えようとする。

 これは、本当に明日が来るのだろうか。疑う。

 何だが、もう同じような明日が来ないようなそんな感じがして。そうだ。彼女は月である。


 あの遠くて近い月は、明日になればまた形が変わる。昨日と同じ月など出ることがない。もしずっと一緒の月を見たければ……その月を自分のものにしなければならない。


 だから。


「ちょっと待ってよ」


 と僕は彼女を呼び止めていた。そして彼女はこちらの方を見て。


「な、何?」


 と。気のせいか彼女の頬が赤らんでいるような気がする。つまり、これは絶対に行ける!

 自分の胸に何度も言い聞かせる。落ち着け、落ち着けと。


 失敗などするはずがないんだ。だから冷静になればきっと大丈夫。

 腹を固めて、目を大きく見開いた。


「あの、伝えたいことがあるんだ」


「何……」


「その……僕は君のことが好きなんだ」


「あっ、ごめん。無理」

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