第6話 わ、た、し、の、こ、と

「……で、何?」

「ん、ちょっと待って」


 眼鏡が曇って見づらいらしい。ひなこはダボダボトレーナーの袖を中から掴むと、眼鏡を外してキュッキュっと拭き始めた。


 その様子がハムスターみたいで可愛くて。


 なんだぁ、この無垢な生き物は。


 思わずじいっと見入ってしまう。


 やっべぇ!

 頭撫でたくてたまらない。指先がムズムズしてきたゾ。


「な、何?」

「い、いや」


 大きな瞳に見上げられて、カーッと一気に体温上昇。

 バクバクと心臓が震えて、頭が真っ白になってしまった。


 しどろもどろで取り繕う。

 

「……湯冷めすると風邪ひくから、早く要件を」

「うふふ。心配してくれるんだ」


 ぱあぁ〜

 ひなこの笑顔が花開いた。


 キラキラ……


 いや、もう、どこ見て話せばいいんだよ。

 いつもと違いすぎて調子が狂いっぱなしなんだが。


「あ、あったり前だろ」

「それって、大好きだからぁ?」

「な、何を?」


「わ、た、し、の、こ、と」


 一文字ずつ切りながら、自分の唇を指差すひなこ。


 や、柔らかそう。


 って、いや、その、これは……


 俺の煩悩、あっちいけー!


「ば、バカっ。そんなんじゃねぇよ。が、学園祭に出られなくなったらつまらねぇだろ。だから」


 よし! 何とか踏み留まれたゾ。


「……」


 あ、あれ?


 一気に温度が下がったような気がする。

 

 俺、何か間違えたのか?


 ひ、ひなこが変なこと言い出だすから、焦って適当な言い訳してしまったのは確かだけれど……


「はあぁぁぁ〜」


 盛大にため息をつかれた。


 お、怒ってる!?


「これだから、脳筋は」


 え、脳筋?


「これ」


 超絶不機嫌な顔に早変わり。小脇に抱えていた紙袋を付き出した。


「?」

「化粧品」

「化粧品?」

「ずっごくニキビに効くから。まひろのボロ肌でもあっという間に綺麗になるから」

「そんなのいらねぇよ」

「いるの!」

「なんで」

「当日、化粧のノリが良くないとやりづらいんだから」


 け、化粧だって!


 女装コンテストでは化粧もされるんだ……


 呆然としている俺に、ブツを押し付けると、ひなこはぷりぷりしながら家へ入ってしまった。


「ちゃんと付けたか毎朝チェックするからね。忘れないでよね」


 と言う捨て台詞を残して。


 毎朝チェックって……


 なんだろう。急に夜風が身に沁みる。

 

 閉じた扉をしばらくぼぅーっと眺めてから、俺はトボトボと家路についた。


 紙袋の温もりが、なんだかとっても切なかった。

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