9話 計画
「おかえりなさいませ。遅かったですのね。おじゃましておりますわ」
セルマとターヴィを迎えたのは、メイドたちでも執事のマティアスでもなかった。赤みがかった金髪を豪華に巻いた翠目の美女。予期していたセルマは何も言わなかったが、ターヴィは動転して挙動不審に手を上げ下げした。それに盛大に目が泳いでいる。セルマはかまわずに私物を置いている部屋へ向かった。
「あああああああああアネルマさん、どうしてここに⁉」
慌てすぎだろう、とセルマは思った。だが、元からターヴィが苦手とする人物で、先ほどまで王城にて共に居たのだから驚くのも当然か、とも思う。しかし、王がターヴィへ『愛の巣』を贈ったと聞いて、彼女が黙っているなどとは、セルマには考えられなかった。
「ぜひ招待してくださいまし、とお願いしましたのに。ターヴィ様が色よいお返事をくださらなかったので、来てしまいました」
満面の笑顔が感じられる声色だった。彼女は「……いけませんか、セルマさん」と言った。
背中へ投げかけられた言葉に、セルマは階段を上りながら「どーでもいい」と答えた。本当に、関心がなかった。あちらだってそうだろうとセルマは思う。ターヴィが慌てながら「ちょ、ちょっと待ってセルマ!」と声を上げる。
アネルマは『瘴気浄化特別分隊・五班』に所属していた者のひとりだ。ターヴィと同じく、瘴気への耐性の高さと知能の高さを見込まれて招集されたと聞いている。セルマとターヴィは『七班』の所属のため、別行動ではあった。しかし、浄化旅行の最初期からターヴィへ入れ込み、度々七班と行動を共にしていた。
何度も上長へ班替えを申請しては却下されていたようだ。そもそも、それぞれの班は能力が分散するように人員配置されている。ターヴィと彼女は同じ兵站能力を買われて来たのだから同じ班になれるわけがない。さらに、目の敵にしているセルマは実働要員で、交代できるはずもなかった。事実、彼女はターヴィのように勤勉ではなく、状況に順応しようともせず、班の要であるとの自覚もなかった。体力もなく、中途で離脱していたはずだ。
それが許されていたのも、彼女がニスカヴァーラという伯爵家に所属する者だからだろう。実情がどうであれ貴族家の、しかも上流貴族家の者が浄化旅行へ参加したという事実は、世間から高く評価されている。その美貌も相まって、ターヴィに次ぐ人気を得ているのではないだろうか。
アネルマが浄化旅行中にこぼしていた言葉をセルマは忘れていない。彼女はターヴィについて「平民であることだけが、残念ですわねえ」と言っていたのだ。彼女はずっと輿入れ先を探していると、もっぱらの評判だ。美しく賢いだけでは、嫁ぎ先が見つからないらしい。まあ、性格悪いからな、とセルマは思った。
ターヴィは子爵位を得た。これで釣り合いが取れるだろう。セルマは部屋に入り、ターヴィの呼び声を背に鍵をかけた。
――王リクハルドの提案は、ターヴィとアネルマを娶せることだった。
国内貴族の勢力均衡を保つにも、それがちょうどいいらしい。さらに言うと、王リクハルドは美しい者が好きだ。二人の間には間違いなく美しい子どもが生まれるだろう。
それに後ろ盾がないターヴィへ、必要な援助者を与えることにもなる。当代のニスカヴァーラ伯爵は、国内有数の事業家だ。王は言った。
「残念ながらね、君じゃターヴィを守れない。あの子がこれから歩むのはね、浄化の旅での露に濡れた砂利道じゃないんだ。シャンデリアが照らす絨毯の道で、つまずきの元は石じゃない。伸ばされた誰かの足なんだよ」
だから、セルマへ協力要請があった。それが、シャルベスリア王国での最後の仕事だ。あの正直すぎるターヴィが、これから、貴族として立派に歩んで行けるように。怒りも動揺も悲しみも、全て笑顔で覆えるように。
セルマの知らない世界で、生きて行けるように。
メレンゲ菓子が口の中で溶けるのを、どこか苦く感じながら、セルマはうなずいた。
おそらく、執事のマティアスはもう、王城からの使いを迎えているだろう。もしくはアネルマが自ら、マティアスに計画を話したか? どうあれ、きっちりと仕事をする彼が、確実に物事を運んでくれるだろうと思った。セルマは、その流れに身を任せればいい。
決行は、二日後だ。
廊下では騒々しくアネルマがターヴィへ絡んでいる声がする。どうやら屋敷の中を案内させようとしているらしい。甲高い声で「かわいらしい小屋ですこと。メイドたちの掃除も行き届きましょうね!」と聞こえた。その言葉に、さすがお貴族様だとセルマはため息をついた。セルマもターヴィも、立派すぎてどうすればいいかわからなかったのに。そう考えていると、高らかにノックがあった。
「――セルマさん、出ていらして! ひさしぶりに、楽しくいっしょにお茶をいただきませんこと?」
ひさしぶりってなんだ、とセルマは思った。アネルマと楽しく茶を飲んだ経験などただの一度もない。
浄化旅行中、小休止時間に茶を飲むことは多々あった。しかし、アネルマがその場にいる限り、だいたいセルマへの茶の割り当てはなかった。そんなことは違う仕事でもよくあり、慣れっこなので問題ない。それに、誰かに悟られて騒ぎ立てられるのも嫌だ。よって、多くの場合セルマは席を外した。
多少の複雑な気持ちを抱えつつも、セルマは解錠してドアを開けた。セルマよりも頭ひとつ小さいアネルマは、自信に満ち溢れた表情でセルマをじっと見上げていた。そして艶やかに笑う。
「……さあ。わたくしの家で取り扱っている茶葉を持ってきましたわ。セルマさんにも味わっていただきたいの」
綺麗に磨かれた爪の、綺麗な手がセルマの腕にかけられた。アネルマの後方には目を丸くしたターヴィが立っている。目が合ったが、セルマはすぐに逸らした。
貴族みたいに笑うターヴィを、想像できなかった。――見たくないな、とセルマは思った。
まるで自分の家かのように歩き出したアネルマに従って、セルマも歩く。小石ひとつない、絨毯が敷かれた廊下を。――その道にはきっと、瘴気なんかより重いなにかがあるんだろう、とセルマは思った。瘴気はもうないはずなのに苦しくなって、セルマは浅く息をついた。
アネルマがセルマにだけ聞こえるようにささやいた。
「――明日、十四時に王城へ」
ターヴィに気づかれぬよう、セルマはかすかにうなずいた。引かれた腕に食い込んだ爪が痛かった。
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