6 チェコスロバキアの運命

一九三八年の夏から秋にかけて、ドイツ国内では猛烈な反チェコ運動が展開されていた。新聞とラジオは連日、チェコスロヴァキアにおけるドイツ系住民がいかに酷い迫害を受けているかという報道を繰り返していた。実際には、事実の捏造や誇張が多分に含まれていたが、その影響力は計り知れなかった。国民の間にはチェコへの憎悪が広がっていた。

九月十二日、ニュルンベルクでのヒトラーの演説は、その頂点を迎えた。私はその場にいたが、ヒトラーの言葉はまるで雷鳴のように人々の心を打った。彼はチェコスロヴァキアを「ドイツ民族の敵」として激しく非難し、ズデーテン地方のドイツ系住民が迫害されていると訴えた。群衆の歓声はまさに狂喜の様相を呈しており、その熱気に私は圧倒されつつも、どこか冷静に情勢を見極めようとしていた。

その演説の直後、ズデーテン・ドイツ人が蜂起を試みたが、失敗に終わった。チェコ政府は迅速に対応し、戒厳令を敷いて反乱を抑え込んだ。しかし、ヘンラインがドイツに逃亡したことで、事態はさらに混迷を深めていった。私は、この一連の出来事がドイツ政府の計画の一部であることを察知し、冷静にその後の展開を見守ることにした。


九月十五日、事態は大きく動いた。英国のチェンバレン首相が、ヒトラーと直接対話をするためにベルヒテスガーデンへ飛んできたのである。この知らせを受けたとき、私は驚きを隠せなかった。これまでの英国政府の姿勢を考えると、チェンバレンが自らヒトラーに会いに来るとは予想外だったからだ。

ベルヒテスガーデンでの会談は、欧州の運命を左右する重要な瞬間であった。チェンバレンは、ズデーテン地方のドイツへの割譲に原則的に同意した。これは、ヒトラーにとって大きな勝利であり、彼の計画が順調に進んでいることを示していた。一方で、チェンバレンはヒトラーとの会談を通じて、彼が想像していたほど悪い人物ではないと確信し、ロンドンに帰国した。彼のこの楽観的な見解は、私には甘いとしか思えなかった。

チェンバレンがヒトラーとの会談を通じて和平を目指していたことは理解できたが、その背後にある危険性を彼が見落としていることが、私には明白だった。ヒトラーは武力行使の準備を続けており、チェンバレンの和平政策は、ドイツのさらなる強硬姿勢を助長するだけであることを確信していた。


その後、チェンバレンは再びドイツに戻り、九月二十三日にゴーデスベルクでヒトラーと再会した。ヒトラーはさらに広範な要求を突きつけ、チェコスロヴァキアの広範な領土の割譲を要求した。私たちの中でも、この要求の過激さに驚きを隠せない者が多かったが、ヒトラーは一切の妥協を拒み、強硬な姿勢を崩さなかった。

チェンバレンは再びロンドンに戻り、ヒトラーの要求を受け入れるべきかどうかを閣議で議論した。英国内では、ヒトラーに譲歩することに対して反対の声が強まっていたが、最終的にはチェンバレンは戦争を避けるためにヒトラーの要求を受け入れることを決意した。私は、この決断が欧州全体にどのような影響を及ぼすのかを考えながら、ベルリンでその報道を見守っていた。

九月二十九日、ミュンヘンでヒトラー、チェンバレン、ダラディエ、ムッソリーニの四者会談が開かれた。私たちは、この会談が欧州の未来を決定づけるものであることを理解していた。会談の結果、ズデーテン地方はドイツに割譲されることが決定され、チェコスロヴァキアは実質的に解体への道を歩むことになった。私は、この結果がドイツにとって大きな勝利であることを感じつつも、その裏に潜む危険性も認識していた。

ミュンヘン協定は、ドイツ国内では勝利として歓迎されたが、私の胸中には複雑な感情が渦巻いていた。確かに、ドイツはズデーテン地方を手に入れたが、それは一時的な平和をもたらすだけであり、ヒトラーの野心はさらに大きな戦争へと突き進むことになるだろうという予感があった。


ミュンヘン会談の翌日、チェコスロヴァキアのベネシュ大統領は辞任し、国は事実上ドイツの支配下に置かれることになった。私は、この時点でドイツが勝利を収めたことを確信しつつも、その勝利がどれだけ長続きするのかに不安を感じていた。ドイツは確かに勢力を拡大しつつあったが、その先に待ち受けているものが何であるかは、まだ誰にも分からなかった。

チェンバレンはヒトラーとの会談を通じて、「我々の時代の平和」を確保したと信じていた。しかし、私はその平和がどれだけ脆弱であるかを理解していた。ヒトラーの野心は止まることを知らず、ミュンヘン協定はただの一時的な休戦に過ぎないと感じていた。


ヒトラー総統は、チェコスロヴァキアの残りの領土をどのように処理するか、またメーメルをどう攻略するかについて軍に指示を出していた。私はその命令が伝達される様子を軍の高官たちとともに静かに見守っていた。そのとき、私はドイツが大きな歴史の転換点に立っていることを強く感じた。スロヴァキアがプラハからの独立を宣言し、ドイツの保護を求めた時、それはまさにヒトラー総統が長年待ち望んでいた瞬間だったのだ。


スロヴァキアとチェコ人の関係は、最初から円滑ではなかった。チェコスロヴァキアという国が誕生したとき、スロヴァキアは旧ハンガリー領であり、オーストリアの支配下にあった。それに対して、ボヘミアとモラヴィアのチェコ地方は教育や産業で大きく発展していた。スロヴァキア地方は、その発展の遅れを常に感じ、独立後もチェコ人によって支配されることに対して強い不満を抱いていた。

私はその背景を理解しつつも、スロヴァキア人が求める自治権の動きが、いかにしてヒトラー総統の戦略に合致したかを思い返していた。一九三八年、スロヴァキアの自治権運動を率いていたアンドルウ・フリンカ神父が死去し、後任のモンシニョール・ティソが分離主義に傾いたことは、我が国にとって非常に有利な展開であった。スロヴァキアが独立を求めることで、ヒトラー総統はそれを利用してスロヴァキアをドイツの保護領とし、ドイツの衛星国として組み込むことができたのである。


その後の展開は速かった。チェコスロヴァキアのエミル・ハーハ大統領とその外相はベルリンに呼び出され、そこでヒトラー総統に厳しく叱責されたという話を聞いたとき、私は内心でその結末を予感していた。ハーハ大統領は総統との会談中に発作を起こし、卒倒したという。この一件は、ドイツ軍が既にプラハに向けて進軍を開始していたことを示すものであり、チェコスロヴァキアの抵抗がいかに無力であったかを物語っていた。

ドイツ軍がプラハに迫る中、ハーハ大統領と外相はドイツの要求を受け入れ、ボヘミアとモラヴィアをドイツの保護領とすることに同意した。この決定は、チェコスロヴァキアという国の独立が事実上終わりを迎えた瞬間だった。私はそのニュースを聞き、我が国がまた一歩前進したことを確信しつつも、これが欧州全体にどのような影響を及ぼすのかを冷静に考えざるを得なかった。


一方で、ルテニア地方はハンガリーによって併合された。ヒトラー総統は、特にハンガリーを好んでいたわけではなかったが、イタリアやポーランドの要請を受けて、ウィーンのごほうびとしてルテニア地方をハンガリーに譲ることを許可した。この決定は、欧州の複雑な政治情勢を反映しており、私たちがどれほど多くの外交的な駆け引きを行っているのかを示していた。

その後、ハンガリー軍はルテニアの残りの地方を占領し、チェコスロヴァキアという国家は事実上消滅した。私はこの出来事を目の当たりにし、我が国がいかにして力と外交を駆使して欧州での地位を確立していくかを深く考えた。ハンガリーがこれらの領土を手に入れる一方で、我が国はさらに大きな野心を抱いていたことは明らかだった。


これらの動きに対して、英仏両国はほとんど何も言及しなかった。ヒトラー総統がチェコスロヴァキアを占領するわずか五日前、チェンバレン首相は下院で、欧州は落ち着きを取り戻していると述べ、今後は軍縮とドイツとの貿易に力を注ぐ意向を表明していた。私はこの発言に驚きを隠せなかった。チェコスロヴァキアが崩壊する寸前であったにもかかわらず、彼は依然としてヒトラー総統との和平を信じていたのである。

プラハに一撃が加えられると、西側の保証人たちは、チェコスロヴァキアが存在しなくなった以上、彼らの保証も無効であると宣言した。この変わり身の早さは、私たちにとって驚くべきものではなかったが、それでもなお、英仏両国がいかに無力であるかを痛感させられた。

この一連の出来事から一週間後、ヒトラー総統はリトアニアに対して最後通牒を突きつけた。リトアニアによるメーメル地方での架空の残虐行為を非難し、その領土をドイツに強奪することを要求したのである。メーメルは、ダンツィヒと同様にヴェルサイユ条約でドイツが放棄した地域であったが、ヒトラー総統はその奪還を日程に組み込んでいた。


チェコスロヴァキアを巡る一連の行動が終わり、メーメル地方の奪還が成功した後、ヒトラー総統は次なる標的を見定めていた。それはダンツィヒであった。ヴェルサイユ条約で失われた領土を取り戻すという彼の執念は、我々の国にとって大きな影響を及ぼすことになるであろう。

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