走る闘志

@atgnkgw

完結

蝉が鳴き叫ぶ夏の畦道。がむしゃらに走る中学生を見て何度も過去を思い出す。今でこそあの慟哭を叫ぶような練習をせずに、所謂「市民ランナー」として走れてはいるが、過去のことは何度思い出しても不思議なものだ。

童心全盛期の頃、私は陸上競技の長距離に打ち込んでいた。小学生の頃はサッカーに夢中になっていたが、冬季持久力アップのために長距離に取り組むと、その達成感と心肺から血の味がする感覚にのめり込んでしまった。今思うと、それが私の身体を壊したと言うべきか、醒ましたきっかけとなったのかもしれない。中学校からはその感覚を本能的に追い求めるように陸上競技部に入部した。入部当初は走ることだけを求めていたが、大会に出場したり、他学校のライバル且つ仲間と切磋琢磨をするうちに、勝ちたいと言う欲も心底から沸々と湧き出てきた。練習を積んで地区大会を勝ち上がり、県大会で決勝を目指し始めた2年秋あたりだろうか、練習中の調子の良し悪しの振れ幅が大きくなっているように感じ始めた。当時は練習に夢中であったので、そんな時もあるだろうと軽視していた。そんな蟠りを感じながらも、2年生の秋の新人大会で、北信越大会進出とはならずも7位入賞を果たし、徐々に県内でも名を馳せるようになった。その頃から陸上での進学、スポーツ推薦を考えるようになり、県外県内含めいくつかの陸上強豪校から声がかかるようになった。そうともなればと言うように自身としても練習に身が入り、記録を更新し強豪校に相応しい選手になろうとより研鑽を重ねるようになった。新人大会が一段落ついた後、目標を立てた。全国大会出場。つまり、全中に出場するためには標準記録を総体などで突破する必要がある。記録が必要なのだ。その為、冬から春にかけ多くの大会に出場した。惜しいレースが続く…が、それ以上に気になっていることがあった。どうも記録が安定しない。しかも、よりによって記録の良い時に限ってその感覚を忘却するのだ。しかし、総体まで時間がない。まずは、と言わんばかりに目の前の試合をこなすことに必死だった。そして春風が一瞬の如く通り過ぎ、夏の総体。地区大会は突破するものの、中学生としての集大成となるはずの県大会は、自己記録を更新することもなく、あえなく予選で幕を下ろした。焦燥感と自分への苛立ちで、まともに練習ができなかったのでは、と未熟ながらに結論づけられるほどの完敗であった。

夏終わり、何年振りかに祖父母の家に顔を見せに行った。陸上に打ち込んでいると言う話をすると、祖母は今は亡き自分の父親である史寿さんが箱根駅伝を走ったことがあると言っていた。中学、高校と全国の決勝の舞台に立ち、箱根常連校の中星大学では5000mで大学記録を打ち立てた、世代最高峰の選手だったという。その話を聞いて、箱根駅伝への漠然とした願望が湧き上がっていた。

全国大会にこそは出られなかったものの、総体以前の自己記録を買われ、強豪の成英高校に入学させていただくことができた。入学してから一年ほどは順風満帆そのものだった。中学生の頃はただ必死に走るだけだったが、顧問の先生の指導のもと、自分に合った練習と疎かにしていた筋肉系の強化をすることで大幅に成長した。会心のレースを続け、自己記録が地方最速候補にまで成長した。頭角を上げてくると、陸上に造詣が深い人から度々中星大学のあのエースと走り方とレースの展開が瓜二つと言われるようになった。つまり、祖母の父である史寿さんだろう。意識していた訳ではないが、憧憬ともいえる大学のエースと似ていると言われると、得をした気分になっていた。

2年生の夏。1年生時に収めた成績である北信越新人5000m優勝を基に、より強度を増した練習に励んだ。しかし、ここで大きな壁が立ちはだかった。久しく起きていなかった調子の波が再び発生した。体が鉛のように重く、どう動かしていたか思い出せない。なのに、調子のいい時の感覚は一向に具体として馴染まない。顧問に定期的に調子を自己管理して整えられるようにしろと言われていたが、どうしようもなかった。同級生からも、調子が悪い時のお前はまるで別人だと言われていた。悪戦苦闘はしたが、できる練習はできていたのでどうにか走力は維持していた。結果は1年生の頃ほど振るわなかったものの、全国高校駅伝のメンバーに選抜された。夏に思うような結果を残せなかった以上、ここで2年生として大きな結果を残そうと考えていた。

当日。任された区間は7区、アンカー。当然、緊張はしていたが、それ以上に自分らしい走りができるか、という不安が大きかった。自分に襷が渡ったとき、チーム順位は17位。学校最高順位まであと数十秒というあたりだ。襷を貰ってからは…記憶がない。ゴールラインを切ると、幾つかの歓声と、仲間の大きな喜びの声が聞こえた。区間順位は12位、チーム順位16位どうにか一つ順位を押し上げ、学校最高順位に貢献した。地元からやってきた報道陣からインタビューを受けたが、記憶がなく、曖昧な解答しか出来なかった。喜びの中には、僅かな気掛かりがあった。表現するならば、まさに取り憑かれたように走ったと言って虚構はない。でも、とりあえずこの喜びを噛み締めようと、現実逃避をするように忘れ去った。この大会から全国の大学から目に留まり、多くの大学が自身を尋ねてくれるようになった。そこで多くの大学が口にしていたのが、やはり中星大学のエースとの類似点だった。自身としては意識をしておらず、こうも謳い文句のように言われるともはや自らが憑依されてるのではと感じるほどだった。

この大会以降再び調子を取り戻し、3年の総体では自己記録で全国大会であるインターハイに出場、全国高校駅伝では再び7区で区間順位9位と健闘をした。しかし、調子が良い時の感覚は思い出せず、様々なメディアからも「感覚派」と称されてきた。進路に関して、箱根駅伝優勝校から新進気鋭の大学まで声をかけて頂いたが、不思議と縁を感じる中星大学に進学をすると2年生の頃から決めていた。

そのまま、流れるように大学に進学した。当時の中星大学はやや低迷気味で、順位も落ち込んでいた。その状況を打破しようと、新入生ながら今までより高い意識を持って練習に励んだ。しかし、高校の頃のように幸運で順調に進むことはなかった。1年生では練習に適応できず怪我を負う、2年生では駅伝が始まる夏前に疲労骨折をしてしまう、3年生では春、夏、と対校戦や記録会に多く出場し疲労が回復しきれず秋を棒に振ってしまう。気付かぬうちに3年の月日が過ぎ、残された箱根駅伝への道はあと一回となっていた。そして、3年を通して記録の波が大きいことも気掛かりとなり、どこか焦りを感じていた。

最終学年の4年生。覚悟を持って日々を過ごすと決めていた。記録の更新こそはなかったものの、対校戦やハーフマラソンなど、主要大会で結果を残した。記録会では記録が大幅に低迷するというジンクスを抱えながら月日が流れていた。しかし、そんなことを一瞬で忘れるほど無我夢中で走り続けた。そして、あっという間に箱根駅伝メンバー発表を迎えた。4年生になり初めてメンバーに選出された。4区。2区や8区など、最重要区間に選出はされなかったが、そんな事を気にしないほど報われた感覚があった。

箱根駅伝当日。遂に、自らの足で、この憧憬の舞台に立っている。この事実だけで身震いがしそうだった。3区から8位で襷が渡ってきた。まずは前の4人の集団に追いつき、リズムを掴もうとした。一度リズムを掴むと、そのまま牽制し合うこともなく無心で集団を抜き去った。しかし、残り約5kmとなったところで何かがプツリと切れた。突然周囲の轟音とも言える音が耳に入ってきた。そこからは記憶がはっきりしている。いつの間にかとうに抜き去ったはずの集団に追いつかれ、呆気なく抜かれてしまう。リズムが崩れ、息が突如荒くなる。脚が進まない。この瞬間、働かない頭が本能的に判断した。今までの力走は、中星大のエース、史寿さんの記憶が、足取りが、気力が身体に憑依していたんだ。その血筋が闘志と共に一致していたんだ。もしかしたら自分らしい走りをしようと努力をしていたのではなく、その中星大のエースの総力になろうと努力をしていたのかもしれない。正直に考えれば、中学の頃からその節はあったかもしれない。でも、未熟過ぎて気が付かなかっただけなんだ。そんな思考を巡らせていたが、目の前の状況にはっとした。襷を次の区間に渡さないといけない。別に走りが違うからなんだ。闘志は変わらないんだ。進まなくなった脚を、とにかくリズムをとり前に進めた。もう駄目かと思った。目の前には箱根の山の前で待ち構える仲間がいた。4年間共に歩んで、走ってくれた仲間に感謝をするかのように、意地で渡した。その後は記憶がない。区間順位は14位。とにかく渡せた安堵感から、往路を完走したことを聞くと涙が溢れた。その後は仲間の力走で総合順位を7位で中星大の箱根駅伝を終えた。学校最高順位とまではいかなかったが、近年を考えると十二分な成績だ。

そんな激動の記憶も遠い過去と思えるぐらい年月が経ってしまったが、未だにあの頃どんな風に走っていたかは思い出せない。後から聞いた話だが、史寿さんは箱根駅伝は4年間出場が叶わなかったという。もしかしたら、その未練を、私の気力と共に晴らしたかったのかもしれない。苦しくも不可解でもある記憶だが、私は後悔はしていない。今は片田舎でのんびりと走る傍ら学生の激走の裏に隠れる物語を想像して「走る」ことそのものを楽しんでいる。

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