第5話 ミルクヘア

 扉から出てきたのは、スオラの母親一人だけ。

 隠れ損ねたレオンと、ばっちり目があってしまう。

 どの言い訳がマシかと考えるレオンだったが、母親の方が先に口を開いた。


「魔女様、ですよね?」


 娘が言ったのとは違う、明らかに確信している言い方だ。

 その通り。レオンは魔女だ。

 とはいえ、おとぎ話に出てくる悪役とはまた違う。

 正統と異端の垣根を飛び越え、互いを互いの排斥から守るもの。

 しかし、だからこそ、まっとうな人間社会から見た魔女は異端の筆頭として嫌われ、恐れられる。

 正体がばれれば、問答無用で殺される地域もある。


 しかし、母親は単に『魔女』ではなく『魔女様』と言った。

 そこに一抹の希望を抱き、記憶の底から言葉を絞り出す。


「ミルクヘア?」

「ええ」


 半分だけ緊張を解く。

 魔女のためにミルクを持ってくる野兎ヘア。つまり、魔女の協力者の符丁だ。


「初めて会ったよ。祖霊からは聞かされていたけど」

「私も、魔女様にお会いするのは初めてです。夫から引き継いで、まだ2年ですので」

「それでよく魔女だと分かったものですね。この街ではまだ魔法は使ってないんですが」

「そこは、女の勘です」


 女の勘は恐ろしい。レオンよりよほど魔女に向いているかもしれない。


「それで……」

「娘さんに関しては、魔女関連じゃないんです。本業の方で」

「本業?」

「名乗った通り、旅商人です」

「魔女って副業でやるもんなんですか?」

「あなたも、副業でミルクヘアでしょう?」


 本業は母親、のはずだ。あるいは船工房の方でも何かしら仕事があるかもしれないが。


「確かにそうですね。では、副業は手短に済ませましょう。何かお手伝いできることは?」


 実のところ、レオンは今魔女として動いているわけでもないし、ここでミルクヘアに会えるとも思っていなかった。とっさに手伝いと言われても出てこないので、気になっていた疑問だけ口に出す。


「魔女がここの海から塩を奪ったって話があるらしいけど、どれぐらい信じられてます?」

「本気で言ってる人はいませんわ。うちのひとは、まるっきりの出鱈目ではないかもとか言って調べてましたけど」


 誰がそんなことを、と聞きたそうな顔をしていたので、レオンは肩をすくめて情報源を明かす。


「スオラがマシューとやらに魔女のことでいじめられたと言ってたんでね」

「マシュー? ホップスさんちの?」


 ホップスさんと言われてもレオンにはわからないが、おそらく合ってるのだろう。母親はクスクス笑ってから言葉を続ける。


「でしたら、心配ありませんわ。そもそも夫が生きていた間は、うちの工房は魔女印だったんです。本気で魔女が嫌われてる街では、そんなことできません」


 心配いらない理由はともかく、後者は納得がいく。魔女をトレードマークにしていても商売には影響がない、その程度の扱いの街なのだ。


「よかった。じゃあ、魔女として頼むことは特にない。そちらからは何か?」


 ミルクヘアの方も、何のメリットもないのに魔女を助けるわけではない。魔女に優先的に頼みごとができるのが彼らの立場だ。


「頼み事ではないのですけれど、これがお助けになるかもと」

「凝った本だね」


 母親が渡した、というか押し付けてきたのは本であった。手帳というにはやや大きいが、持ち運びに不自由するほど大きすぎるわけではない。ごく普通の革で想定されているが、表紙に琥珀が埋め込まれて、紋様が刻まれているところが目を引く。タイトルはない。


「うちの人が、引退される魔女様から預かったものだそうで。私や夫では、読めるけれど読めないので」


 軽くページをめくってみると、使われているのは普通の北方語。パンだのチーズだの書いてあるので料理の解説をしているように読める。しかし、パンをひとしきり切り刻んだ後にジャガイモのマリネに関して語り始めるあたり、書いてある通りに調理してもまともな料理はできそうにない。


「ありがとう。じっくり読ませてもらう」


 多分、呪文書だろう。そう見当をつけて、レオンは本を閉じる。正体がばれるのを嫌がる魔女は、自分の知っている魔法についても暗号で書き記すと聞いている。暗号を読み解ければ、新たな魔法が手に入るだろう。ありがたい贈り物だ。


「後、ミルクヘアのあなたにではなく、スオラの母親であるあなたに頼みたい。明日もスオラの手を借りたい。お願いします」


 ムアンの実で懐柔した時とは違い、真正面から頼み込む。

 そんなレオンに、母親は少し冷たい目を向ける。


「嫁入り前の大事な一人娘なのですけど」

「傷物にはしない。神に、じゃないな祖霊に誓って」

「冗談ですよ。塩がどうのって珍しく嬉しそうに話してましたもの。私が止めたって勝手に行くでしょう。お邪魔にならなければ好きにしてください」


 にっこりと笑って、許可を出す母親。

 今日あれだけ塩の話を聞かせて、明日以降何もかかわるなというのも酷な話だ。


「助かります。祖霊の祝福がありますように」

「魔女様にも、祝福がありますように」


 祖霊の象徴たる月の光に照らされながら、魔女と野兎は互いに幸いを祈って別れた。

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