八月九日火曜日

 神馬氏に「島の北側を案内して欲しい」と連絡が来た。嫌な予感がしたが、断る理由も見当たらなかったので同行した。


 神馬氏は遊歩道の両側に設置された柵に触れながらサンダルでどんどん歩いていく。


「セミの鳴き声がすごいな。草と土のにおいがする。もうすぐ雨が降りそうだ」


 やはり、彼は祠の近くで立ち止まった。嫌な予感が的中した。チギの空腹やアヴノの体調不良に気付いた神馬氏がカラドのにおいに気付かないわけがない。背の低い柵を乗り越えて草の中をずんずん進む神馬氏。サンダルが土で汚れる。草で足が傷ついても構わず歩いていた。


「こんにちは」


 声を掛けられたカラドはビクリと肩を震わせた。逃げようとしたカラドの頭を神馬氏が掴んだ。毛布がずれ落ちる。


「君はオメガだね。なんでこんな所にいるんだい?酷い臭いだ。二週間は身体を洗っていないね。風呂キャンセル界隈?」


 僕を見るカラド。僕は無実だ。


「君は国王候補じゃないのかい?このフェロモンのにおいは僕の好みなんだけどな」


「じ、自分は違う」


「どうして?カゲキみたいに剥奪されたのかな」


「カゲキが?なんで?」


 カラドが声を上げた。どうやらその辺りの情報も知らなかったらしい。年齢を考えればカラドがカゲキを知っていても不思議ではない。


「ねえ、君はもう候補にはなれないのかい?」


「なれない。もう駄目なんだ」


「どうして?交雑したのかい?」


 カラドが苛ついているのを感じる。神馬氏は気付いていない。ヒヤヒヤする。僕は「彼は国王になる気がないんだ」と口を挟んだ。


「ふうん」と神馬氏は呟く。「それなら僕の家に連れて帰るよ。それならいいだろ」


「いい加減にしろ」カラドが声を荒げた。「もう構わないでくれ」


「どうして?少なくとも毎日風呂に入れるしベッドで寝られるよ。悪い話じゃないと思うんだけどな」


 カラドが立ち上がった。左手で神馬氏の腕を掴んで林の奥へ進んでいく。辿り着いたのは彼が赤ん坊を埋めた穴だ。掘り返して神馬氏を突き飛ばすように穴の前に立たせた。


「自分の産んだ子ども。少なくとも五体はある」


 神馬氏は何も言わない。カラドが続ける。


「それでも自分を連れて帰りたいか?」


 小さく息を吐く神馬氏。しばしの沈黙。


「樋口君、彼の産んだ子どもがどういう状態か説明してくれないか」


 意味がわからなかった。


「済まないね、見えないんだ」


 そう言われても理解できなかった。


「樋口君は気が付かなかった?」


「気が付かなかったです」


 神馬氏はフッと笑って「ドッキリ成功だね」と言った。開襟シャツを捲るとハーフパンツのゴム部分に伸縮三段式の白杖が差し込んであった。


「本当はこういうのがないと歩けないんだよ」と言いながら白杖を伸ばす神馬氏。「雨が降るよ。君らも僕のホテルに来たまえ」と歩き出した。


 ホテルの最上階、ロイヤルスイートルームに連れて行かれた。三人でも持て余しそうな広さの客室。シャワールームでカラドが身体を洗っている間、椅子に座った神馬氏がサングラスを外しながら「僕を取材してくれよ」と言った。


「僕は話したいんだ。本に載せてくれよ」


 僕は頷き、手帳を開いた。



(以上。)

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