第7話 この戦いの元を取りに来た

 俺の人生が少し狂い始めたのは、高校に入学した頃だった。


 猛勉強をして、超エリート高校に入学した場所は、努力家の集まる場所だと思っていた。けれど、実際に行って見ると、そこは金持ちのボンボンばかりの学校だったのだ。


 俺みたいな庶民家庭の家はかなり少数で、初日から少し価値観の差を感じたんだっけ。

 そして少し浮いた人間が、たまたま毒蛇のターゲットにされてしまい、地獄を見ることに。


 今目の前にいる、金木の手によって。


「おめでたい頭だな。本当に歓迎して貰えると思ったのかい?ニート君」

 顔を滴る酒を袖で拭って、目の前で邪悪な笑みを浮かべる男を一瞥した。……勘違いしちまったよ。ほんの一瞬。


 みんな根は良いやつなんだって、バカみたいに信じてしまった。みんな仲良くなれるんじゃ。そんな淡い幻想を……。


「酒に濡れて、少しは男前らしくなったじゃないか。まあ、ニートが少し格好良くなったところでなんてことはないけどな。ミサ、こっちにおいで」

 ミサ、と呼ばれた女性にまさかと思っていると、呼ばれてやってきた女性はそのまさかの人だった。


 学年一の美女と持て囃され、マドンナ的な存在のミサさんだった。高校時代はモデルもしていて、一時期はテレビCMにも出ていた人だ。けど。

 ……なんかめっちゃ太っていた!時は残酷なり!

 昔から俺はそんなに美人だと思っていなかったが、芸能人という下駄も履かせて貰って、みんながやたらと美人扱いしていた人だ。

 俺がいなくなっていた10年で芸能界は引退したのだろうか。


 金木に近づくと、俺に見せつけるかのようにディープキスをし始める。


「お前にはこんなことできる相手もいないんだろう?悲しいやつだよな、30にもなって」

 普通に効くからやめろ。今日一で効いた。


「今なんの仕事してるんだい?くくっ、聞いちゃ悪かったかな?」

「いーや。大工の見習いだよ。楽しくて、誇りをもってやってる」

「そうか。みんな聞いたか?ニート君がめでたく就職できたらしい!」


 金木がわざとらしい笑みを浮かべ、大げさに拍手をする。皆もそれに習う。

 当時のまんまだな。学校のカーストのまま、今もみんな金木の顔色を窺って過ごしている。

 でっかい不動産会社の次期社長だし、人の弱みを握るのも、人心掌握も得意な男だ。その圧倒的な影響力は健在らしい。


 ひとしきり嘲笑うと、金木は胸元に手を突っ込み、財布を取り出した。

 札束を握ると、それを床にばらまく。


「一日いくら稼げるんだ?ほら拾えよ。これで僕の家の犬小屋でも作ってくれないか?」

 ゲラゲラと周りも釣られて下卑た笑みを浮かべる。


 きっと高校生の頃の俺は、ヘラヘラしながらお金を拾っていたんだろうな。金木のご機嫌を伺いながら。なんとかこれ以上の怒りを買わないように、情けなくも拾っていただろう。


 だが!!


 ……今も拾っちゃう!!

 結構な大金だったので。


「おい、見ろよ!ニート君は昔と何も変わらないな。みんなもこんな無様な大人にならないようにな」


 ちょうど札を拾い終わる頃、一ノ瀬が俺と金木の間に割って入った。


「ごめんね、野輪君。高校のときは怖くて助けに入れなかったけど、今度はちゃんと立ち向かってみせるよ。……金木君、こんなことはもう辞めて」

「どけよ。お前の家の会社がどうなってもいいのか?」


 冷たい視線と、実家への脅しで勇気を振り絞った一ノ瀬はやはりどかざるを得なかった。

 ありがとう、一ノ瀬。君の勇気に感謝するよ。やはり君と俺は親友だ。


「ほら、最後の酒だ。ちゃんと味を覚えて帰れよ?どうせ高い酒の味もわからないんだろう?」


 しゃがんでいる俺に酒がまたかけられて、頭から高級であろう酒がボタボタと滴る。勿体ないことしやがる。


 犬みたいに頭をぶるぶると振って、立ち上がった。

 金木に視線を向ける。


 そこには身長の低い、色男がいる。取り巻きに囲まれ、美人の妻を脇に抱え、高級腕時計をつけているだけ。

「ふんっ」

 やれやれ。俺はなんでこんなやつが怖かったんだろうな。たった一人のしょうもない男に。

 少し笑みまでこぼれた。


「お前みたいなのと同じ学校出身だと思うと、ブランド力が汚される感じがして昔から嫌だった」

「そうか」

「帰れよ、貧乏人。クリーニング代は払ってやるから。なんならタクシー代も払ってやろうか?」

「いらねー」


 だってユニクロだから。家の8キロ入る洗濯機で粉石けん入れて洗えば、酒のシミも臭いも綺麗さっぱりとれる。

 それにユニグロのシワになりづらい素材を購入したので、手入れも簡単。技術の進歩には感動を覚えるレベルだ。


 俺は引くことはしなかった。

 むしろ、金木に歩み寄っていく。


 腕を伸ばせば届く距離まで近づき、その目を見つめた。


「なっなんだよ。暴力かい?まあブラジリアン柔術マスターの僕に勝てるとは思わないほうが身のためだ。目障りだから、消えろよ」

「帰らねー。まだ3万円分の元を取ってないからな」

 腹具合は3割程度だ。食べ放題なのに、全然食べてない。酒もかけられただけで、腹には入っていないんだ。

 こんな状態で帰れるか。3万円払ってんだぞ、こっちは。


「元を取る?」

 金持ちにはそういう概念がないらしい。悲しいやつらめ。元を取る喜びを知らないとは。


「ふーん、僕に逆らうんだ。じゃあ、昔と同じことしちゃおっか。みんなちゅうもーく。今からニート君の公開処刑を始めまーす。おい、橘。ニート君を押さえつけろ」

「い……いいのかよ?」

 少し困った様子の橘。学生時代は金木の操り人形だったが、今は社会人だ。しかもここはホテルの従業員の目もある。


「目撃者には金を握らせておけ。それに僕の家は警察にも顔が利く」

 金と権力にものを言わせるのも昔と変わっちゃいない。哀れすぎて、また笑いが出てしまった。


 俺を拘束しにきた橘を、一本背負いで床に叩きつける。

「ぐはっ!?」

 ここは道場じゃないからな。相当痛いだろうが、橘にはいい薬だろう。


 もう一歩踏み込んで金木の胸倉を掴んで、引き寄せた。


「ぐっ!?なんでこんなに力が!?」

 異世界でいろいろ苦労したからな。


「クリーニング代はいらない。でもこの後予定があるから、その分の償いはして貰うぜ」

 金木のタックインした白シャツを思いっきりひっぱりだし、それで顔を拭う。結構濡れちゃったからな。丁寧に拭かないと。この後人生初のデートがあるんだ。ちゃんと清潔な格好で行きたい。


「なっなにをする!?」

 抵抗する金木を更にグイっと引き寄せて、ジャケットで鼻も噛んでおく。ふう、すっきしりした。

「きったねー」

 周りから聞こえてきたが、構うものか。


「これで今日の仕打ちはお相子だ。良い酒なんだろう?それなら気にしないよな?」

 鼻水はおまけだ、馬鹿野郎。

「ニート、調子に乗るなよ!」

 金木が俺の腕を振りほどこうとするが、悪いがこっちの世界の人間にどうこうできるほど、今の俺は軟じゃない。もがく金木だったが、俺の腕を振りほどけなかった。


 けど用事は済んだので、手を放してやると金木は気が緩んだのかその場に尻もちをついた。


「ぼっ僕を見下すな、クソニート。だいたい、予定ってなんだ?画面の中の二次元の彼女か?帰ってシコって寝てろよ」

 最近、こっちの世界にはVチューバーなるものがあるらしい。興味あるから今度見てみたいが、今日は違う。


「好きに言えよ。俺ももうお前からは逃げねー」

 ちなみにドンの罵倒はもっと厳しい。


「ははっ。生意気。なあ、今度高校創立100周年を祝う、全卒業生対象の同窓会があるんだ。その会場を僕の家である、金木不動産が取り仕切ることになっている。僕から逃げないんだろう?そこにもちゃんと来るよね、ニート君」

「ああ、招待状を送れよ。お前の金で高い酒飲んで経済回してやる」

「絶対に逃げるなよ」


 まーた悪だくみしてそうな表情を浮かべていた。けど、本当に行くつもりだ。もう怖くはない。かかってこいよ、金木。


「ったく、あっという間に時間が過ぎちまった。全然元取れてねーよ」

 けれど、時計を見るとそろそろ瑠香さんが迎えに来る時間だ。

 こんな下らない連中のために、待たせるわけには行かない!俺の大事なデート!


「じゃあな。俺行かなきゃだから」

「おーい、貧乏人が家に帰るみたいだ。みんな、見送りに行ってやれよ。くくっ、どうせ用事なんてないだろうしな」

 あるっての。


 相手にするのも面倒だが、金木はしつこく後ろに付きまとう。取り巻きまでついてくる始末だ。

 振り返ると、向こうも止まった。


「なんだい?見られると困ることでもあるのかい?」

「普通に気になるだろ。まあいいけど」


 なんか大勢に見送られて大物っぽいし、許しておいた。

 会場の外にまで本当についてくるんだから、どれだけ俺のことをあざ笑いたいんだよ。その執念は少し凄いと思った。


 ホテルの外に出ると、見慣れた車があった。

 少し早めに来てくれたようで、瑠香さんがいる。俺に気づいたみたいで、嬉しそうに手を振ってきた。釣られて笑顔で手を振り返す。その隣には、なぜか面倒くさそうな顔をした雲雀さんまでいる。そう、見慣れた車は雲雀さんの運転する高級車である。


「……は?誰だよ、あの二人は……」

「すげー美人じゃね?」

「え?ニート君の知り合い」

「用事あったってマジなのかよ……」


 金木をはじめ、取り巻き達がザワザワとし始める。

 男は美人を前にするとウキウキしてしまうものです。


 それにしても、二人の美人さには改めて驚かされる。学年のマドンナであるミサさんは、過去の面影を失ってこそいるが、それでも芸能界を歩んできた人である。そのミサさんの全盛期よりも、二人は圧倒的に美しかった。

 そりゃ男どもも色めき立つよな。


「お待たせ」

「いえ、早く来ただけですので……」

 瑠香さんが気恥ずかしそうに出迎えてくれた。こんなおっさんの為に早めに来てくれるなんて!俺はなんて幸せなんだろうか。


 車に乗り込むと、ホテルの方から金木が歩み寄ってきた。

 まだ車に乗り込んでいない雲雀さんへと歩み寄っていく。


「お美しいお嬢さん方。そんなモブい男じゃなく、良ければ会場で僕と一緒に談笑でもしませんか?」

「は?キモいんだよナンパ男。消えろ」

「え゛っ!?」

 雲雀さんの毒舌が容赦なく炸裂する。この時ばかりは、この人が毒舌だったことに感謝した。

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