5 あなたと私の具体的な距離
決起会は、そんな情報交換で終わった。
放課後は、いつだって一人だ。
放課後はいつも、剣様の事を考える時間だから。
剣様はいつも、遅い時間まで生徒会室に居る。
剣様は生徒会役員なのだ。
去年から書記だったけれど、剣様も今年は2年生。
2年生は、生徒会長が選出される学年だ。
もうすぐ行われる生徒会選挙において、剣様が生徒会長に選ばれるのは、誰もが疑わない確約された未来だった。
私、朝川奈子はというと、いつもなら、第三音楽室の鍵を借りる。
吹奏楽部が居る第一音楽室でも、軽音楽部が居る第二音楽室でもない。
その場所が、特別教室の中では、生徒会室にはほど近い場所だから。
生徒会室が見えるわけじゃないから、剣様に迷惑はかけない。そこにいるからといって、放課後姿を見る事ができるわけでも、帰宅の時間が判るわけでもない。
けれど、同じ校舎の同じ側にあるというだけで、その部屋は特別だった。
少しでも長く、そばにいられると思うだけで特別だった。
生徒会室に近い特別教室である第三音楽室に目を付けた時から、それまで手慰みに学んできたピアノの練習を必死でやった。
一つコンクールの賞が取れれば、先生方は見る目が甘くなる。
部活に勧誘される事もなく、簡単に教室の鍵を借りられるようになった。
だから、私はそこでピアノを弾く。
あなたがそろそろ帰る頃なんじゃないかと思える頃まで。
段々と夕陽が窓から入り、ピアノが夕陽の色に染まるまで。
バッハもショパンもモーツァルトも。
どんな曲を弾いていても、あなたの事を想う。
手が疲れれば、スマホでSNSの巡回をして、あなたに関する欠片を探す。
目を閉じて、あなたの事を想う。
どんな曲でも、あなたを思い描いた。
あなたへの想いを、この指の一点に向かって鍵盤へ降ろした。
どんな音符にも、あなたへの気持ちを乗せた。
どんな記号もあなたへの気持ちを表す為の材料でしかなかった。
とはいえ、入学式の当日から音楽室を借りるのは難しそうだ。
職員室を覗いてみたけれど、先生の姿は見えない。
仕方なく、生徒会室のある校舎の1階、裏側のガーデンが見えるベンチに腰を下ろす。
ここならば生徒会室からも見えず、ここからも生徒会室は見えない。
しばらく座っているくらいなら問題にはならないだろう。
赤いチューリップを見る。
黄色のスイレンを見る。
今日のあなたを思い出す。
そのスラリとした背の高いシルエット。
流れる絹のような黒髪。あなたの姿を見て初めて、黒という色が好きになった。
今日は久しぶりに声が聞けた。
透き通る声。その声を聞くだけで、全て溶かされる思いがする。水ですらないただ透明の何かに。
思い出すだけで涙が出てくる。
涙を拭い、空を仰ぐ。
深呼吸をする。
全てはあなただった。
喜びも悲しみも、楽しさも寂しさも、感情という感情は全てあなただった。
私の全てはあなたでできている。
剣様、あなたでできているの。
それ以外のものはもう、存在していたかすら定かではない。
いつからか、もう、これが私だった。
◇◇◇◇
一人で剣様を想う時間、大切ですね。
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