9 私の人生を変えられるものがあるとすれば(3)
「ええと、朝川さん……?心配してくれたのね、ありがとう」
剣様の声を聞く。
ドクン、と心臓が高鳴った。
私の言葉に反応して、剣様が私に返事をした。
私の名前を呼んだ。
なあにこれ?どういうギミック?
だって、剣様が私の名前なんて呼ぶはずない。こんな、ファンの中の一人の名前なんて。
ああ、わかった。
私、今日死ぬんだ。
何処かで死んでしまったんだ。
きっと死んだ後のおまけの夢の様なもので、特別に神様が見せてくれている幸せな光景に違いない。
ああ、こんなものがあるなら、死ぬのも悪くないな。
剣様は、少し悩んだお顔をすると、
「実は、私、生徒会役員なんだけれど」
と、ポツポツと話し始めた。
「今年は2年生だから、会長選挙に出る予定なの」
ドキリとする。
立ち竦む。
何も知らない相手に話す様な口調。
時々出すファンレターは匿名禁止なので、毎回名前を書いている。
……私の名前を覚えていないんだ。
ドキドキする。
顔が青ざめる。
もし、覚えられていたらいいなんて、期待していたわけじゃない。
覚えて欲しいと願うわけでもない。
私を知って欲しいわけじゃない。
期待していたわけじゃないけど。
けど。
……身体が重い。
ああ、私、悲しいんだ。
覚えてもらえてるなんて、あり得ないってわかってるのに。
「いつもなら、生徒会から出す候補は一人。けど、今年は私以外にももう一人いてね。生徒会が二分されてしまったの。それで、人が足りなくて作業も二倍」
大人しく、剣様の話を聞く。
こんな気持ちの時に、こんな話をしていても、心を溶かしてしまいそうな透明な声。
嬉しい。
好き。
この声が聞けて。
好き。
あの瞳が時々こちらを向いて。
好き。
好き。
ああ、けど。
この気持ちを伝える時じゃない。
剣様は困っているんだ。
剣様だって、こんなに弱っている状態の時に、自分を知る人に熱を帯びた視線で見つめられるのは、よけい困るだけだろう。
こんな時は、ファンとして話したらいけない。
きっと。
幸いな事に、私は剣様に、覚えられていないんだから。
ズキズキとする心臓を胸に。
この痛みもこの高まりも無かった事にして、剣様の事を知らないフリをして。
「それは、大変ですね」
にこりと、笑顔を作る。
「まず、人を集めないとね」
「はい!私も、周りの子に聞いておきます」
言うと、剣様は一度目を見開いて、驚きの表情を浮かべた。
「あら、頼もしい子ね」
「ふふっ」と、剣様の笑う声が聞こえた。
かわ……いい……。
その笑顔に、放心状態になったところで、
ゴーンゴーン……、
と、予鈴が鳴った。
「あっ」
ここからだと、走らなくては授業に間に合わない。
「それでは。2年生の先輩」
「ええ。……春日野町剣よ」
剣様は、自分の名前を名乗って、微笑む。
キュンとする。心臓が痛い。
後ろを向いて、走り出す。
ボロボロと、涙が溢れる。
見えなくなってから、涙は溢れるに任せた。
「うっ……うえっ…………」
出会えた事、会話ができた事、覚えていてはもらえなかった事、名前を呼んでもらった事、名前を教えてもらった事。色々な感情が入り混じる。
「う……………っ」
転がるように走って、高校の校舎の前で転んで膝をついた。
アスファルトに手をつく。
「うぅ………………っ」
涙がボタボタとこぼれ落ちる。
「…………………………おえっ……」
◇◇◇◇◇
奈子ちゃんキャパオーバーですねぇ。
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