8話 密約
「すんごぉーいロマンチック! 星空の下で誓う愛!」
「誓っていません、勝手に話を作らないでください。まさかそんな話をするために呼んだんですか、陛下」
謁見室ではない。恐れ多くも王リクハルド様の私的な庭に招かれて、セルマは茶を振る舞われていた。
作法などなにもわからない。座らされた席で固まっていると、王直々に「楽にしろ。いつも通りでいい」と手づかみで菓子を頬張った。
そして、先ほどのセリフだ。
城の衛兵たちが門を守っていた以上、こちらの動向はある程度筒抜けだとは思っていたが、まさかこうして呼びつけられて弄られるとは思いもしなかった。本当にいつも通りでいいと安心していいのかわからないが、王の手本には従わざるを得ない。セルマは若い娘に人気のメレンゲ菓子をつまんで口にした。
甘味は、嫌いではないが自分で購入するほどではない。そもそも幼少期に甘い物を口にすることはなかったし、砂糖は高級品だ。大人になってから初めて食べた甘味は、薄焼きパンに手製の木苺ジャムをぬった素朴なものだった。それまで知らなかった味に驚いて固まり、同僚たちに笑われたものだった。
なぜか、この場に王の気に入りのターヴィはいない。セルマだけが呼ばれた。着いてこようとしていたが近衛兵に止められていた。セルマとしてはこの王に言いたいことは山ほどあるが、話したいことはなにもない。よって菓子を食べ満足したら帰ろうと思った。だが、王の側には用があるらしかった。
「でさー、救世の乙女ちゃん」
「その呼び方やめてください」
「この呼び方こそが君の眉間を動かすんでしょうが。ターヴィのこと、しっかり話しておこうと思うんだ」
にこやかに柔らかな話し方をしているが、これが真剣な話し合いなのは承知している。見える位置に近衛は居るが、こうして人払いの上私的な場所で話すのも、それだけ語られる内容が大きいということ。
「まず確認。君は、ターヴィの求婚を受け入れるつもりでいる?」
「いえ」
「そう。安心した」
セルマの即答に王も即答した。予測していたのかもしれない。
王は一口大のシュークリームをふたつ口に入れてから、椅子に深く座り直し脚を組んだ。長い金髪が肩からさらりと落ちる。そして両手を膝に置いて、上に立つ者の瞳でセルマを見た。
「君はわかってくれているよね。元々国外へ向かう予定だったんだし。ターヴィは、この国出身の英雄で、この国の宝なんだ」
「はい、知っています」
「彼が成したことはまさに世界を救う行為で、彼はその誉れを一身に受けるのにふさわしい容姿を持ち合わせている。これからも末永く我が国の偶像でいてもらいたいんだ。わかるだろう?」
「ええ」
あえてそれを確認するのはなぜだろう。これは、以前セルマがこの王と交わした密約に関係することだった。セルマ自身は、英雄としての待遇を一切求めないこと。それによって全ての称賛をターヴィへ向かわせる。――その見返りとしての、自由。
結局は、反故にされた、約束。
「君が外に出たら、彼も出るって言う。それじゃ困る。それに、君だって、やっぱり帰りたいだろう、故郷に」
ここ最近、意味がわからない言葉ばかりをやたら耳にする、とセルマは思った。『故郷』とはなんだろう。戻ったところでなにもなかった、あの荒野のことだろうか。わからないなりにセルマはうなずいた。王の言わんとすることは理解できるので。
「それでね、ひとつ作戦があるんだ。ぜひ協力してほしいんだよね」
王は碧眼をすっと細めて笑った。それは明らかに悪巧みの顔で、どことなくセルマの心は痛んだ。
王と二人だけの茶話会を終え、セルマは城を出た。馬車の用意があったが断り、王が用意した『愛の巣』へ徒歩で向かう。おそらくセルマの脚なら一時間ほどかかるだろうが、もっと時間をかけて戻るつもりだ。
「――セルマ!」
背後から声がかかり足を止めた。振り返りはしなかったが、走る音が近づいてくる。見なくてもわかる、ターヴィだ。
「セルマ! 終わったんだね、歩いて帰るの?」
弾んだ息を整えながらターヴィは言った。セルマは唇を動かさずに肯定を口にし歩き始める。城内でセルマを待っていたのだ。勇者ターヴィと近づきになりたい者は多くいるので、時間を持て余すことはなかっただろう。
「……なに話したの。リクハルド様と」
「別に。家はどうだとか、おまえと仲良くやれそうか、とか」
「えっ」
明らかに動揺してターヴィは止まった。セルマが気にせず置いて歩いて行くと、またすぐに隣まで走ってきた。
「――な、なんて答えたの⁉」
「別に。一日でどうこうわかりませんて」
「……そっか」
ほっとしたような、残念なような、そんな声色でターヴィは言った。セルマはその顔を見なかった。
昼からどこかで飲むかと思っていたが、顔も隠さずにターヴィが着いて回る。もちろんすぐに人だかりになり、辻馬車を拾うはめになった。回り道をしながら『愛の巣』へ向かう。馬車内は気詰まりな雰囲気で、セルマは物問いたげなターヴィの視線を頬のあたりに感じた。だから、真っ直ぐにその目を見返して尋ねた。
「おまえは、なにをしていたんだ? 城内で」
「えっ」
自分が問い質されるとは思わなかったらしい。動揺した様子で視線を左右に動かした。セルマがずっと見ていると、顔を真っ赤にして「べっべつにっ」と言った。
「いろんな人と、お話ししていただけだよ!」
「ふーん。誰?」
「えっ」
ターヴィは固まった。セルマは答えを知っていたが、あえて「いろんな人って、誰」と重ねて尋ねる。
ターヴィは上ずった声で「いろんな人は、いろんな人だよ」と、ごまかそうとした。なのでセルマは「一番長くいっしょに居たのは、誰」と止めの質問をした。ターヴィはさらに硬直した。
セルマは、ターヴィが嘘をつけない性分なのを知っている。貴族位を得たのに、そんなことで生きていけるのだろうかと心配になるほどだ。なので、じっと見つめるセルマの視線を受けて、しばらくの後に彼は白状した。
「……アネルマさん……だよ」
言ってからターヴィはうつむき、そして探るような目でセルマを見た。セルマは「ふーん」と言って、車窓の外を見る。空は憎たらしいほどに晴れていて、街は他人事のように活気づいていた。
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