第14話 雲雀あやの家は断熱性能が低い
「お兄ちゃん、今日は首相が辞任したんですよ。随分と国民に嫌われていましたけど、私たち多元外交部には予算を多く割いてくれるいい首相だったのに」
雲雀あやの近況報告や楽し気な世間話は、むなしく病室に響き渡るだけで返事は返ってこない。
目の前には、もう10年も眠り続けたままの兄がいるだけだった。この10年、どれだけ忙しくても週に一度は必ず病院に通っている。一度来れば3時間もそこにいて、反応のない兄へと語り続ける。病院の職員はその光景を10年も見ていて、心を痛めてはいるが兄妹にしてやれることはこれ以上なかった。
顔は白く、体はやせ細って、生気は感じられないが、それでもちゃんと生きているのだ。
あやは唯一の肉親である兄のため、人生の全てを捧げて来た。
「お兄ちゃん、もうすぐだよ。きっと、もうすぐだから……。私たちの多元外交部は徐々に異世界へと近づいてるの。あっちの世界にはね、どんな病気や怪我も直す聖女様っていうのがいるらしい。馬鹿っぽい世界観でしょ?でもいるの。必ずいるの。勇者って呼ばれてた人だってこっちにやってこれたんだよ。聖女も必ず来るから。……連れてくるから。私が」
少し熱のこもった言葉にも、兄の反応はない。人工呼吸器に繋がれた口元から優しい吐息が聞こえるだけだった。
最近、異世界多元外交部に新人が入った。
仙三一馬。異世界ではヒーラーとして生き抜き、今年戻った後、その異才に目を付けられて多元外交部へと入った。
仕事熱心なあやの為、上司がお節介を焼き、植物状態の兄に治療魔法をかけれないかと働きかけた。
あやは始め、迷惑だと思った。あちらの世界についてはある程度知識がある。いちヒーラーごときに、今の兄の状態を治せるとは思えなかったからだ。
しかし、上司の働きを無下には出来ない。今の職が大事だ。この職は給料もよく、おかげで兄を質の良い施設に預けることが出来ている。あやがまだ稼げていない頃は、劣悪な環境に預けていたものだった。もうあの頃には戻れない。だから嫌々だが、承諾した。
当日。おどおどした一馬は、上司からの命令に従い兄の治療を試みた。こちらにはない奇跡みたいな力だが、どこか弱弱しい。
(やっぱりだめじゃん)
多元外交部お抱え医師の立ち合いの元に行われたその奇跡の魔法だったが、兄を回復させるには至らなかった。
けれど、一瞬だけ。ほんの一瞬だけ、兄が目を開けたのだった。
そんな小さな変化が、まさか自分にあれだけの衝撃を与えるとは思っていなかった。
あやはその場で泣き崩れるほどに、目の前の光景に感動を覚えた。感情の制御がうまく行かず、視界が揺れ動く。いつもの毒舌で勝気な性格からは想像のつかない、まるで少女のように声をあげて泣きじゃくった。
兄が自分にとってどれほど大事な存在か、改め思い起こさせる出来事となったのだ。
「……今日見たことは忘れなさい」
「はっはい……」
部下にも一応圧をかけておく。自分の弱点となる部分は出来るだけ晒したくない。今後も出世して、異世界との扉を開く。そして聖女を招き入れ、兄を治療する。そのためなら、いくらでも出世してやるし、権力を乱用してやるつもりでいる。
兄が一瞬目を開けた奇跡の日から、早くも数日が経とうとしていた。今日は休暇だが、何もやることがない。長く住む築60年声のボロ家は湿気がこもりやすく、夏は暑く、冬は寒い。
国家公務員であり、秘密組織に所属するあやの給料はかなり多い部類に入る。それなのに、築60年の一軒家に住むのは、その給料の大半を兄の治療費に充てているからだ。別にそれに不満はない。けれど、流石に一日中その家で過ごすのは気が滅入った。
この一軒家は両親が飛行機事故で死んだときから住んでいる場所だ。祖父母が元は済んでいた家で、放置されたその場所に二人で入った。兄との思い出の場所でもある。
実家はもうない。両親が死んだとき、未成年だったあやたちは親族たちが管理するはずだった資産を全て溶かされた。彼らにはそれなりの罰が下ったが、それでも兄妹にお金が返ってくることはなかった。
か弱く、世間知らずの妹の為、兄が大学を辞めて工事現場で働くことになった。家を借りることもできず、ボロボロだった祖父母の家に二人暮らし。貧乏だったけど、あやはその生活を不幸とは思わなかった。
けれど、不運というのは容赦がない。工事現場にて、大きな事故が起き、兄が巻き込まれてしまった
その日以来、兄の時間は止まった。あやの残された小さな幸せも、その日から止まってしまっている。
「……嫌なこと思い出しちゃった。あー、外涼しぃ。仕事無い日って何をしたらいいのかしら」
外に出ると、家の中の湿り気が嘘みたいに快適だった。普段は仕事用の高級車に乗り、きっちりとしたスーツ姿のあやだが、今日はよれよれのTシャツにハーフパンツというラフな格好だ。オシャレな普段着なんて持っていない。
ニート勇者が『デートとかしないの?』とか舐めたことを言っていたのを思い出す。たしかに、そっちの方が健全なんだろうけど、そんな気持ちにはまだなれない。それに好きな人もいないし。
郵便ポストを開けると、そこには同窓会の案内があった。
「げっ」
到底行く気にはなれない案内に気分が沈む。
両親が生きていた頃、私立のお嬢様学校に通っていたのだが、二人が事故でいなくなった後は公立高校に転向した。
案内は転校する前の私立高校からだった。
落ちぶれて転校した自分。そして今もボロボロの家に住んで、デートする相手もいない状況。
どう考えても行く気にはなれない。馬鹿にされるに決まっている。
「……捨てるか」
破り去ろうとしたところで、ふと思い出す。
あのニート勇者の顔を。
「あいつなんで同窓会行けたのよ……。どんなメンタルしてるの?」
こうして自分に案内が届いてようやく、あのニートの凄さを実感し始めた。考えただけで足がすくみそうな場なのに、あいつは行ったのだ。
「……まじ?」
少し考えて、破り捨てるのは辞めておいた。シャツの胸元のポケットにそっとしまう。心境の変化があったわけじゃない。ただ、なんとなくだ。
卵を買って……もう秋だから魚も買っちゃおう。サンマがあれば美味しいだろうな。
スーパーへ行くので、何を買うかイメージしていると、アパートの敷地を出た数歩のところで思わぬ人物2人と出会う。
「あっ、雲雀さん」
「いやいや、まさか。雲雀先輩がこんなところに……。あっ、本当に雲雀先輩」
「雰囲気がめっちゃ雲雀さんっぽくないのに、雲雀さんだ」
そこにはマジで会いたくない二人がいた。
ニート勇者の野輪二都と後輩の仙三一馬である。なんか酒に酔ってやけに楽しげだ。
「え!?雲雀先輩、こんなところに住んでるんですか?」
後輩の問いかけに、押し黙ってしまう。
どう答えようか。
職場ではかなりエリート面しているのに、こんなおんぼろの家に住んでいるところを見られてしまった。
恥ずかしさや、後ろめたさ、なんか複雑な感情がどっと押し寄せてくる。
「意外だな。でも、俺はこっちの方が好きかも」
ニート勇者、二都の言葉に顔を上げる。
好きかも?
「なんかすんげー高層マンション住んでるイメージあって、ちょっと近寄りがたい存在だったから。こんくらいの方が雲雀さんと距離が近く感じられるかも」
「……は?」
ニート勇者の言葉は嬉しかったはずなのに、自然と冷たい言葉が出た。あっ、と後悔してももう遅い。二人はまた怖い人を前にした表情をしている。
もう染みついてしまったのだ。
守ってくれる両親も兄も失い、自分一人で生きていくにはこうして強面で強い言葉を使って難を凌ぐほかなかった。
沈黙が流れる。空気を壊してしまった。もう駄目だろうな……。
その沈黙を破ったのは、まさかの――。
ぐー。
腹の音だった。
こんな気まずいタイミングで、最悪の音がしてしまった。朝から何も食べていないし、ちょうどスーパーに行くタイミングでもあったからだったが、それでも鳴る!?
「もしかして腹減ってる?……あのさあ、良い肉かっぱらって来たんだけど、食べる?」
「……貰うわ。ありがとう」
良い肉の魅力に逆らえる人間なんていない。それとさっきのお詫びも込めて、ありがとうを言っておいた。
「ニトさん良いんすか!?それホームパーティーからかっぱらって来た良いお肉なのに!」
「……うむ。たしかに。雲雀さん、その肉あげるから俺たちも一緒に食わせて貰っていいか?」
「……は?」
今度は正真正銘のは?が出てしまった。こいつは何を言っている?
けれど、肉を貰った手前、二人を追い返すのも少し違う気がした。
「酒もあるっす!高級ワインもかっぱらって来ました!」
「……酒も!?……上がって」
てかこいつら結構充実した休日過ごしてんのね。なんか負けた気分だ。
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