七月九日土曜日
(以下未整理の記録)
午後八時。東港付近を歩いていると閉店した商店の自販機の前に座る古川氏(※本土からアヴノに会いに来ている四十代会社員)と遭遇した。声を掛けると「樋口さん」と応じた。
繁華街には行かないのかと訊ねると古川氏は「アヴノは今日体調不良で入店しないらしい」と言った。残念そうな表情だった。
そこにたまたまカゲキが通りがかった。「夜は野生動物が歩き回ったりして危ないですよ」とこちらに声を掛けてきた。古川氏の存在に気付くと、見慣れない顔のせいかやや緊張気味に頭を下げた。
アヴノの客だと僕が説明するとカゲキは「ああ」と頷いた。微妙な表情。「体調悪いんだって、残念」と古川氏が苦笑するとカゲキは心配そうに「そうなんだ」と呟いた。
カゲキがアヴノの住まいに様子を見に行くと言うので古川氏と同行した。アヴノが住んでいるのは繁華街の外れの小さな平屋のアパート。呼び鈴が壊れていたのでドアを叩いたが返事がなかった。
古川氏が「においが」と言った。オメガのフェロモンを感じ取ったらしい。僕は鈍いのでよくわからなかった。発情期で動けないのか?カゲキがドアを叩きながら呼び掛けたが返事がない。何度か体当たりして無理やりドアを開けた。
風呂場にいたアヴノ。下半身裸で血だらけだった。風呂場の床も真っ赤。黒とも紫とも赤ともつかない色の塊と管のようなもの。ふたつの生き物が転がっていた。数秒してから赤ん坊だと気付いた。
アヴノが赤ん坊のひとりの頭を掴んだのでカゲキが止めた。「何てことしてんだ」と言うカゲキに「だから殺すんだよ」とアヴノが答えた。
「そうじゃない。子どもを殺すなって話だ」
もう片方の赤ん坊が泣いた。口を塞いだアヴノの手をカゲキが振り払う。カゲキが古川氏を見ながら「アヴノを他の部屋に連れて行って欲しい」と頼んだ。慌てた様子だがしっかりとアヴノを支えて連れ出す古川氏。
「その辺にタオルないか」と言われたので洗面所からタオルをごっそり持ってカゲキに渡した。「巻き込んでしまって済まない」と言われた。
カゲキが子どもの身体を丁寧に拭いた。ふたり同時に抱く方法がわからないと言うので僕が片方を抱いて風呂場を出た。赤ん坊はふたりとも声を上げていたが抱き上げると大人しくなった。
アヴノは脱衣場に座っていた。悪露でバスマットが真っ赤になっていた。古川氏が「水飲む?」「横になった方がいいんじゃない」などと声を掛けていたがアヴノは答えなかった。
カゲキとアヴノのやり取りが始まる。
「妊娠を知っている人は?」
「さあ」
「誰にも言わなかったのか」
「言えるわけないじゃん」
「相手は?」
「多分、客」
「これからどうするつもりなんだ」
「それ始末すれば解決じゃん」
「駄目だ」
カゲキの口調は強い。アヴノは「じゃあどうすんの?カゲキが世話してくれんの?」と睨みつけた。
「アヴノがしないなら俺がするよ」
「冗談だろ」
「本気だよ」
「王になるんじゃないの」
「なりたいよ。でもこんなことを隠したまま王にはなれない」
アヴノが俯いた。「馬鹿じゃないの」と言った。声が震えていた。
「ここでこいつら殺せば僕もカゲキも国王候補のままなのに」
「俺にはできない。アヴノが王になってくれ。アルファに選ばれる自信あるんだろ」
「カゲキに全部押し付けたままにできるわけないだろ」
部屋全体に響くような大声。顔を上げたアヴノは泣いていた。
古川氏まで泣いていた。「あーちゃん泣かないでよ。僕まで悲しくなっちゃうじゃん」と言った。
アヴノの声に驚いたのかカゲキの抱いていた赤ん坊が泣き出した。カゲキが立ち上がって赤ん坊をあやした。アヴノと古川氏は泣いているのにカゲキはどこか嬉しそうだった。
「大きいし元気だ。アヴノに似ている」
(以上。)
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