土曜13時。約束通りの時間に麗香ちゃんは来てくれたが、想定外のことが起こっていた。

「よう、麗香ちゃん!二日連続で会えるなんて嬉しいなぁ!」

 相変わらずの兄の様子に、麗香ちゃんは顔を顰める。

 紙に書かれた待ち合わせ場所が家から30分ほどかかる場所だったので、12時ごろから兄に出かけるよう再三言ったのだが

「まだまだ約束まで時間あるからー」

 と家に居座り続け、今に至るのである。

「あの、予定には午後1時から友達と遊ぶって書いてあったんですけど、大丈夫なんですか……?」

 引き攣った苦笑で麗香ちゃんが言うと、兄は一瞬鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしたが、すぐに豪快に笑い出した。

「いやー、それは1時じゃなくて7時だわ!今夜は一晩中ダチと飲みながらゲームするからさ!あっ、もしかして、悠真がやたらと外出させたがってたのもそのせい?」

「えぇ!?」

 あまりの驚きに、麗香ちゃんから預かっていた予定表を改めて見る。しかし、どこからどう見ても1にしか見えない。

「1時だろ、どう見ても……!」

「達筆すぎたかー。ごめんなー」

「人の彼女に手出す暇あったら習字習ってこい!」

 そう言い残すと、麗香ちゃんの手を引っ張って部屋へと避難した。そして、土下座に近い格好で麗香ちゃんへ心の限り謝罪をする。

「二日連続で迷惑かけることになって、本当にごめん」

「顔を上げて。悠真くんは悪くないんだから、気にしなくていいのよ」

 麗香ちゃんはいつものように優しいが、あまりの申し訳なさに逃げ出したい気分だった。一度大きなため息をつくと、改めて予定表を開いてみる。麗香ちゃんは今後の予定を指さすと

「じゃあ、この71時は17時ってことなのね。もしかしてこの70時は19時?よく見ると、午後6時だと思っていたものは午後8時だったみたいね。24時間表示と12時間表示が混ざっているのも気持ち悪いわ……」

 と次々に暗号を解読してみせた。

「よく読めるね……。そういえば、兄貴は昔から字が汚かったよ」

「私の目が一馬さんの文字に順応してきたわ。今なら完璧に解読できる気がするもの」

「一生役に立たない能力だね……」

 兄のせいで完全に勢いを削がれてしまったが、気を取り直して電話の件に移ることにした。

「まずは相手の女性に連絡を取りたいけど、非通知だから電話に出てみるしかないわね」

 麗香ちゃんの言葉に僕も頷く。できれば知らない電話には出たくないが、それ以外に方法がないので仕方がない。僕は今までの着信履歴を麗香ちゃんに見せた。

「今日は8時に一回かかってきているから、次は多分18時だと思う。いつも大体同じ時間だから」

「じゃあ、まだ時間があるわね。実は、私の方でも情報がないか色々調べてみたんだけど……」

 そこまで言って、麗香ちゃんは口ごもった。苦々しい表情を見るに、めぼしい成果はなかったようだ。

「一応調査内容を教えてくれない?意外と役に立つかもしれないし!」

 僕が言うと、小さく頷いて調べたことを教えてくれた。

「まず、私のいとこが携帯ショップに勤めているから、悠真くんの番号の前の持ち主を調べられないか頼んでみたの。でも、守秘義務があるから難しいって言われたわ。それから、留守番電話の音声のコピーを送ってもらったじゃない?連絡できる友達全員に聞いてもらったんだけど、友達の母親に似てるとか、芸能人でいた気がするとか、あんまり参考にはならなそうだったわ。間違い電話となると女性がどこに住んでいるのかもわからないし、地道な特定は流石に無理ね」

「そんなに色々やってくれたんだ。ありがとう」

「まあ役には立たなかったけどね」

 麗香ちゃんはそう言って肩をすくめたが、僕のために力を尽くしてくれたことが素直に嬉しかった。僕がぼーっと麗香ちゃんを見つめていると、今日もまたノックなしで扉が開けられた。

「麗香ちゃーん!お菓子あるからぜひ食べてくれ!あ、悠真も特別に少しくらいなら食べていいぞ」

 兄はそう言うと、のしがかかったままのお菓子の箱を渡してきた。兄がくれるものなど基本的に信用できないので、箱の裏側を確認してみると、やはりと言うべきか、消費期限が一日すぎていた。僕はお菓子を兄に突き返すと

「客人に期限切れのもの渡すとかどうなってんだよ!」

 と声を上げたが、兄はケラケラと笑うばかりだ。

「同窓会でもらったんだけど、俺甘いもん食べないからさー。一週間くらい放置してたら期限切れちゃったんだよ。ま、一日くらい大丈夫だからさ!」

「ふざけんな!自分でどうにかしろ!」

 そう言って兄を部屋から追い出そうとするが、今日はなかなか引き下がろうとしない。

「暇だから俺も麗香ちゃんと遊びたーい!せっかく同窓会で連絡先渡しまくったのに、誰も連絡してくれないんだもん」

「みんな彼氏とかいたんだろ!ほら、出てけ出てけ」

 兄を部屋から押し出し素早く扉を閉めると、ようやく堪忍したのか自分の部屋に戻っていく音が聞こえた。二日連続で兄弟の攻防を見た麗香ちゃんは、苦笑しながら

「悠真くんは毎日大変ね。気を遣ってくれてありがとう」

 と労ってくれた。僕はため息をつきつつ

「麗香ちゃんこそ、兄貴に流されないでいてくれてありがとう」

 と感謝の気持ちを述べた。

 あんな兄貴だが、背が高くて端正な顔立ちをしているので、女の子には結構モテる。美人な麗香ちゃんは絶対にターゲットにされるとわかっていたので、兄には会わせたくなくて小さい時から家には呼べなかったのだが、偶然街で出会ってしまった時に毅然とした態度で断る姿を見て、ようやく家に来てもらう決心がついたのである。色々兄に邪魔されがちな人生だが、麗香ちゃんのおかげで前向きに生きられていると僕は思っている。

 電話がかかってくるまで、二人でのんびりゲームをして遊んでいたのだが、突然麗香ちゃんが

「そういえば、悠真くんの番号をネットで調べるのを忘れていたわ」

 と言い出した。

「あー、確かに。前の人が有名人なら情報出てくるかもしれないね」

 共感すると、麗香ちゃんは微笑して携帯の検索画面を開く。

「電話番号読み上げてもらえる?」

「はいはーい。×××-8340-1177だよ」

「ありがとう。……うーん、やっぱり何も出てこないわね。あっ、下二桁を50に変えると、美味しいうどん屋さんの番号らしいわよ」

「関係なさそうだなぁ……」

 その後もしばらく、麗香ちゃんは似た番号の情報を教えてくれたが、特に役立ちそうな情報はなかったし、途中から大喜利が始まってしまったので、いつの間にか真剣な情報探しではなくなっていた。

 それから、僕と麗香ちゃんはまたもやゲームに熱中していたのだが、そんな二人の世界に、突如着信音が鳴り響いた。時刻は18時12分。発信者は非通知。麗香ちゃんと顔を見合わせ、頷きあう。激しい心臓の鼓動を抑え、僕は覚悟を決めて、応答ボタンを押した。すぐにスピーカーに切り替え、麗香ちゃんにも聞こえるようにする。

「もしもし?あの……」

 僕の言葉に被せるように、あの留守番電話と同じ声の女性が話し出す。

「ああ、やっと出てくれた……。嬉しい……。ねえ、私のことわかる?わからないだろうなぁ。でもいいの。やっと話せたから。来週の土曜日、18時に、あの場所で待っています。一緒に花火を見たあの場所。初めてバーベキューをしたのもあの場所だったよね。一緒に泳いだの、楽しかったな。……じゃあ、待ってるから。絶対来てね」

「あの、ちょっと!!」

 止める間もなく、一方的に電話を切られてしまった。隣で聞いていた麗香ちゃんは小さく息を吐くと

「話が通じる相手じゃなさそうだったわね」

 と感想を述べた。それには僕も全面的に賛成だが、それより困ったことが起こってしまった。

「あの場所って、どこ……?」

 こぼれ落ちた問いに、麗香ちゃんも眉間に皺を寄せる。

「相手からしたら常識かもしれないけど、こちらからしたらほぼノーヒントだものね。どこの県にいるのか、いや、まず国内にいるのかすらわからないのに、あれだけの情報で特定するのは不可能よ」

「そりゃそうだよね……」

 僕は今、電話に出てしまったことを深く後悔していた。電話に出なければ、いや、そもそも着信拒否していれば、女性は諦めて、次の恋に進めたかもしれない。しかし、下手に出てしまったせいで、女性を期待させてしまった。そしてこの先、待ちぼうけさせてしまうことになるのだ。女性を傷つけないためにやったことだったのに、このままでは余計に傷つけてしまう。

「いっそのこと、私の予想が当たらないで、ただの詐欺だったら良かったわね……。本当に復縁だとは思わなかったわ……。あの時ちゃんと止めるべきだった。ごめんなさい」

 同じことを考えたであろう麗香ちゃんが、弱々しく謝罪の言葉を述べた。それを聞いて、僕はハッと顔を上げる。ダメだ。今ここで諦めたら、電話の女性だけでなく、協力してくれた麗香ちゃんにまで辛い思いをさせてしまう。

 僕は、俯いた麗香ちゃんの肩に優しく手を乗せ

「大丈夫!僕が絶対に、あの場所を特定してみせる!」

 と力強く宣言した。ただ虚勢を張っただけ。自信は全くないし、出来るめども立っていないけど、言うべきだと思った。言わざるを得ないと思ったのだ。そんな僕の言葉に、麗香ちゃんも顔を上げ、勝気な笑みを見せる。

「……そう、そうね。私も全力で協力するわ。一緒に頑張りましょう!」

 こうして、僕たちの長い一週間が始まったのだった。

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