第6話 ひと匙の塩

 翌朝、レオンとスオラは最初にあった桟橋から少し離れた岩場に集まった。桟橋は漁師や交易船で賑わっているので、自由に実験できる雰囲気ではない。


「沸かしてみるしかなさそうなんだよな」


 昨日の塩商人から聞いた方法を寝る前に検討したが、結局この結論である。

 トバリアの涼しい気候を考えると天日干しだけではまず無理。

 井戸水も塩っぱく無かったからアウト。

 海藻を焼いて塩を作るというのも、そもそもこのあたりの海藻ではやはり塩気が足りないだろう。

 何工程にも分けて水を飛ばして濃い海水を作るという方法はそもそも大規模すぎて二人ではできそうにない。


「そうなると思って、薪は持ってきた。足りなかったら、まだ家から持ってこれるよ」


 スオラも同じ結論に達していたのだろう。準備がいい。

 レオンが火を起こす間に、スオラには海水を汲んでもらう。


「沸かす前にちょっと味見」

 

 バケツに入った海水を舐めると、ほんのかすかに塩味はある。安宿のスープの方がまだ濃い。

 期待薄かなと思いつつも、レオンはいつも野営で使っている鍋に入れて火にかける。


「食べるか?」

「あ、それ昨日もらったやつだよね。甘くて美味しかった!」


 干したムアンに反応するスオラ。やはり、お詫びの品の選択は間違ってなかったらしい。

 カバンから、塩の小袋も取り出す。


「そのまま食べるのも良いんだけど、これもこれで美味いんだ」

「それが昨日言ってたやつ?」


 塩に香辛料や砂糖を混ぜた調味料だ。干しムアンにすこしまぶすと、辛味や塩気が甘さを更に引き立てる。


「ピリ辛だけど、確かにアリだね!」

「つけすぎるなよ」


 高いんだから、という続きは口の中にしまっておく。トバリアで同じものを作ろうとすると、銀貨数枚では足りないはずだ。

 しかし、南方で買った時の値段は大したことない。地元の産物の組み合わせだから。商売相手にならともかく、スオラ相手にケチることはない。


 干しムアンが半分ほどなくなった。鍋の水はボコボコと沸き立っている。沸き立ち続けている。


「沸くのは沸くけど……中々減らないもんだね」

「一回、量を減らすか」


 量が欲しかったから鍋いっぱいに海水を入れたのだが、ちょっとじれてきた。


「ちょっと待って。味が濃くなってるかは確認したい」


 スオラは木匙で鍋の海水をすくい、冷ましてから舌にのせる。


「ん……あんまり変わらない?」

「上の方をすくうからだろ。混ぜればほら」

「あ、ちょっと濃いかも」

「ちょっと濃い、ぐらいか」


 改めてすくいなおし、レオン自身でも味わってみる。水が減った分だけ濃くなってはいるけれど、それでもスープに勝てない程度。

 水を指先一節分ほどまで減らして沸かし直し。ムアンの実がなくなった頃に、水がほぼ乾ききった。鍋の底に、うっすらと白く塩の結晶が残る。がりがりかき集めても木匙1杯分にもならない。一飲みにできる量だ。


「薪をこれだけ使って、これっぽっちか」

「作れないわけじゃないってだけでも、進歩だよ」

「まあ、そりゃそうなんだが」


 スオラの言うことも正しいが、得られた塩よりムアンにつけて食べた塩の方が多い。

 間違いなくトバル海の塩ではあるが、これで依頼達成とはちょっと言いにくい。


「この調子じゃ一袋の塩を作るのに何月かかるやら」

「もっと濃い塩水があればいいんだよね」

「聞いた方法をやってみるか? だだっ広い砂浜に水を引いてどうこうってやつ」

「できる気がしない……」


 そもそもトバリアの海岸は岩場が多く、砂浜はあまり広くない。近くの岩に登って砂浜の方を見てみると、やはり何かしている人たちがいる。そこを子どもと他所者が占拠するのは許されまい。


「さっき、下の方は濃かったよね」


 砂浜の方を考えていたので、スオラのいう『さっき』がすぐには思い当たらなかった。

 水を減らす前に味見した時の事だと気付いた時に、スオラが言葉をつづける。


「ってことはさ、海の底の方って塩が濃いんじゃない?」

「そうかもしれんが、どうやって底の方の水をとる?」


 レオンも泳ぐ事はできるが、潜水までは自信がない。できても自分の背丈より少し深いぐらいだろう。そんな深さでは塩気が大きく変わる気がしない。

 しかし、スオラの方は青い目をまん丸に見開いてまくしたてる。


「底の方まで箱をおろして、ふたを開けて閉めて引き揚げりゃいいんだから……よし、いける! レオンはここでもうちょっと水沸かしてて。あたし、作ってくる!」

「あ、ああ」


 その熱量に負けたレオンは、走り去るスオラの背を見送るしかできなかった。行き先がわからないので追うにも追えない。

 仕方なく、少しでも塩を増やすべく水を沸かす作業を続ける。


 しばらくして戻ってきたらスオラは脇に小タルを抱えていた。タルには大きめの石が縛りつけられていて、石と反対側にはコルクの栓。石とコルクは別々のロープがついている。


「ふたを閉める方はちょっと難しそうだったから止めてみた。底の方で水が入ったら、引き上げ中にはそんなに混ざんないと思うんだよね」


 早口で言い訳をはじめるスオラを、押しとどめる。


「待て待て待て。そもそも、どうやって使うもんなんだ、これ?」

「このタルを水の中に入れたら、石が重いから沈むでしょ。底についたら、一本目のロープを引く。そうするとこの栓が抜けて、水が入る」


 スオラがロープを引くと、言葉通りコルクが外れる。


「で、二本目を引くと、石を結んでるとこがほどけて軽くなるから、楽に引き上げられるってわけ」

「なるほどな。まぁ、やってみるか」


 なるべく深いところ、ということで桟橋の先端まで行ってみる。

 投げ込まれたタルはすぐに沈んで見えなくなる。

 スオラが1本目のロープを引くと、コルクは泡と一緒に浮かび上がってきた。

 泡が止まったところで2本目を引く。


「引き上げられるか?」

「大丈夫。かなり軽いよ」


 スオラの細腕でも、水面までは楽に上がってきた。レオンは水面から引き上げるところだけ交代する。

 早速タルの水を口に含むスオラ。飲み込まずに眉だけピコピコさせて、タルをレオンに押し付ける。

 レオンがひとなめすると、確かな塩気が口内に広がる。スープに勝った。


「ん、濃いな」

「よしっ!」


 スオラは勝利の拳を突き上げる。


「でも、これでも普通の海よりは薄いぞ」

「そっか……。でも考え方は間違ってないよね。もっと深いところにこの道具を沈められたら……」

「深いところに行くには船がいるな」

「船なら、あてがある!」

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