イレギュラー ”巨大蛙”

 原っぱとは大きく違って青々と生い茂る森にシロは一人、足を踏み入れた。


「遠くから音が聞こえる…」


 声を潜めて言うシロは音の聞こえる場所を探す。


 探索者の中でも慎重な方であるシロがそれでも話すのは、配信者だからというのもある。

 近況報告はダンジョン配信者の役割というか、仕事というか、コレが普通なのだと刷り込まれているのが大きいのだろう。


:なんか起きてるのかもな

:気をつけてくれ…死ぬ姿は見たくない…

:此処の一階層の魔物って何だっけ?

:代表的なのは草原と森林には兎、小さな池にも見える湖にはカエルとか蚊

:↑めっちゃ名前省略すんじゃん

:覚えるのめんどい

:うんまぁわかるけど…


 コメ欄ではシロが見ていないと分かっていても会話は続いていた。


 さて、ここでいう鱗湖りんこダンジョンの一階層について説明する。

 この一階層は鱗湖ダンジョンの中でも最も水源が少ない所であり、陸に住む魔物が最も多いことが特徴だ。


 だが、だからといって水辺に住む魔物が居ない訳ではない。


 その少ない水量の水辺には池ほどしかない水溜まりの地面が中途半端にぬかるみ、この階層に出る魔物は泥を好むカエルや水から生まれる蚊が住み着いているのである。


 カエル型の魔物――通称、どろかぶりがえると言い、泥を操る所が特徴。だがただの土を操る事は出来ないため、完全な陸におびき寄せれば簡単に倒すことが出来るかも…?


 蚊の虫系統魔物――通称、蚊注射かちゅうしゃ。地上――ダンジョンの外の蚊の数百倍はある大きさで、その注射器のような口で刺してくる。しかしその口は柔く、横から指でつつくだけでも折れてしまうぐらいに柔い。

 主に探索者はその注射器部分を採取する。


 ウサギ型の魔物――通称角兎つのうさぎは先ほどの草原や今シロが居る森林に生息している魔物。そしてたまに水を求めて水辺に寄っていることもあるが、カエルに攻撃されているという姿が目撃されることもある。大きさは地上に居るウサギと同じで、唯一違う部分は額にある角である。遭遇したら大抵逃げていくが、狩ったウサギがファミリー持ちだった場合、仲間が角を武器に突進してくる。


 今のところ、この一階層にはこの3種の魔物しか正式に確認されていない。


 イレギュラーが起こった場合、別の魔物が姿を現すのはそう珍しいことではないが、その時姿を現した魔物は一層より深い層で生息している魔物のため、正式に登録されることは無い。

 加えて、例えその階層で進化してイレギュラーになったとしても正式に登録されることはない。


 あくまでも普段生息している生物という事実が大事なのだ。

(ただし図鑑などには分かった情報が詳細化されて書かれるため、出現した階層が書かれる事もある)


「…! いた…」


 忍び足で踝ほどの高さの茂みを歩き進めていると、遠目に蠢く何かがシロの視界に映る。


:なんだあれ…?

:え、ちょっ、マジでイレギュラー?

:…え、ヤバくね?

:ヤバい…ですね

:一旦ギルド行って報告しよ!

:なに起こるか分からんし気づかれないうちに引き返そうぜ

:んーめっちゃ慎重なやついんな

:当たり前だろ? こちとら配信者が流血すんの苦手だから怪我の少ないシロの配信見てるんだぞ??

:オレは探索者だから割と平気だけど安心して見れるのが好評なのよ、シロは

:うむ

:それどころじゃないんですけども

:そうだった

:というか魔物の血を見るのは平気なのね…


 小型ドローンに写り込む影。

 コメ欄とシロが見た光景は、体長数十メートルはあるカエルが長い舌で飛んでいる蚊を何匹か同時に巻きつけて捕食しているところだった。


 そして異様なのはそれだけでなく、カエルの足元に角兎の角と思わしきモノが幾つもの積み重なり山のようになっているのが見えることだった。


 角兎つのうさぎの角は本来白い筈だが、青い水が掛かったかのように一部濡れている。


 本来この一階層のカエル――泥かぶり蛙は、角兎よりも小さく、人間が成人した大きさと比較すると、3分の1程の大きさだ。


 にもかかわらず、シロの目の前には酷く肥えたと言うには物足りないぐらいにデカくなったカエルの姿がある。


 これは誰がどう見てもイレギュラー――普段は出現しない魔物が現れること――だった。


 シロはコメ欄に言われるまでもなく引き返す事に決めた。

 いくら別のダンジョンで50階層まで攻略したとしても、ダンジョンによって強さのレベルは違うし、最大の理由はイレギュラーだ。


 見た目があんなにも大きいという時点で可笑しいが、角兎の角と肉とを分けて食べる知能があるということもヤバいのである。


 自分の範疇を超えて強くなってしまっていることも捨てきれない。


 だからそんなもしもには、相手に気づかれる前に退散することが得策なのである。


 大丈夫。ギルド――探索者組合のこと――にイレギュラーが現れたことを報告して有志を募ってまた来ればいいのだ。それで被害が出るなどということはないだろう。


 そう考えたシロは視線を巨大蛙に固定したまま来た道を戻ろうと後ずさる。



”ガサッッ!”



:ん? ガサッッ?

:おいおい…

:(゚Д゚;)イヤーーーーー!!!

:み、見ている! アイツが見ている!

:ギャァーーーーーー!!ア”ァーー!!

:逃げてー!!


 シロが逃げようと足を後ろに向けようとしたとき。

 シロの近くの茂み…いや、木のうろ(樹洞)に生えていた茂みが強く揺れたのだ。


 そこには一匹の角兎が黒かった瞳を赤く染め、巨大蛙を睨みつけていた。


 音の正体は、仲間を殺されて怒りに燃える角兎だったのだ。


:あ、兎さんじゃないですか…

:ア、ナルホド…よし! 逃げろシロ!

:あの兎が突っ込んでる内にギルドへ向かえ!

:数秒も持たなそうだけど…


 コメ欄の言うとおり、目を赤く染めた角兎は蛙に突っ込んでいった。


 だが、その戦いとも言えない戦いは一瞬でカタが着いた。


 結果は角兎の惨敗。


 馬より早く突っ込んで行ったかと思えば、巨大蛙の長い舌にぶたれて木に打ちつけられてしまったのだ。


 そして意識の無くなった角兎を丸呑みし、口をもごもごと動かしたかと思えばぺっ‥と角を吐き出して、角の山にまた一つ積み重ねた。


:うさぎちゃん…

:おのれ…もふもふの恨みィィ!!!

:食物連鎖ァ…

:あの角の山が欲しい…

:↑それな


 魔物同士で食い合う事などダンジョンでは日常のため、今更特に心動かされる訳では無いが、シロは巨大蛙から目を離せないでいた。


 何故なら――巨大蛙の後ろにある沼に、人の骸骨が見えていたのだから。


「アイツ…! 人を食ったのかっ!」


 もとより兎が突っ込んで行った時には此方と視線はあったのだ。

 今更逃げようが戦おうが、今戦うか逃げながら戦うかになるだけだった。


 シロは一本の剣を構えた。

 巨大蛙に殺気を向けて。


 森で戦うか、池で戦うかを考える。

 どちらの方が有利に戦えるのかと。


 シロにはある魔物に対して赦せない事があった。

 それは――人を食らう魔物だ。


 人間だって魔物を調理して食べるだろう。

 だが、シロはそれでも赦せない。


 自分の親を食った魔物を思い出させる人食い魔物は――。


「…殺す」


:あちゃー

:に・げ・て!

:ど、どうしたんだシロ?

:んー知らない人の為に言っておくと、コイツは人食べた魔物は絶対許さないマンだから…

:とりま死ななければ…

:イヤーーーーー!!!血はイヤーーーーー!!!


 残ることを決めたらしいシロに悲鳴を上げるコメ欄。

 あまり心配していない者も居るが、仮にもシロは別のダンジョンで50層だったり60層だったりとソロで行けている人物でもあるので、心配しろと言われても難しいのも無理はない。


 そして意外とと言うべきか妥当と言うべきか…シロと巨大蛙の決着は早くについた。


 勝者はシロであった。

 

:流石脳筋と言われるだけはある

:(`・ω・´)ドヤ

:舌…痛そう

:スッパーン! だったな

:よかったよかった

:意外と強かったわコイツ

:これには血がダメな住人もニッコリ

:いや蛙から凄い色したのめっちゃ出てるからな?


 巨大蛙の舌を真正面から斬ったシロは、剣に付着した巨大蛙の体液を要らない布で拭き取り、マジックバックもといポーチに仕舞った。

 イレギュラーから取れるものはとっておくに越したことは無いのだから。


 カエルには、体内に毒を持っている奴もいるが果たしてこのカエルはどうなのか。持ち帰るまで分からない。


 シロは蛙の血を拭った剣を鞘にしまい、遺骨の前で暫し手を合わせた。


 ……そして何分か経ち、おもむろにシロは立ち上がる。


「次…行くか」


:え、?

:お家帰んないの?

:やっぱコイツ配信者だ…

:↑配信者だよ

:そうだった…

:黙祷

:( ̄人 ̄)

:( ̄人 ̄)

:イレギュラー出たけどシロが倒したってこの証拠動画と一緒に報告してくるわ俺

:頼むぜ!


「ありがとう。助かるよ」


 そう言ってシロは周辺に落ちている残骸という名のアイテムをポーチに回収した。


 この時人の亡骸は、持ち帰ってギルドに引き渡してもこのままにしてもいい。ただし持ち帰らない場合は、ギルドに報告は必ずすること。

 どの道ギルドに報告する事は必須だ。


 人の死骸をダンジョンで放置すると、魔物がそれを食べて進化したり、稀に食べられないまま魔物に放置されるとそれはそれでヤバい事になるからだ。


 どうなるかというと、そのままにしておくとゾンビになったり、スケルトンになったりするのだ。


 もっと酷いものだとデュラハンになる。

 首なしの騎乗者だ。

 だからこの時頭蓋骨だけでも運ぼう…と良かれと思って回収して別の部分を放置すると、次はデュラハンになる恐れがあるのだ。


 デュラハンは規格外に強いらしい。


 なら、全身残してスケルトンかゾンビの方がマシ…となるのは当然の結果であった。

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