10 あなたに惹かれてしまうから(1)

 行かなければいい。


 行っちゃいけない。


 昨日の剣様を思い出す。


 あの剣様との邂逅は、ファンクラブにバレる事はなかったようだ。

 ファンクラブメンバーは剣様の邪魔はしないように、顔を見たい時には出来るだけ登下校を狙う。

 つまり、生徒会室はみんな出来るだけ避けているのだ。

 万が一出会ってしまうと邪魔になってしまうから。


 だから、私も行ってはいけなかった。


 けれど、お昼休みが近付くと、どうしても落ち着くことが出来なくなった。

 まるで薬が切れた人の様に。

 脂汗が浮かび、どうにもそれしか考えられなくなる。

 ソワソワし、机の下で足が足だけでジョギングを始める。

 息が荒くなる。

 先生の話なんてもう聞いている事が出来ない。


 ゴーンゴーン……。

 そして、お昼の鐘が鳴った。


 ダメだって思うのに。

 わかってるのに。

 この足はあなたの方へ行ってしまう。


 お弁当を引っ掴むと、早足で、剣様が居た場所から離れたそれでも誰が座っているのかくらいは見える物陰に隠れる。

 木と、草と、園芸小屋のような所の隙間にすっぽりと収まりしゃがみ込む。


 心臓は、バクバクと高鳴った。


 けれど。

 5分、10分。

 どれだけ待っても、剣様がその場所へ姿を現すことなんてなかった。


 バカだなぁ、私。

 昨日居たからって、会えるなんて限らない。

 そもそも剣様は忙しいって言ってたんだから。


 予鈴がなる。

 何故だか震える手を抑え、食べる事が出来なかった抱えたままのお弁当を持って、立ち上がる。


 これでいい。

 これでいいんだ。


 本来なら、一度だって会話する事も叶わなかったはずの人。

 私とは、住む世界が違う人。


 それなのに。


 翌日も、その翌日も、私の足はその場所へ向かった。


 どうしても、いつ剣様が来るんじゃないかと思うと、手を着ける事ができないお弁当を抱えて。


 来るわけない。

 来ないで欲しい。

 来ないで欲しい。


 私が、この場所の事を諦める事が出来るまで。

 あの一度の奇跡だけで満足出来るように。




 晴れた日だった。


 カサリと音がして、誰かがベンチに座った気配がした。


 目を、ぎゅっとつむる。

 激しく波打つ心臓を抑えて、ゆっくりと、出来るだけゆっくりとベンチの方を向いた。

 手に持ったお弁当箱をぎゅっと握りしめる。


 そこには、剣様がいた。


 いた…………。


 心臓が飛び跳ねる。


 ああ、でも、今日は、3日前のあの日よりも、少し表情が明るいようだ。

 良かった。

 幾分か安堵する。


 それはもう、抗う事など出来ないものだった。

 いわば砂漠を彷徨う人間の目の前にぶら下げられた水のようなものだ。


 口から心臓が飛び出そうになるけれど。


 手をぎゅっと握り、目の前へ歩き出した。


「こ、こんにちは、春日野町先輩」

 声が震える。

 けれど、もう後には引けなかった。

 どんな未来になろうとも。


「こんにちは、朝川さん」

 壇上にいる時よりも柔らかな視線を向ける剣様を、奈子は眩しそうに見つめた。




◇◇◇◇◇




甘いひとときですね。

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