八月一日月曜日、八月二日火曜日

 思いの外早く神馬氏と別れてしまったので島の北側を散策してみた。夜は野生動物が出るから危ないとのことだったのでライトで足元を照らしながらガサガサとわざとらしく音を立てて歩いた。


 小さな鳥居の前。嗅覚の鈍い僕でも感じる甘いような妙なにおい。オメガのフェロモンだと気付くのに時間がかかった。


 鳥居の向こうには小さな祠。その後ろに人がうずくまっていた。ボロボロの毛布で身体をすっぽり覆っている。呼吸音が聞こえて人だとわかった。その人は僕に気が付くとこちらを見向きもせず、毛布を被ったまま這って距離を取った。


 大丈夫ですか、という呼び掛けには答えない。僕が近付くと遠ざかる。怯えたように呼吸が震えている。僕は追いかけるのを辞めて一旦住まいに戻った。


 本土の友人にすぐに連絡を取って抑制剤の手配を頼んだ。友人の仕事は早く翌日の午前中に御斗田島まで来てくれた。ランチを奢った後友人はすぐに本土へ帰った。


 その足で昨夜の祠へ向かった。毛布を被った人と思しきものはまだいた。遠ざかろうとする毛布に「抑制剤を持ってきた」と言った。


「僕はルポルタージュを書くためにここに滞在しています。取材を受けると約束してくれれば抑制剤を渡す。どうですか?」


 毛布から左目が覗いた。ゆっくり近付いたが毛布は遠ざからなかった。左手を伸ばして抑制剤を受け取りすぐに飲み込んだ。


 その場でゆっくり待った。日が沈みかけた頃ようやく「ありがとう」と声がした。


「落ち着きましたか」


「うん」


「どうしてここにいるんですか」


「発情期の時は人前に出たくないから」


「家は?」


「ない」


 チラリと見えた右手は握り拳のようになっていて指が見当たらなかった。僕は「もしかして、カラド?」と訊ねた。頭の辺りが動いて毛布が落ちた。


 こんな状態で人は生き残れるものなのか。彼の身体の右半分は火傷の跡に覆われていた。頭の左半分にしか髪がない。右の目蓋は垂れ下がり左右で目の大きさが違っていた。僅かに見える右の瞳と左目の色だけが、彼が王の子どもであることを証明していた。


「まだ覚えてる人、いたんだ」カラドは言った。


「みんな覚えてる。戻って来るのを待ってますよ」


「自分はもう戻れない」


「今新しい王を選ぼうとしていることは知ってる?」


「知らなかった。王は死んだのか」


「違う。新しく遺伝子を受け入れるんだ。アルファに王を選ばせるんだよ。生きてることがみんなにわかればカラドも候補になれるかもしれない」


「いや、いい。自分はもういい」


 僕が押し黙るとカラドは「今日はここまででいいか。久しぶりに身体が落ち着いたら眠くなってきた」と目を擦った。僕は「わかった」と頷いてその場を後にした。


(以上。)

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