聖夜の前日
仕事を終え、慌ただしい一日を締めくくるようにちらちらと雪が舞い落ちる。
体をぐっと伸ばしながら暖かい店内から外へ踏み出すと、あまりの寒暖差にぶるりと体が震えた。
寒さで思わず瞑った目を開けると、雪と色とりどりの電飾が織りなす銀色の世界が広がる。
聖夜前のキトリニタス百貨店の正面入り口は夜だというのに眩くてたまらない。
あまりにキラキラした風景に見惚れてしまい、
仕事の疲れや先程感じていた寒さを忘れてぼんやりと眺めてしまう。
いけない、早くアルが待つ家に帰らなければ。
時刻は22時。普段なら人通りが少なくなり始める時間の筈が、ライトアップされた百貨店を一目見に来たのか、
大勢の人で賑わっていた。
足早に人込みを抜けつつ鼻から空気をゆっくり吸い込むと、様々な匂いが体に入り込んでくる。
雪特有の少し湿った匂いと、電飾に感嘆を漏らし楽しむ人々の幸せそうな匂い。
思わず自分の頬も緩んでしまうような幸せの匂いを感じて、何だか体の芯が温まる感覚がした。
・・・?
おかしい。今微かに、とても嗅ぎ慣れた匂いが混ざっていた様な気がして足を止めた。
確かに感じ取ったが、あまりの人の多さにその匂いの正体が掴みきれない。
だが自分が思った通りの匂いであれば、ここでその匂いが存在していることは「ありえない」はず。
はずだが・・・
「アル・・?」
とにかく全神経をその匂いに向けて集中させる。閉じていた羽も大きく広げ、感知できる範囲を広げさせる。
嗅ぎ間違う事なんて絶対に無い、世界で一番愛おしい人の匂い。
今この時間にどうして?こんなに寒いのに、震えていないだろうか。
色んな考えや心配が凄まじい速度で脳を巡っているが、一旦はそれをまるごと放棄する。
「ええい!地上だと色んな匂いが混ざりすぎて判別しきれない!」
地面を蹴り力一杯羽を羽ばたかせる。一気の寒空の上空に躍り出ると、
鼻がでツンと痛くなるほどの冬風が体を襲う。
様々な匂いは一瞬で消え去り、降りゆく雪や風に乗ってきた土の匂いのみが情報として頭に流れ込んでくる。
「・・見つけた!!」
百貨店入り口から少し離れた、ベンチが並ぶ噴水広場に向かって急降下する。
勢いよく近くの茂みに降り立つと、ベンチにぽつりと座っている人の背中が見えた。
「おーい!アルー!なんでこんな所に・・・」
小走りで呼びかけながら駆け寄ると、先程感じていたアルの匂いがどんどん遠ざかっているのを感じ取る。
足を止めるとベンチに座っていた人物が振り返る。よく見ればアルとは全くの別人で、
見たところ若い白髪の鳥人女性のようだった。
「あ・・えっと。スイマセン!間違えました!」
「・・?いえ・・。どなたか探してるんですか?」
あまりに汗だくで息を切らしている自分に、白髪の鳥人女性は心配そうに声をかけてきた。
「ええ、この辺りで探し人の匂いがしたんで飛んできたんすけど・・
とにかく失礼したっす!よい夜を・・」
そう言ってその場を去ろうと背を向けた瞬間、ぐんっと服が後ろに引っ張られる。
「え。」
振り返ると、白髪の鳥人女性が自分の着物の裾を力強く引っ張っていた。
「す・・すいません・・!!お忙しいのは重々承知しているのですが・・・
少しお話だけしていきませんか・・!?こ、こんな、素敵な夜ですし・・!」
「へ・・!?」
潤んだ瞳を向け、雪に溶け込みそうな純白の羽が情熱的に広がり、興奮したように羽先が震えている。
「実は・・先刻、恋人に振られてしまいまして・・。こ、こんな夜に最低だと思いませんか・・!?
そ、それで、ここで黄昏ていたんですが、どうにもあちらの幸せなムードに心がずっと痛くて・・」
どんどんと距離を近づけてくる彼女に、ただならぬ雰囲気を感じて後ずさる。
「あ、あなた・・とても珍しい翅の色をしているし・・
もしかしたら、私に運命を運んで来てくれた人なのかもって、その・・一目惚れしてしまって・・!」
「あ~、あの、お気持ちはわかるんですが・・オレ、恋人がいて・・」
距離を取ろうと体をそらした瞬間、彼女は勢いよく胸元に寄りかかって来た。
「!!?!?!」
「こ、恋人がいても構いません・・!今日だけ、今日だけでいいので、私と一夜を共に過ごしていただけませんか・・!!」
「はぁ!?!」
あまりに意味不明なお願いに思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
聖夜恐るべし・・と背筋が凍るような感覚に耐えつつ、女性を即座に突き放す。
「すんません・・!自分には心に決めた相手がいて、
その人以外と・・その・・まぐ合うとかありえないん・・で・・」
興奮状態の相手にしっかり聞こえるように伝えていると、
背後からチクリと視線を感じ、血の気が一気に引き始める。
ゆっくりに振り返ると、そこには冬には咲くはずが無い、そこに今一番居てほしくなかった一輪の花が
こちらを怪訝な顔をして睨んでいた。
「スイ・・?」
「あっ・・アル・・!?」
自分が感じた匂いに間違いはなかったんだ!と少し嬉しくなった感情はすぐさま夜空に飛んでいき、
今目の前の状況に頭が追いつかず、ぐわんと脳が揺れる感覚が襲う。
「こ、この子は、あなたのお知り合い・・?」
未だ自分の体に近づこうとしている女性に、思わず声を荒げる。
「オレの恋人です!!あの!!傷心している所申し訳ないっすけど、
ほんとーーーに迷惑なので!!失礼します!!」
走り出し、アルの手を勢いよく取って抱えながら、上空に飛び上がる。
アルに冬風が当たらないよう着ていた半纏で包み込み、全速力で自分の家へ向かって羽ばたかせた。
雪が強くなり始めた頃合いで自宅に着いたオレたちは、アルが寒くないよう部屋の暖房という暖房を稼働させ、
部屋は一気にぬくもり始めていたが、
依然オレとアルの間には冷たい氷の壁で阻まれているかのような気まずさが部屋の温度を下げている気がした。
「・・お話し中。だったんでしょ。」
小さく微かに震えた声で、アルが半纏に包まりながら聞いてくる。
顔が見えないが、きっと泣いているのがわかる。
あの場面を見て「お話し中」と解釈するのは、オレにとっては誤解だと弁明したいところだが、
アルにとってそう見えてしまっているなら、完璧にオレが悪い。
「・・・本当にごめんなさい。仕事終わりにアルの匂いがして・・
探していたらあの人に話しかけられちゃったっす。なんだか傷心中であまり正気じゃなかったみたいで・・」
頭の語彙という語彙を総動員させ、アルにまた誤解が生まれないようゆっくり伝える。
アルはピクリとも動きを見せない。
部屋が沈黙に包まれ、暖房器具の駆動音だけが木霊する。
「き・・だ・・。」
「え?」
「浮気・・だぁ・・!」
そう言って半纏から飛び出してきたアルは、勢いよくオレを押し倒し、
腹の上にどすんと座った。
「うぐっ!!」
軽い体重なのに勢いよく乗ってきたため、思ったよりお腹に重量がのしかかりたまらず声が出る。
「前・・・話したよね。浮気したら許さない、って・・!」
垂れる前髪で表情が良く見えないものの、怒り口調で呟いているアルは、オレの頬を掴んでぎゅうと引っ張り始める。
「ほ、ほへんははひ・・!ふはひはんはひゃはひんふほぉ・・!
(ごめんなさい・・!浮気なんかじゃないんすよぉ・・!)」
抓られている頬の痛みとは別に、額に落ちる水滴の感覚に、思わず体を起こす。
勢いよく体勢が変わった拍子にバランスを崩しそうになったアルの腰をしっかりと引き寄せて、目を合わせる。
涙やら鼻水やらでぐちゃぐちゃになった真っ赤な可愛い顔。
吸い込まれそうな大きな青い瞳は、オレを焦がれるように見つめ、揺れていた。
「・・・オレのためにあそこで、あんな時間まで待っててくれたんすか・・?」
ぽろぽろと溢れる涙を指で優しく拭っていく。
アルは少し目をそらしてゆっくりと頷く。何時間待ったんだろう。今日は特に忙しかったのもあって、
きっと声をかけられなかったんだと容易に想像できる。
「明日はクリスマスだから、早く一緒に居ようとしてくれたんすよね?
・・・オレも同じ事考えてたから、今日実は少し早めに上がらせてもらったんすよ。」
そう言って、アルの顔をこちらに向かせて、とんがらせていた唇に優しくキスをする。
「オレのこと、沢山沢山考えてくれてありがとう・・。
そんなアルが大好きっす。愛してるよ。」
我ながらかなり恥ずかしい流れに持ってきてしまったかなと少し顔が熱くなったが、
愛してる以外の言葉は思いつかなかったから、仕方ない。
なんて考えているとアルの目から涙が収まるどころか、更にとめどなく雫が溢れ出した。
「え!?ご。ごめん、言われるの嫌だったっすか・・!?」
もしかしてもっと違うところで機嫌を損ねていたんだろうか、それとも愛してるという言葉が
あまりに安っぽくて幻滅させてしまったのだろうか。考えうる最悪が次々と頭を巡りパニックになる。
「違う・・。」
「へ?」
「スイは、優しすぎる・・!」
アルは、涙を自分の袖で乱暴に拭きながら口を開く。
「スイは、本当にいい子・・!見ず知らずの人に急に迫られたってちゃんと受け答えするし・・!
僕が今こんな理不尽に怒ったって、何も変だと、思わない・・!」
「ちゃんと僕は見てた!僕のために汗だくで空を飛びまわってたこととか、
スイが無理やり誘われていたのも・・。
でも僕は、心が汚れているから・・スイは悪くないのに心がもやもやしちゃったの・・!」
アルが、見たことないほど感情を話してくれている事実に驚きつつも、頷いて言葉を呑んだ。
「・・・じゃあ、オレもアルに怒ってもいいっすか?」
「・・!・・うん・・。」
「・・あんな寒いのに、長時間外に出ちゃ駄目っす!!!」
アルの頬を緩くつまんで、少しだけ怒り口調で言い放つ。
怒られると踏んで瞑っていた目が、
鳩が豆鉄砲を食らったかのように真ん丸に開いてこちらを見つめていた。
「そ・・それだけ・・?」
「そうっす!雪も降っていたのに、危ないじゃないっすか!!!」
「ご・・ごめんなさい・・」
「ほら!アルも怒らないじゃん!」
びしっと指をさすと、アルはさらに驚いた顔をして指先を凝視した。
「あのね、オレはどんなに理不尽なことでアルに怒られたとしても、まっったく嫌とか思わないの!!
アルのことがだーーーーー・・・いすきだから!!
アルも、今オレに怒られて、嫌な気持ちになった!?」
アルが真っ赤な顔をして首を大きく横に振った。
「そう!アルも、オレのことが大好きだから理不尽なことで怒られても嫌な気持ちにならないんす!
なんならオレは・・・もっとアルにそうやって感情をぶつけて貰いたいの!些細なもやもやな気持ちも、
何でもかんでも言ってくれた方が嬉しいんすよ!!」
恥ずかしそうに頬を染め、目尻に涙をためるアルをたまらず少し強めに抱きしめる。
「心が汚いなんて・・・思うわけがないっす。
アルが百貨店に来てくれてたって気づいた時、どれだけ嬉しかったか。」
「嫉妬、ばっかりしちゃうのに・・・?」
「させてしまうオレの危機管理が甘いだけ!!それに対して理不尽だとか・・横暴だとか。
一切思わないっすよ。」
安心させるように沢山色んな所にキスを落としていく。
唇が触れるたびに嬉しそうに擦り寄るアルに、あまりの可愛さで抱き潰したくなってしまう衝動を抑えつつ、
抱きしめたままごろりと寝転んだ。
「ねぇアル。明日がクリスマスってことは・・あれを食べきっていいって事っすよね!」
「・・!そうだね。本当は一個をゆっくり食べなきゃいけないのに、もう何個目か数えてないけれどね。」
ずずっと鼻をすすりながらアルは柔らかく微笑んだ。
オレはアルのこの笑みが見られるなら、どんな苦しいことだって乗り越えられる気がする。
そんなことをふわりと考えながら、オレはもう一度アルにキスをした。
キトリニタス百貨店 翠アル おさでん @odenoden0819
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